<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

直枉 じきおう

2014年10月06日 02時05分49秒 | Weblog
直枉 じきおう 枉〈まが〉れるを直〈ただ〉す

「仏法は直枉の法なり」とは聖徳太子の言である。

わたしの間違いを正してくれるのは仏法である、と。

わたしの判断はわたしの都合が判断の基準になっている。だから自分好みである。好きか嫌いかのそれである。利益になるかならないかのそれである。

当てにはならないのに、それを当てにしている。その場その場その時その時でどうにでも変わる。曲がって歪であるが、そうであることにさえ気が付かない。これをわが分別智としている。

分別智は憎ければ殺していいと判断する。強い者が弱い者を裁く。従わなければ弾圧する。弾圧されれば、報復する。国益を守るためなら戦争をしてもいいと考え、それを正義の戦いとすることに躊躇しない。間違いと判断する者は国家から封殺される。人心は荒廃し、世は戦場となり、血塗れの地獄となる。

これは、聖徳太子の頃の世情も現代の世情も類似していよう。
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風が唸っている

2014年10月06日 01時53分41秒 | Weblog
風が唸っている。真夜中、闇の中でこれを聞いている。風がしきりに唸っている。ときおり雨音がまじる。
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勝他

2014年10月06日 00時40分33秒 | Weblog
勝他。しょうた。

他に勝〈す〉ぐる。

他の人より勝れているという自負のこころ。名聞利養のこころ。

他者を見下しておいて、しかも他者から尊ばれようとするこころ。

自己中心の思い上がった、さもしい根性。浮き袋。

(^_-)

これで我が身のバランスをとる。他を足下に敷いて我が身の安定を謀ろうとするが、畢竟するに、姑息なことである。ところがこれにかき回される。これをしないと水中に沈んで溺れてしまう。我が身が重たければ重たいほど、多くの他者を沈ませないとみずからが浮かべない。一度や二度くらいですむことではない。こんなことに、こんな歪なことに、一生を浪費させてしまう。

この悲しいおのれの性にある日気づかせられると悲しくてならなくなる。おろおろおろおろ泣いていたくなる。他を喰って喰っておのれのこころのひもじさを解消させてきたことへの懺悔がふつふつ涌いてくる。

勝他にすがらないでも安心安定を得られる方途はないか。わがはからいの領域には方途はない。絶望する。

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