小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原駅には色々な鉄道の路線が乗り入れているので市内に駅が多いが、その中でも地名とまったく無関係の駅名なのが大雄山線の五百羅漢駅である。小田原市扇町の大雄山線五百羅漢駅は小田原駅から3つめの駅で、駅名は駅近くの玉宝寺に安置されている五百羅漢像にちなんでいる。その大雄山線五百羅漢駅のホームには名所案内板が設置されている。名所案内の一番上は駅名ともゆかりのある玉宝寺で、その他は飯泉観音と酒匂川が記載されている。名所案内板を良く見ると、玉宝寺と飯泉観音の間の部分に白いテープが貼られていて削除したようになっている。白いテープの下には以前記載していた名所のシールが張られていて、透かして読むことが出来た。白いテープの下には「多古城跡 徒歩約5分」の表記。一体どうして削除されたのか興味があったので、多古城について調べてみることにした。図書館でいくつかの文献を探して分かったことは、多古城は存在したのかどうかもはっきりとしない城で、多古城については僅かな史料と伝承しか残っていない。多古城についての一番古い資料は天保10年(1839年)に脱稿した新編相模風土記稿巻二内に「史蹟、村の中程の山上をいふ。東西二町許、南北四十間。城主の名伝えず。今は陸田なり。」と江戸時代には、すでに城は無く伝承のみが残っているだけ。また、別に白山社の東側にあったとの伝承もあるが、現在の白山神社も昔は山の上の方にあったようなのでやはり多古城跡ははっきりとしない。参考までに白山神社に行ってみたが多古城跡を案内するような標識や看板は無かった。現在、白山神社の東側には白山中学校がある。多古城の築城については荘園時代から室町時代までと諸説あるが、現在まで多古城の存在をうかがわせるような出土品や史料も無く、多古城跡の所在もはっきりとしないので五百羅漢駅の名所案内板から削除されるのも分かるような気がする。

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