小田急中心の模型のブログ

Nゲージで私鉄電車を楽しむブログです。
旧小田急中心の模型のページ(2003~2014)の製作記も再掲載しています。

元ロマンスカーのABFMを作ろう その1

2023年02月22日 22時10分37秒 | 小田急2200系列
新京成と同じく仕掛りの小田急2300も製作記を書いてみたいと思います。
こちらは実車にまつわる説明は世に溢れているので製作に至る流れだけ。
元はと言えば学生時代の2008年頃、ボナからキットが出たのが始まりだったと思います。
2300形だから23000円?みたいな価格設定で当然手が出るはずもなく
今はなき新宿京王百貨店の鉄道模型売場(ポポンに非ず)に並ぶこの2300形の
特製完成品の出来栄えに目を見張ることしかできませんでした。

時は流れて社会人になって少ししたころ、お給料でなにか記念になるものを買っておこうと思って
これまた今はなき横浜のGMストアーで、かつて憧れた2300のキットを注文したのが今につながってきます。
それから早くも10年以上の月日が流れてしまいましたが、製作自体は2015年頃から始めており、
顔にサフを吹いて磨くところまでは終わっていました。


2021.07
久々に出してきた図。
前面パーツはホワイトメタル製ですが、特徴的な2灯ライトケースの形がやや崩れており
これはいろいろ整形した後の様子です。
ついでに手すりの穴も微妙に位置がおかしかったので、直した気がします。
純正エッチングパーツだと破損したときの補充に不安があるので、
我が家の標準品であるボナのP-089を使えるよう調整してあります。


かっこいい。


たまに取り出しては前面を眺めていたわけですが、
ある時ふと、貫通扉周囲に不揃いな溝があって気になったので
サフを筆で塗り込んで目立たなくしておきました(写真は修整前)


車体とのマッチングを見る。
大体綺麗にはまりそうです。


2022.02
またしばらく間が開いて、ようやく4両箱組した図。
4両全車が細部に差異を持ちますが、少なくとも前面に関しては
ジャンパ栓の有無以外のバリエーションはないようです。
(※厳密には連結器上の切り欠きのみ若干の差異あり→再現してあります)


箱組み当時に並行製作していた上田交通5000と。
このあと新京成→大雄山→相鉄7000と手を付けていたのでずっと放置していますが、
息抜きにまた並行して作業しようかと思わされる良いお顔。


2022.12
また1年くらい間が開いて、乗務員扉脇の手すり穴を開けている図。
乗務員扉の位置が前面に寄っているデハ2301と2303はメタル前面に
穴を開ける必要がありますが、位置が揃わないと見苦しいので
ご覧のように方眼マステを活用してみました。


配管を敷設し始めた図。
この時点ではいつもどおりトレジャーの配管止めを使っているのですが、
実車に比べてごつい印象だったので、結局この後外しています。


数日後改めて配管を曲げ、割ピンで固定した図。
台座を介さず屋根板に直接配管が載っているさまはあまりかっこよくありませんが、
実車の印象はこのほうが近い気がする…。
空気配管はキットのエッチングパーツを用いました。


デハ2301(右)と2303ではこのように配管の位置が逆になります。


パンタは碍子周りの雰囲気が近いTOMIXのPG-16にしました。
パンタ台はボルトが目立たない独特の形なので、ボナのP-145を加工してあります。
余談ながら実車は3扉改造後の昭和40年代前半に雨どいを改修したと思われ、
それと前後して避雷器移設(車体中央部→パンタ台枠に取付)と配管パターンの変更が生じている模様です。
皮肉にもデビュー当初から各種改造前までのほうが資料が潤沢にあり、
晩年は避雷器跡のアース線が辛うじて確認できる以外まったく手がかりなしなのがつらいところ…。


足回りには、以前製作した2200系列と同様に鉄コレを用いるため、
これに合わせた床板止めを用意しました。
なるだけシンプルな構造で精度を保つべく、エバグリの1×2mm角材を縦に2本並べて接着し、
これを側板裾に合わせて接着した後、上辺にご覧のような床板ストッパーを固定してあります。
車体に角材を接着する際には、当然車体裏の瞬着のはみ出しなどを全て平滑に仕上げつつ
双方の接着面を#400で荒らしてからゴム系接着剤で圧着し、強度に配慮してあります。


床板は裾から3.5mmのところでご覧のようにカットしました。
これでちょうどいい車高となります。


床板をセットした図。
肉厚のある鉄コレボディに合わせた床板なので、薄い真鍮車体だとスペーサーが必要というわけですね
(2300形そのものの車幅が広いこともありますが)


今のところここまで。
実際には酸洗いまでして塗装準備まではできているのですが、
なんとこの期に及んでサッシを一部紛失…というかマジで脚が生えてどっか歩いて行ったとしか思えない事象に
直面して製作がストップしているのです。
探せども探せどもマジで見つからないので製造元にパーツ頒布を依頼しており、
進展があるまで足踏みとなりそうです…とほほ。

その他、近況。

2023.01
今回も渋谷IMONの作品展を見てきました。
ハボフさんの明治の列車と並走する拙作相鉄7000系です。


ヒナくんの仙石線と並走する拙作京浜急行1000形です。


今回最高峰の特選となったKE70HF氏のクモヤ440です。
確か雨樋と屋根板の間の隙間埋めてる。
こういう基本工作がパーフェクトなのマジ尊敬します。


今月発売のTMSでさっそく製作記が掲載されたクモハ84。かっこいいですねえ。
作者の方とお会いしたことはありませんが、遥か昔のGMリアルモデルコンベンションで
ハイクオリティな阪神ジェットカーを作っておられた方なのは存じ上げており、
久々に拝見した作品は当時の作風そのままに一切の破たんがありません。
今年はこのレベルに近づけるようにがんばろうと思いました。


2023.01 角筈にて

別の日だけど久々にモデラーズサミットを開催した時の図。
らっきょさんの京浜急行デハ420と小田急2200です。
京浜のオデコは鉄コレから持ってきてるんですって。
プラ積層の削り出しはやってみると案外だるいので、へええー良い事聞いちゃった!!って感じです。
ぼくが1作作る間に10作くらい仕上げてそうな速度感なので、今年はどれほどの往年の私鉄電車に
触れられるのか楽しみです。


トリはツダヌマさんの京阪1700!
思わずうあーーーこれずっと見てみたかったんですよおおおおって年甲斐もなくはしゃぎました。
ナンバーが独特の表記方法をしている登場初期の姿ですね。まだ大阪市内に併用軌道があったんだっけ?
鉄コレ初期の自由形をベースにされたとのことですが、完成形はどこからどう見ても京阪でマジあっぱれです。
こういう工作もできるようになりたいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開運号の生まれ変わりを作ろう その1

2023年02月22日 20時54分48秒 | 新京成電鉄
あけおめです()
目新しい話題はないのですが、
年末記事で取り上げた仕掛りについてまだブログに書いていなかったなあ…ということで、
まずは新京成250の製作に至る経緯などをつらつらと書いてみたいと思います。

直接的な動機は「実車のスタイルが好み」「運よくキットが残っていて買えたから」というものですが、
大栄車両の手による新京成の更新車グループは以前から作ってみたいと思っており、
モハ300やモハ1100といった各型式のキットを少しずつ買い集めていました。
しかし、京成~新京成のこの年代の車両は外板表面からHゴムが出っ張らない独特の構造をしています。
イメージとしてはドア窓のHゴム(鋼体にプレスで凹みを付けてからHゴムを付けてある)に近く、
一般的なエッチングキットのHゴム表現(凸モールド)とはやや印象が異なります。
イエロートレインのキット各種は割り切って単純な凸表現となっており、実車通りのイメージとするべく
Hゴムを削り拡げて内側からはめ込みガラスを添える、モールドを削ってインレタでHゴムを表現する…など
改良策を思案しているうちに数年が経過してしまいました。

そんなある日、調べものをしていると割と年代の新しい車体…たとえばモハ1105やクハ553~554、モハ253~254などは
よくある単純なHゴムの付け方をしていて、キットの表現と矛盾しないことがわかりました。
加えて後者(クハ553~の4連)は京成赤電をずんぐりさせたような800形を更にずんぐりさせたようなスタイルが
魅力的で、Mcの力強さよりTcのすっきりしたいで立ちを好むぼくの嗜好にもピッタリマッチ。
ダメ元で調べてみたら製造元にかろうじてキットの在庫があり、即購入、即着工…という流れを辿りました。

なお、今回製作する編成はクハ553+モハ254+モハ253+クハ554というものですが、
マニアックな新京成の中でもかなりマイナーなプロトタイプなので、簡単におさらいしてみたいと思います(素人説明につき誤りはご容赦を)
従来京成の中古車を導入していた新京成が初めて登場させた新車が250形(モハ251~の編成)というのは有名な話ですが、
今回の編成はその続編として昭和47年末に誕生した編成で、かの開運号・京成1500の譲渡車から流用した足回りに大栄車両製の車体を載せたモノ。
東急製の車体を載せたモハ251~の編成とは細部にわたってさまざまな違いがあったようです。
登場初期には4両単独で用いられることもあったようですが、比較的早期に他車と連結した姿が多くみられるようになり、
晩年はモハのパンタが撤去されたりクハが中間封じ込めになるなど影の薄い存在となった末、昭和62年に短い生涯を終えたとのこと。
余談ながら大栄車両はこの553編成以降しばらく新造車体の製作から遠ざかっており、次は約20年後の京成3400まで間があったようです。


2022.03

窓周りのスッキリ感がうれしいプレス前面なので、強度を考慮して半田付けしました。
オデコは普段ならプラ積層ブロックに頼るところですが、イエローのロスト部品は謎に柔らかい?ので
削りやすく、1灯ライト用オデコを別途手配の上用いることにしました(写真は固定前)


継ぎ目を仕上げた姿。
ここで注意したいのが三面折妻のエッジを崩さないことです。
実車は明るい車体色と広いおでこのおかげでここのラインが非常によく目立つので、
完成後も丸妻でなく折妻なのだとわかる仕上がりを目指したいと思いました。


4両箱にした様子。
妻面の昇降ステップは103系ユニットサッシ車を彷彿させる独特の形態をしており、
ボナのEVO用手すりを流用して再現すべく、説明書の指示は無視して穴あけしてあります。


キットは2灯化後をプロトタイプとしていますが、ぼくはあくまでもデビュー当時がやりたかったので
1灯用オデコ(イエローMP-862)と砲弾型ライト(MP-853)を用いました。
オデコのライト用窪みは白熱灯ライトに合わせたサイズなので、プラ材で適宜調整してから
シールドビームライトを載せました。


新しい試み。
床板支持と強度アップを狙って車体裾にアングル材を半田付けしてみました。
これはTMS893号のモデルワム製東武7800製作記から着想を得たもので、
床板組込前における車体中央部の弱さ(手で掴むうちに凹型に変形することもある)を解決しようというものです。
もっとも、お手本の東武は真鍮厚板をくり貫いて枠状にしたものを半田付けしており
車体コーナー部の亀裂防止をも両立させるものでしたが、初めての取り組み故
市販型材の流用で容易に取り組める側面の補強からトライしてみた次第。


t1.0の自作床板を組み込んだ図。
アングルをもう少し上に付ければ床板を厚くすることができますが、
アングルを車体裾に揃えて位置決めを容易にしたかったのと、床板に長手方向の梁を接着すれば
問題ないはず…という理由からこのようになっています。

なお、製作当時Twitterにアップしたところ実車はキーストンプレートではなく平鋼板であった旨、
ご教示いただいたので床板はプラ板で作り直す予定です。


実車はuD-16なる台車を履いており、これは日車製のD-16に対して梅鉢(→のちの帝車)製を指すものだとか。
軸距が2400mmあり、GMのD-16(GMのアレンジにより2000mm相当になってしまっている)だと
小ぶりすぎるのでDT11(軸距2450mm)を履かせてみた図。
デビュー当時は平軸受なので、その点からも好都合なのですが、何とも言えず立派すぎる感。


2023.02
迷った末、寸法よりもイメージを優先してD-16を使うことにしました。
久々に掘り出してきたところ、オデコの継ぎ目が消しきれていなかったので修整中の図。
ついでにロストのオデコが250にしては角張っているのも気になったので丸く削ったりしています。
今のところここまで。


実車の資料について。

私鉄電車のアルバム第4巻(愛蔵版だとP352~353)にも載っていますが、
今回主に教本としたのはこの2冊。
553編成については大栄製なのでかなり詳しく取り上げられており、関心のある人は必読と言えます。


大風呂敷…
新京成は
45形
126形
300形
1100形
250形

京成は
100形(正面5枚窓時代)
200形
クハ2000形
750形
210形
3500形更新車
を作りたいと考えています。


たのしいけいせいでんしゃ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする