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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

誘惑されて捨てられず

2014年10月14日 09時29分22秒 | Weblog
証歓喜地生安楽 しょうかんぎち しょうあんらく

(まずは)歓喜地を証(さと)らしめて、(その後)安楽(国)に生まれさせむ

主語は阿弥陀仏である。歓喜地は阿弥陀仏の境地である。安楽国の仏国土に招くのは阿弥陀仏である。

すべてが阿弥陀仏のお計らいである。実行するのはみな阿弥陀仏である。さぶろうが手を出せる領域ではない。だから、なされるままでいるしかない。

阿弥陀仏は歓喜地でさぶろうを揺さぶり誘惑をする。歌の文句では、誘惑されて捨てられてしまうが、阿弥陀仏は捨てない。摂取不舎である。

これもそれも阿弥陀仏の力による。従ってさぶろうは依るしかないのである。さぶろうは阿弥陀仏に依拠しているままだ。さぶろうの手出しの外だから、そうするより他に方法はないのだ。

阿弥陀仏になったお日様がさぶろうの足下を照らしている。さぶろうのこころはぽかぽかしている。ぽかぽかは歓喜地である。この際さぶろうは、はやばやと安楽国に生まれているのだ。
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それだけの差だと思うよ

2014年10月14日 09時24分16秒 | Weblog
お日様が射してきた。ああ、いいなあ。射している足先がぽかぽかする。死んでしまったらお日様はもうさぶろうへ射さなくなるのだろうか。いや、そんなことはない。やっぱり射して来てさぶろうはぽかぽかするだろう。それが見えているか見えていないか、それだけの差だと思うよ。
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台風の爪痕

2014年10月14日 05時46分41秒 | Weblog
台風19号が爪痕を残した。大好きな父の、その父が幼かった頃に植えておいた老木の紅葉の大木を根元からへし折って行った。あろうことか、一部の枝葉が道路際まで倒れ込んだ。雨風の中、老いぼれのさぶが鋸の大鉈を使って格闘した。びしょ濡れた。へとへとになった。
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すぐに来意を知った

2014年10月14日 05時22分16秒 | Weblog
さぶろうは哲学する。思いを巡らせる。思いは気流だから、仕方がない、勝手気ままに動く。何処へでも出掛けて行きそうになる。動く性質があるから、拘束を嫌う。束縛を嫌う。だから、さぶろうの哲学は固定しない。ふらりふらりのわがまま哲学である。とても当てにはできない。当てにはできないけれど、いろいろな見方考え方をして、楽しむ。案外、真実界に遭遇したことだってあるかもしれない。当たるも八卦、当たらないも八卦。いい加減の嘘っぱち哲学者さぶろう。哲学を抛擲して、真如界仏界に出入りしたがる。度を超して宗教してはならないと戒めるのだが。とうとう昨日の夢には仏界のアノクタッタ童子がさぶろうを尋ねて来た。色白の美しい美しい童子だった。さぶろうはすぐに来意を知った。
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変わることなく楽しんでいる

2014年10月14日 04時53分28秒 | Weblog
水は循環をする。ぐるぐる回る。旅をする。そして再び元の在り方に戻って来る。

命は循環をする。ぐるぐる回る。旅をする。そして再び元の在り方に戻って来る。

水は温められて気体になる。冷やされると液体になる。もっともっと冷やされると固体になる。雲になり、霧になり、水流になり、雪になり、流れ流れ流れる。活動が止まると凍りつき氷河期を過ごす。形状は変化をするが、本質は変わらない。

命も同じことをする。ある一定の条件下では気体になる。液体になる。固体になる。流れる。流れ流れ流れる。命の活動が止まると凍りつき氷河期を過ごす。形状は変化をするが、本質は変わらない。

さぶろうは循環をする。さぶろうの命は旅をしたがる。さまざまな形状を取りたがる。そしてその都度、変わることなく楽しみ楽しんでいる。
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