小田急中心の模型のブログ

Nゲージで私鉄電車を楽しむブログです。
旧小田急中心の模型のページ(2003~2014)の製作記も再掲載しています。

旧作をなぞって・・・小田急2100形

2019年02月17日 23時36分34秒 | 小田急中型車(ABF車)
最新クオリティの小田急の次は、回顧編です。
製作記は相当過去のものもこのブログにまとめてありますが、
ホームページ時代に製作記を書かず完成作例のみ公開していたものは
閉鎖時に消えたままだったなあということで、
現存する作例を引っ張り出してきた次第。


H19年3月竣工 2103×2

ややマニアックな車なので、まずは簡単に実車の紹介を。
S28年デビューのいわゆるカルダン車登場前夜の車で、ノーシル・ノーヘッダーの軽量車体
かつ足回りは1600形からの流れを汲むツリカケ駆動という構成です。
OERではあくまでもツリカケ車としか連結しませんでしたが、
お隣KTRの2700あたりととても似た立ち位置と言えます。
試作的要素が強く2101×2~2104×2の2R8両のみの存在ですが、
ざっくりまとめるとデビュー当時には下記のような形態差がありました。

2101×2(川車)
2102×2(川車)
屋根R:大変深い
ドア窓:淵なし
内装:ビニール張り

2103×2(日車東京支店)
2104×2(東急)
屋根R:浅い(FMに近似)
ドア窓:Hゴム支持
内装:デコラ張り

日車・東急分はのちのFMシリーズにやや近い形態をしており、
それをクロポのFMキットをベースにまとめたのが今回の作例というわけですが、
OERマニア諸氏はご存知のように、2100とFMの車体はあくまでも別物です。

大まかには客扉間が2100形は4170mmに対しFMは4100mm、全長は17000mmで変わらないので、
そのしわ寄せを乗務員扉うしろで吸収している(2100のほうが狭い)というのがポイントです。
また客窓の幅も10mmほど違えば窓隅のR有無、更には妻窓まで異なります。前面は言わずもがな。
正確に作るならば自作したほうが望ましいのは当時でもわかっていましたが、
お手軽に2100の雰囲気を楽しんでみたい気持ちが勝りました。

余談ですが、そもそもの製作のきっかけは実車への関心もさることながら
GMストアーでFM系のキットが格安にて販売されていたこともあります。
H18年の初売りアイテムとしてリリースされたものの、その年の9月に鉄コレが出たせいか
暮れには7割引となり、定価ならば怖くてとても挑戦できない改造に踏み切れたというわけです。
むろん、バイトすらしていなかった少年時代のできごとで格安といえども1箱が限度。
ならば2両でまとまる初期の姿に仕立ててみよう・・・なんならあまり作ったことがない茶色で、
前面方向幕を埋めなくても良いS37年ごろの仕様に・・・とひたすら消去法でプロトタイプが決まりました。


H19.02.08
クロポから名鉄5300用としてFS315が出たことも製作の後押しになりました。
これはOERのFS14ととても良く似ており軸距も2300mmとピッタリ。
後年2100から台車を流用した荷電も含め利用価値大の台車です。

窓隅のRをカッターで削るのは精度の面から気が進まず、
一端サッシをすべて削ってから角窓化し、プラ板をはめ込んで
中央をくり抜き→中桟を後付けして窓枠ごと作り直すことにしました。
上記のような時代設定だと木製窓枠の時代となり、
銀を載せなくて済む(=粗が目立ちにくい)上に多少太くてもそれらしく見えるのが好都合でした。


H19.02.26

前面窓も側面と同じ工法で木枠化。
ライトはタヴァサのクモユニ81用だったかな。
乗務員扉のうしろの違いはさすがに無視できず、
きちんと切り継ぎました。
客扉間が長いのは再現できていないので、
全長が若干短いです。


H19.03.16
ディテールを付けると2100らしくなってきてうれしい。
いま同じことをやろうとは思いませんが、
なんとなくおおらかで、これはこれで作ってて楽しかったな。

H17年~H19年にかけて小田急電車回顧っていう横長の本が出版されて、
従来お目にかかれなかった貴重な写真が1ページ1枚の特大サイズで
見られるようになりディテール工作が飛躍的にやりやすくなりました。


H19.03.20
この年の夏にエアブラシを導入したので、
まだ缶スプレーで塗っていました。
GMのぶどう色2号を使いました。



単色なので、検査表記を入れたところ一気に引き締まった。
レタリングって疎かにできないなあと思った記憶。
1600あたりと連結して走らせようと考えていたので、
デハ2103はボディマウントTN化してあります。
クハのほうは連結するつもりはなく見栄えを揃える意味で
ダミーの胴受けにカプラー本体だけTN。

急行灯をプラ材で切り出して作っているあたりが当時をしのばせます。



切り詰めた乗務員扉うしろ。
完璧じゃないけど2100には見えるでしょって思った。
台車枠はキサゲ刷毛で表面を荒らしてからマッハのシールプライマーを筆塗りしたっけ。
床下機器もまあまあ似てるものをそれらしーく並べてあります。



FMはこんな感じ。
これを京急1000から作れっていう時代からすれば微々たる違いかw
はじめてあのキットを手にした中1の夏でも
さすがにそれは無理だと思ってプラ材で天地を詰めようとしたなあ。
結局パテ処理がめんどくさくなって、側板ごとプラ板で自作した記憶。



2100の魅力のひとつが、軽量車体×クハの軽快感。
FMはオールMだからこの雰囲気がないのですね。
今一度作ってみたい。今度は晩年仕様で・・・。



妻板はFMのまま。
但し資料が揃わず配管を省略したので、
妻板も配管なしで。

のちのち知りましたが、2100の妻窓は側面と同じく木枠です。



独特な避雷器はキットのパーツを横倒しにして簡易表現。
わざとゲートと取り付け足を残して、配線の引き込み部分っぽく見せるアイデア。
パンタは板バネ時代のGM製ですが、バネがほとんど機能してなくて
今回撮影するにあたってなかなか上がらず苦労しました。
古の名著、Nテクマニュアルにはカプラーポケットから外したスプリングを
半分に切って仕込め~とかアイデアが載っていましたが、
あれはあれで台座ごと屋根板から浮き上がっちゃったりしてうまく真似できなかったな。


ちょうど茶色からツートンへの過渡期にあたる時代設定なので、
1601×2(H26年2月竣工)と繋いで遊ぶのもありなことに気付いた。
例によって両側ともダミーカプラーなのでTN化が必要ですが・・・。
この時代の花形、HEもやり直したいところ。。



古いOERマニアで語り草となっているのが
光沢のある茶色い2100のオデコに青空が映り込んで独特の紫に見えた、というおはなし。
この画像はうまく真似できなかったけど、
磨き込んだマルーンの革靴を良く晴れた冬の朝に履いた時まさにそんな色に見えて、
ははーこんな感じだったのかと思った次第。
いつの日かカラー写真が出てきたりしたら嬉しいなと思います。
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OER1600完成・・・鉄コレで作った場合。

2014年03月25日 20時48分42秒 | 小田急中型車(ABF車)


鉄コレをベースにディテール修正を加えた1600形です。
粗い部分が多くかなり不満が残りますが、
とりあえず形になりました。
主な加工点は下記の通り。

1.クハの前面妻面の雨樋を円弧状に
2.ディテールアップ
3.クハの台車製作(MD-5A:後述)

実車はデハとクハで全長が異なる(クハのほうが長い)のですが、
鉄コレ版はあっさりとまとめるつもりだったため、妥協しました。
デハのリベットも、当初はレタリベットで頑張りかけましたが、
結局こだわり版はキッチンで作ったほうが総合的に見て得策と判断。
従って現状ではさながら全溶接車体の様相を呈しています。

プロトタイプは昭和39年ごろの1601×2で、
前年くらいにツートン化されました。
デハは昭和17年デビューの郊外私鉄型を昭和33~34年に近代化改造したもの、
クハは同年に木造客車の台枠利用にて作られた車を、昭和33年に
丸ごと新造車体に載せ変えたものです(旧車体は碑文谷で改造し上田丸子へ流れました)
クハ1651は更新から間もなくMD-5なる試作台車を
空気バネ化したMD-5Aに履き替え、恐らく晩年までそのままだった模様です。




前面拡大。
今回は貫通扉がつるつるの近江をベースに工作しているため、
行灯方向幕はCPのFM用をやや薄く削って付けています。
鉄コレオリジナルの小田急は行灯がやや薄すぎるように見える為、
リアルさを求める向きにはオススメの構成(但し台車は別途手配の必要有)

クハの円弧状の雨樋はこの部分のみプラ材で付け直しています。
手すりは2両とも大型ですが、ヨコの棒の伸びる位置に特徴があります。
また、1654以降のいわゆる昭和28年増備分はHE等に似た小型タイプの模様です。
運転台側に丸急板のコスレ跡が付くのはこの時代のお約束。




クハ全体像。
デハに比べるとなんとなくバランスの悪いルックスが印象的な車です。
この角度だと、乗務員扉周りの加工成果もわかります。
デハに比べて天地が大きい扉の上にヘッダーが回りこむのがクハの特徴です。



1651の特徴たるMD-5Aはベースの近江が履いていたTR-23?から
不要部分を削除の上、FS356の揺れ枕を移植して再現しました。
あくまでも簡易的な作りながら、長い軸距による存在感は中々のものです。
昔TR50でお茶を濁した事がありましたが、あれとはまるで異なります。



但しその長い軸距のおかげでオーバーハングが極端に短くなるので、
ボデーマウントTNの取り付けには一考を要しました。
ケーシングがほぼ機能しなくなるので、連結器本体に真鍮線によるピンを串刺しし、
先端を曲げた上でゴム系接着剤の補強をしてあります。



クハの話ばかりになりましたが、デハも一応配管を引きなおしています。
前回製作記事にて触れたとおり、1600の基本配置とはかなり異なると思われ、
母線がかなり後方まで延びているのは確かです。
あまり鮮明な写真がないので、めんどくさいのが嫌な人は
1601×2は避けたほうが無難かもしれません。
てか避雷器付けてないやw



概ね昭和30年代前半に更新された方々。
Hゴムを多用したスタイリングが時代ですね。
ちなみに、デニが赤くなったころ(しかも当初は帯なし)には
経堂の教習車を除いてツートン自体が消滅しているはずなので、
この3色並びはなかったはずです。
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鉄コレでABF。

2013年09月20日 23時32分54秒 | 小田急中型車(ABF車)


ツイッターに書いていたとおり、春ごろから鉄コレベースにて
1600製作中でしたが、現状こんな感じに。
上モノは概ね出来上がりで、下回りはとりあえず撮影用にセットしただけ~な
状況です。
こうして出来上がってくるとそんなに悪くもないかななんて思いますが、
デハにリベットがない(レタリベットで頑張りかけたけど手間と効果が比例せず中止)
とか、クハの長さが短い、とか何より予想以上に手間がかかる・・・等々不満が幾つか。
なので、当初は2+2の4連で進めてましたが、ディテーリングの段階で1601×2のみに
絞りました。片割れ2連はいずれ茶色にするか、クハだけ1658にするか、ですね。

手すりはCPのFM用のうち大型タイプ。ヨコの棒の位置を替えればほぼドンピシャなんじゃないでしょうか。
FM用にしては角張っているのも1600に使うにはプラスです。
急行灯はキッチンの角型で、0.2の真鍮線でケーブルを付けました。
中々細密感が増すのでオススメデスヨ。
ヘッドライトはタヴァサのプラパーツを仮付け中。追って塗ります。



資料がなくて困った屋上。
走行写真とフクシマ模型の完成品と推測にてこんな感じに。
避雷器はまだ付けてない。
パンタは下地処理のサーフェイサーがしっくりきたので
なんとなくグレーにしちゃったけど、銀かもね。



反対側。
あれ?って思った方は鋭い。
1600の基本パターンとはぜんぜん違います。
母線はランボードの真ん中くらいでパンタに引き込まれるのが本来です。
でも今回のプロトタイプである1601は、どう見てもランボードの後ろのほうまで
配管が這っている写真があったので、推測でこんな感じに。




ランボードの下に配管を通す必要上、脚はトレジャーの2mm手すりにて作り、
塗装後にエバグリのプラ材によるランボード本体を載せてあります。




その他のランボードも脚こそ簡略化(市販のプラランボードの千切り)したものの、
やはり本体は後付けとすることで色が回るようにしました。
ただ、脚はあくまでもランボードの色になるほが本当なので、
上モノを載せたあとにチョコチョコ色を差す必要がある。

ベンチレーターはキッチンの湘南大型タイプ。
通風孔のディテールはいいのですが、側面のバリというかパーティングラインというかが
凄まじく、整形に手間取りました。脚のあたりがまだボテっとしてる。
GMのクハ85用のほうがスッキリするかも。




クハの顔。
あんまりかっこよく出来なかった。
この色で大型手すりをつけてるのは1651~1653・・・すなわち旧車体からの
更新組だけっぽい?
今回は手持ちの手すりの都合上強制的にこのタイプになりました。
1651だから、台車もMD-5を空気ばね化したやつにせにゃなりませんが、
これはまた追って。
前に作ったときはTR50でお茶を濁してましたが、もっと軸距がありそう?
ってことでTR11ベースでの工作を検討中。

細かいところでは運転台側の腰板に種別板とのコスレ跡をつけた。
この時代のお約束ですね。
ちなみに塗装はMr.カラーのキャラクターイエローとブルーFS15044です。
ブルーは元々GMの近鉄ブルーを使っていたのですが、深みのある色に
惹かれて変えてみた。
悪くはないのでしょうが、心なしか1950年代の雰囲気を髣髴させ、
えらく古めかしく見える印象。




デハは動力を入れているので、内装はクハのみ。
床の色がわからなかったのですが、1900の晩年は木製床だったようなので、
恐らく1600も・・・と推測して茶色に。
ただ、クハ1651~1653は更新時に丸ごと車体を載せ替えている・・・
すなわち上ものは丸ごと昭和33年製なので、もしかすると淡緑かも・・・。



新旧交代の図。
HBと比べてやや引退の早かった感のある1600ですが、
それだけ大型車への切り替えが喫緊の課題だったという事なのでしょう。




もう一枚。
生え抜きの郊外私鉄型と私鉄のロクサン型、巨大ボデーの新鋭大型車。
それらが不思議と共存する1960年代への興味は尽きません。

春に完成の1800と合わせて、ポツリポツリですが「今水準」の小田急旧型車が
揃ってきました。年内は難しいとして、年度内にもう1本くらいは・・・?
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