多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

自閉っ子の富山旅行

2019-01-28 17:45:10 | 子どものあれこれ
おととしだったと思う。自閉っ子が、「今度の休み、出かける。一晩泊まる」と


支度を始めた。友達の家に泊まる事がそれまでも数回あったし、


給料日前で お金も少なくなっていたので、遠出はしないだろうと私は思い込んでいた。


当日も、リュック一つの軽装である。


「駅で 友だちと待ち合わせする」と いつもと同じ様子だった。


夕方 「これからお風呂入る。その後夕飯」と連絡があり、


私は 「気をつけて帰ってね」と返事をした。


翌日帰宅した自閉っ子。ゴミ箱に捨てられたレシートを見たら、


「富山の名物 OO屋」とある。え?


テーブルの上に置かれたパンフレットを見たら、


「おすすめのお土産!フロントにお申し付けください」とある。


シャワーを浴びて出てきた自閉っ子、


「泊まるって、富山に行ったの?」


「うん。平日だから安かった」と にこにこ。


詳しく聞くと、


安い普通列車を乗り継いで行った


宿は 友だちが予約してくれて、和室で皆で寝た


お金はそんなにかからなかった


との事。しかし富山とは思わなかった。


「泊まったの、海の側?」「うん。」


「じゃあ 夕飯もおさかなだったんじゃないの?」


「大きな 舟盛りが出た。」


偏食は治ったとはいえ、生魚はそんなに食べられないはず。


「魚は少し食べて、後は煮物とか お浸し食べた。」


「お腹空いたんじゃない?」


「うん。だから 仲居さんにメニュー貰って、俺だけ


追加で他の物頼んだ。」


なるほど。自分の好きな物が出ないとわかってても、


友だちと一緒に行きたかったんだ。よく仲居さんに頼む事思いついたなあ、と感心した。


しかし富山に行ってるとは思いもしなかった。


その後は しっかり行き先の確認をしたけれど、レシート見た時はびっくりしました。


夜行バスで USJに行ったり、運賃が安くて楽しめるよう、工夫してます。


こないだは お土産買ってくれたんですが、どこに出掛けていたんだか、


忘れてしまいました。富山よりは 近かったです。









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わが家のSST 続き

2019-01-28 10:02:59 | 子どものあれこれ
自閉っ子の「時間」以外の 躓きは、「人の呼び方」でした。


自閉っ子から見て 私は 「お母さん」


でも、よその方は 私の姓で呼んだり、名前で呼んだりする。


近所の人は「OOくん(夫)のお嫁さん」と呼ぶこともある。


自閉っ子、大混乱でした。


よそのお子さんが、私の事を「自閉君のお母さん」と呼んだ時、


大荒れしました。


自分の「お母さん」を なぜよその子が「お母さん」と呼ぶのか


わからなかったから。


根気よく なんども教えて、伝えていきました。


何とか 理解できた後も、課題は山ほど。


自分と 兄ちゃんの「お母さん」が 私である事は理解できてますが、


友だちのAちゃんのお母さんと Aちゃんのきょうだいのお母さんは別人だと


思ってました。


自閉っ子の頭の中では、


「Aちゃんのおうちには Aちゃんのお母さんと Aちゃんのお兄ちゃんのお母さんがいる」という


認識になっていたので、3人きょうだいのおうちには 子ども一人にそれぞれお父さんお母さんがいて、


「子ども3人と、お父さんお母さんが全部で6人(!)」と思ってました。


うーん。でも 自分でいろいろ考えて 導いた答えですから。


考える事ができるようになった、よそのお子さんやきょうだい、親子関係まで


自閉っ子が関心を持ったというのは 良い事です。


繰り返し繰り返し、教えていくうちに これもわかるようになっていきました。


相手によって、自分の立場が変わるという事も わかるようになりました。


何回教えたらわかるのか、いつになったらわかるのか、という事は


私は 気にせず その時その時の子どもの興味や 課題だと思う事を


自分の出来る範囲で教えていきました。


マニュアルもないし、見通しもないですが、私は


「18歳で 子育て終了」と決めていましたし、その頃にはどちらの子も


「働く大人にする、いや必ずなるだろう」と確信していました。


どちらの子も、医療や教育に関わる人には 悲観的な事を言われましたが、


「うちの子」については 私が一番詳しいので、何を言われても信じませんでした。


「どうやって障害のあるお子さんを自立させたのですか?」と聞かれますが、


今 答えるとしたら、


「自立できないという考えが私にはなかったから」ですかね。


今日も 夫と息子達は元気に出勤していきました。










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