証歓喜地生安楽 しょうかんぎち しょうあんらく
(まずは)歓喜地を証(さと)らしめて、(その後)安楽(国)に生まれさせむ
主語は阿弥陀仏である。歓喜地は阿弥陀仏の境地である。安楽国の仏国土に招くのは阿弥陀仏である。
すべてが阿弥陀仏のお計らいである。実行するのはみな阿弥陀仏である。さぶろうが手を出せる領域ではない。だから、なされるままでいるしかない。
阿弥陀仏は歓喜地でさぶろうを揺さぶり誘惑をする。歌の文句では、誘惑されて捨てられてしまうが、阿弥陀仏は捨てない。摂取不舎である。
これもそれも阿弥陀仏の力による。従ってさぶろうは依るしかないのである。さぶろうは阿弥陀仏に依拠しているままだ。さぶろうの手出しの外だから、そうするより他に方法はないのだ。
阿弥陀仏になったお日様がさぶろうの足下を照らしている。さぶろうのこころはぽかぽかしている。ぽかぽかは歓喜地である。この際さぶろうは、はやばやと安楽国に生まれているのだ。
(まずは)歓喜地を証(さと)らしめて、(その後)安楽(国)に生まれさせむ
主語は阿弥陀仏である。歓喜地は阿弥陀仏の境地である。安楽国の仏国土に招くのは阿弥陀仏である。
すべてが阿弥陀仏のお計らいである。実行するのはみな阿弥陀仏である。さぶろうが手を出せる領域ではない。だから、なされるままでいるしかない。
阿弥陀仏は歓喜地でさぶろうを揺さぶり誘惑をする。歌の文句では、誘惑されて捨てられてしまうが、阿弥陀仏は捨てない。摂取不舎である。
これもそれも阿弥陀仏の力による。従ってさぶろうは依るしかないのである。さぶろうは阿弥陀仏に依拠しているままだ。さぶろうの手出しの外だから、そうするより他に方法はないのだ。
阿弥陀仏になったお日様がさぶろうの足下を照らしている。さぶろうのこころはぽかぽかしている。ぽかぽかは歓喜地である。この際さぶろうは、はやばやと安楽国に生まれているのだ。