<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

もっと詳しく話してよ

2014年10月09日 14時08分39秒 | Weblog
宇宙交信のこと、もっと詳しく話してよ。

うん。右手の人差し指が電流を流しているときにはね、左手の手の平を大きく開いてアンテナにするんだ。

左手の場合も同じ。

宇宙送信しているときには左右の人差し指の腹がロケット基地になる。宇宙からの宇宙言語を受信するときには空へ高く上げた両手の手の平を大きく開いてアンテナにする。

びりびりびりとするからすぐ分かるよ。読み解きは瞑想に任せているんだ。コツはね、そう思って送信しそう思って受信する。

一体感を持って、ってことだよ。こことそこが連結しているってイメージをするんだ。思い遣りと思い遣りなんだ、これをするのは。
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人差し指の腹がする宇宙交信

2014年10月09日 13時49分07秒 | Weblog
右手の人差し指を立てる。

どこへ?

腕を上げて右の右の空に。

次は左手の人差し指を立てる。

何処へ?

うん、左の左の空へ。

距離にしてまあ1mくらいかな、その間隔は。

そしてそれから電流を流す。

右手の人差し指の腹から、左手の人差し指の腹へ。

電流がびりびり流れるのをじっくり感じる。

そして今度は左手の人差し指の腹から、右手の人差し指の腹へ送電する。

びりびるする電流を感じる。

発電所は胸の奥に設置されている。

それができたらどうするんだい?

うん、今度は送電先を宇宙へする。

電流は電波だ。電波にはこころがこめてある。言葉が立ち上がっている。

宇宙の何処へ?

うん、宇宙生命体中継基地へだ。

そこに暫く前に死んだおっとうとおっかあが居て受信している。その先のご先祖さまもこれを受信している。

なんと書いてあるんだい、その電文は?

うん、あなたさまのお陰でいまのさぶろうが生きております。ありがとうございます。さぶろうは元気でいます。にこにこして愉快でいます。

そんなことが書いてある。

その逆もできる?

つまりさぶろうが宇宙電波を受信できるかってことかな?

だよ。

うん、できるよ。瞑想に入って受信するんだ。やっぱり人差し指の左右を空に立てて。

おっとうとおっかあの口癖は「そりゃよかったね」「安心したよ」だよ。
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わが世の終わりをどう締め括るか

2014年10月09日 13時32分17秒 | Weblog
さぶろうは間抜けだね。間が抜けている。まるで唐人の寝言をつぶやいているようだ。

ブログに書いていることを読んでも何が何だかさっぱいわからないよ。

電線をつなぐ電柱が間間で抜けていると電線はたらんとなってしまう。間抜けって、あれだね。

うん、さぶろうは抜かした電柱を再活用してそれを今度は未来の原野に立てているところなんだ。もうこれまでの用はあらかた済んでしまったからね。

それで未来へ送電ができることになる。

未来送電か。わあ、かっこいいね、それって。

うん、死後の一大事関連事業っていうんだ、これは。

ふうううん、じゃ、死んだ後では分かるってことなのかな。それじゃやっぱりつまらないね。

生きているいまの電線を張りきっておいた方がいいってことかな、それって。

どうだろうね。

今は総反省総整理にはいっているからね。終活ってことかな。終わりをどう締め括るかってことだね。

このブログでは誰と誰が話をしているんだい? それさえも分からないよ。
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にこにこは非常食になる

2014年10月09日 10時32分05秒 | Weblog
いよいよ残り少なくなってきましたなあ。

そうですなあ。

明日でお終いになるんでしたら、今日は何をしておきますか。

そうですなあ。愉快ににこにこにこにこしていたいですなあ。

今度いつ生まれてくるか分かりはしませんが、まあその間の分のにこにこをとりまとめて。100年後だとしたら、その100年間分のにこにこを。1000年後だとしたら、1000年間分のにこにこを。

そうしたら、そりゃたくさんになりますなあ。

穴の中の冬眠中の熊さんのように、その貯えた脂肪のようなにこにこにこの愉快を少しずつ出して来てむしゃむしゃ食べますかね、その間。

おいしいでしょうな。

おいしいでしょうな。

こりこりするでしょうかね。

かりかりするでしょうかね。

1000年を泥の中に眠っていた古代蓮の実だって、現代に芽吹いたんですからなあ。さぶろうどんのいのちの実もそれくらいの芸当はするかもしれませんなあ。

にこにこが非常食になるたあ、それもまた愉快ですなあ。
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了解事項

2014年10月09日 10時15分08秒 | Weblog
へえ
これは
さぶろうと草ホトトギスの間の
了解事項でありまして
従って
他の者には不了解事項
へえ
これは
なんの役にも立たんのでございます

おまえさんの静かな暮らし方が
わしは好きじゃった
ええええ
わたしもあなたさまの静かな暮らし方が好きでございました

では
ここでいまいのちがお終いになってもいいのだな
ようございます
ここですっと大空へ消え果てて行ってもいいのだな
ようございます

あなたさまが了解している通りを了解しております
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赤い大きな日が見える

2014年10月09日 09時44分27秒 | Weblog
「常寂光」

それが見えぬ
見えたら
それが
まさしく常寂光で
さぶろうは
これに全身ずぶ濡れに濡れて
その雨雫を着て欣喜雀躍するはずである

だが
さぶろうには
それが見えぬ
それが見えぬ

しかしそれでいい
それでいい
それでいいというところが
実にいい

見えても
見えなくても
常寂光は常寂光であって
壊れない
いささかも

永遠とはそういうものだ
寂静涅槃とはそういうものだ
仏智光とはそういうものだ

常寂光
さぶろうには
それが見えぬ

それは見えぬが
海に落ちていく赤い大きな日が見える
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彼は大空のご馳走が食べられない

2014年10月09日 09時17分34秒 | Weblog
これだけ青い空がこれだけ豊かに頭上に広がっていて、さぶろう、お前まだその他に欲しい物があるのか。

あると言う。傲慢なさぶろうだ。

傲慢と言うべきより、腹が小さいというべきかもしれぬ。安っぽいというべきかもしれぬ。彼は大空のご馳走が食べられない。

身の回りのあれこれごときをちまちま欲しがっていて、それも手に入らず腹を減らして、しょぼついた目をして、うろつき回っている、うろつき者のさぶろう。

これだけ青い空がこれだけ豊かに頭上に広がっているが彼はまったくそれには無意識である。無意識でいられる。もしかしたら、そこを絶対の1にして、ベースキャンプにして、手の届く欲界の山頂を目指しているのか。

無意識でいられるように配慮をしているのは大空だ。やつはさすがに大物だぞ。無欲でいられる。

さぶろう、おい、ここに立ち止まってしばらく秋の大空を見上げて行かないか。あまつさえ百舌鳥が鳴いて、さぶろの立地を清々しくしてもいる。
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なりかけ隼人瓜落ちる

2014年10月09日 07時13分43秒 | Weblog
台風18号の爪に引っ掻けられた隼人瓜が11個も落ちて土に転んでいた。まだなりかけたばかりだ。薄く切って酢物にしていただいた。あをあをあをとしていた。隼人瓜は子沢山。秋から冬にかけて万石桶を溢れ出すほどに実る。
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待たれていた枯れ葉

2014年10月09日 07時00分13秒 | Weblog
する仕事があったので、旅心から急ぎ舞い戻ってきた。仕事とは、発芽した秋野菜への水やり仕事である。「さぶろうどん、よう戻って来てくれたな。喉が渇いて死にそうだったぞ。」 幼い畑の大根、白菜が次々次々叫んだ。こんな枯れ葉のようなさぶろう如きがこんなにも待たれていたとはなあ。
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棟方志功カレンダーに見入る

2014年10月09日 05時52分29秒 | Weblog
安川電機の発刊した「2006年安川カレンダー 棟方志功 山懐頌」新品を棟方志功展会場で分けてもらった。表紙絵を飾る彫り物は画面を溢れ出んばかりのおんな全身裸体図である。

下半身、腹、肩は樹木の緑に覆われ脚には木の葉がそよいでいる。腕、胸、首、顔、足先は人間の肌色をしている。そこへ豊満なおっぱいがはちきれている。まん丸の光背と両頬と乳首が赤く色づいている。みな火照っている。

ここへ大きく小林正一の「志功描く女の顔はいとあやし遊女とも見ゆ菩薩とも見ゆ」の賛がしてある。何故かしら法華経に登場する龍女を想わせる。「志功描く」ではなく「志功掘る」とでもしたいほどだ。

地の底か海の底か空の底から手力で掘り上げてきたという感じだ。女は万物を創生する力を持つ故に裸体まるごとがエネルギー体である。このエネルギーが画面狭しと溢れている。さぶろうはこの妖艶勢のうねりに一呑みに呑まれてしまう。

12ヶ月12枚の彫り物絵のどれをもさぶろうくらい訳なく圧倒してしまう。踏み潰してしまう。12枚の巨怪だ。12枚の風神怪だ。根株ごと薙ぎ倒されたさぶろうが、雲を衝いて悠々遊戯する志功菩薩を仰いでいた。
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