***この製作記は2005年11月から2006年5月にかけて、
本サイトへアップしたものです。当ブログに移転の上掲載を継続します。
なお、完結済み製作記の為今後の新規更新はしません。2011.10.05***
■小田急1400形製作記(旧客キット改造版)その2■
2006年1月5日
1両目を組み立てました。
屋根板は色々迷いましたが、キットの物を使うことにしました。
しかしそのままでは形状が違うので中央部分の裏に筋彫りをして
軽く曲げ、肩の部分は0.5ミリほど切り詰めた上で整形しました。
ここで切り詰めるのは形を整えるという意味もありますが、
今回は車体幅をキットの妻板より少し狭く作ることにしたので
それに合わせる為でもあります。
前面に繋がるおでこ部分は以前製作した1600形1601Fの時と
同様、プラ板を積み重ねて作ったブロックを削り出して製作しました。
カッターで大まかな形を作った後紙ヤスリで整形し、
パテや瞬着で傷を埋めた上で再度整形してあります。
前面と妻板はプラ板で自作しました。
色々考えた末、今回は時代設定を昭和33年ごろとしました。
当時の写真を見てみると後にHゴム支持となった
貫通扉の窓はまだ木枠(か?)で、行き先表示も
箱状の表示機ではなく板による表示だったようなので、
その通りに作りました。
外張り、窓枠・貫通扉兼内張り、貫通扉の窓枠という
3枚重ねにしました。妻板もほぼ同様のつくりです。
近いうちに雨樋を取り付け、乗務員扉も作ってはめ込みたいと思います。
---
2006年1月15日
先日組み立てた車体に細かな部品を付け始めました。
シル・ヘッダーは苦手な切り継ぎ工作のせいかどうもくっきりしてない
ので一旦全部削ってしまい、タミヤの0.2ミリ透明プラ板で
付け直しました。しかしシル・ヘッダーどちらも太すぎましたね・・・。
雨樋もプラ板の細切りで作って巻き、縦樋と貫通扉脇手すりも
0.4ミリ真鍮線から作って取り付けました。
縦樋は0.3ミリドリルで開けた穴にボナの割ピンを差し込み、
その輪っかに適当に切った真鍮線を通した後瞬着で固定しました。
手すりはかなり太いですが、これは使うドリルを間違えたのか
取り付け穴が妙に大きくなってしまったこと(修正めんどくさい)と
強度を考え0.4ミリにしました。シルといい手すりといい
太すぎるものばかりでやたらとごっつい車体になってきました・・・。
なお、もう一両は側板がほぼ出来上がってきたので、近いうちに
前面や屋根板を作って組み立てる予定です。
床板はスハ44キットの物の幅を少し詰め、切り継いで
短縮して使うことにしました。切り継ぎ部分周辺ではこのように
モールドを削ってそこにプラ板を貼り、補強しています。
車内側からも同じように補強しています。なお、台車は仮のものです。
---
2006年2月5日
2両目の箱組みが済み、シル・ヘッダーや雨樋の取り付けを
始めました。当たり前ですが材料は1両目と同じです。
全体的にちょっと荒っぽくなったのが残念です。
まぁ、あと一息で塗装という段階まで
進んだので頑張りたいと思います。
---
2006年3月2日
先に組み立てた方の車体が完成しました。
配管工作をする気力がなかったので1両目はクハとしました。
塗装はもちろん茶色一色です。お手軽にGMのぶどう色2号を
吹き付けました。屋根は、当時のカラー写真を見ると非常に濃い色に
見えるので、思い切って黒を塗ってみました。
実車とはちがうと思いますが、思ったよりとんでもない
印象にはならずに済みました。妙に艶があるのが不自然ですが・・・。
ベンチレーターとランボードは屋根とは違う色を塗ってみましたが、
これはもっと濃い色のほうが良さそうです。塗り分けも雑で、
かなり失敗です。ベンチレーターは重ねたプラ板を
削り出して自作し、ランボードは予め屋根板に取り付け穴を開け、
それに合わせて真鍮線をコの字型に曲げたものを脚とし、
そこにプラ板の細切りの本体を載せて出来上がりですが、
脚の仕上がりに非常にバラツキがあり、本体が波打っています・・・。
ヘッドライトは手もとにあったGMキットの余りです。前面の標識灯は
今回製作する時代の場合ガイコツ型だったようなので、
その通りに製作しました。台車・胴受けはトミーテック
鉄道コレクションの鶴見臨港タイプ電車から外したものを
使いましたが、台車はちょっと小さいかなという感じもします。
今回は昭和30年代前半頃の時代設定とした為、
前面の行き先表示は箱型の表示機ではなく「板」です。
いつも通り鳳車輛製造の小田急用ステッカーから、
水色がきれいな模様入りの江ノ島行き(夏の多客時に使用?)の
ものを選んで予めプラ板製のベースに貼ったうえで取り付けました。
カルダン車に混じってまだ戦前型もばりばりに活躍していた頃の
雰囲気です。
ガイコツ型の標識灯には銀と黒を混ぜた色を色差しして
レンズを表現しました。
側面全体のようす。近くで見ると粗が目立ちますが、
これくらい離れてみると一応なんとかHBに見えなくもないかなという
感じです。
屋根上の工作の雑さは離れてもよくわかってしまいますが・・・。
HB車の特徴でもあった窓ガラス内側の鎧戸も再現してみました。
---
2006年4月14日
デハの車体が大体形になったので、屋根周りの工作を始めました。
先に完成したクハではベンチレーター・ランボード共に自作部品を
使っていましたが、不満の残る仕上がりだったので、
2両目では市販パーツを最大限に活用し完成済みの1両目も
それに合わせて改造することにしました。
ベンチレーターはGMのT型(ガーランド型搭載の相鉄電車を作ると
沢山余るので好都合)を使うことにしましたが、実車のベンチレーター
はもう少し幅が狭く細長いものだったようなので、資料を参考に幅を
詰めて使いました。
ランボードの脚は本来細い柱状のもので本体の下がスカスカな
印象なので、先に完成したクハでは真鍮線をコの字型に曲げて
いましたが、これが上手くいかなかった為今度はいつものように
GMのランボードパーツを薄くスライスし、それを5ミリ間隔で2列
接着しました。
この後その2列を繋ぐように枕木方向にプラ板の細切りを載せて
実車の独特の脚を再現したつもりですが、やたらと太く実車の雰囲気
とはかけ離れた物となってしまったのが残念です。
最後にランボード本体(0.3ミリプラ板の細切り)を載せてとりあえずは
出来上がりです。
このような角度から見るとベンチレーターの幅が狭くなっているのが
お分かりいただけると思います。
(屋根と同じ色でちょっとわかりづらいですが・・・)
あとはパンタグラフ周りの配管などを済ませれば塗装に入れそうです。
---
2006年5月26日
前回の更新からだいぶ間が開いてしまいましたが、この製作記も
今日で何とか完結です。
・・・といっても、めでたく2両編成が出来上がったというわけではなく、
ご覧の通り二色塗装の電車が1両きり。
というのも、実は前回の更新でアップしたデハの車体を塗装したところ、
初歩的なミスをやらかしまして、更に色がついたことで車体各部の
作りの雑さがもろに目立ってしまい、一気にやる気が萎えてしまった
のです・・・。連結相手となるクハは既に完成済みでしたから、
どうしようかと色々考えたのですが、ダメになったデハ車体を地道に
修復する気力はなく、結局完成済みのクハを加工・塗装変更して、
昔(60年代後半~80年代後半ごろ?)経堂においてあったという
教習車に改造することにしました。とても締りの悪い終わり方
ではありますが、とりあえずこれで一応は完結させることができました。
種車がクハなので、主な加工点は屋根上と床下に集中しています。
屋根上はランボードを丸ごと取り替え、パンタを載せ、
床下は機器類を総取り替えし台車を日車D型としました。
このほかには、晩年仕様とするため前面貫通扉窓を
Hゴム化し、箱型の行き先表示機も取り付けました。標識灯も
ガイコツ型から箱型のものへと交換しています。
塗装は少し前に製作したFM車に使って非常に満足したMr.COLORの
キャラクタイエロー+GM近鉄ブルーという組み合わせです。
前面周辺の様子。
中々エグいことになっていますが、一枚も顔の画像を貼らないと
いうのもあれなので、敢えてアップさせていただきます。
塗り分け線が斜めってるのは塗り分けの境目となるウィンドウシルが
斜めになっているためと思われます。
茶色一色塗装のときには多少目立ちにくくなっていましたが、
こういう塗装になるとバレバレですね。お恥ずかしい(^^;
****************************************
改めて見てみるとこの製作記を書き始めたのは去年の11月。
半年近くかけたというのになんとも情けない終わり方でお恥ずかしい限りですが、
とりあえず形にならずお蔵入りにならずに済んだのがせめてもの救いでしょうか・・・。
一応完成はしたものの、仕上がりに不満が残っているのは確かなので、
いずれ再チャレンジしたいと思っています。
本サイトへアップしたものです。当ブログに移転の上掲載を継続します。
なお、完結済み製作記の為今後の新規更新はしません。2011.10.05***
■小田急1400形製作記(旧客キット改造版)その2■
2006年1月5日
1両目を組み立てました。
屋根板は色々迷いましたが、キットの物を使うことにしました。
しかしそのままでは形状が違うので中央部分の裏に筋彫りをして
軽く曲げ、肩の部分は0.5ミリほど切り詰めた上で整形しました。
ここで切り詰めるのは形を整えるという意味もありますが、
今回は車体幅をキットの妻板より少し狭く作ることにしたので
それに合わせる為でもあります。
前面に繋がるおでこ部分は以前製作した1600形1601Fの時と
同様、プラ板を積み重ねて作ったブロックを削り出して製作しました。
カッターで大まかな形を作った後紙ヤスリで整形し、
パテや瞬着で傷を埋めた上で再度整形してあります。
前面と妻板はプラ板で自作しました。
色々考えた末、今回は時代設定を昭和33年ごろとしました。
当時の写真を見てみると後にHゴム支持となった
貫通扉の窓はまだ木枠(か?)で、行き先表示も
箱状の表示機ではなく板による表示だったようなので、
その通りに作りました。
外張り、窓枠・貫通扉兼内張り、貫通扉の窓枠という
3枚重ねにしました。妻板もほぼ同様のつくりです。
近いうちに雨樋を取り付け、乗務員扉も作ってはめ込みたいと思います。
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2006年1月15日
先日組み立てた車体に細かな部品を付け始めました。
シル・ヘッダーは苦手な切り継ぎ工作のせいかどうもくっきりしてない
ので一旦全部削ってしまい、タミヤの0.2ミリ透明プラ板で
付け直しました。しかしシル・ヘッダーどちらも太すぎましたね・・・。
雨樋もプラ板の細切りで作って巻き、縦樋と貫通扉脇手すりも
0.4ミリ真鍮線から作って取り付けました。
縦樋は0.3ミリドリルで開けた穴にボナの割ピンを差し込み、
その輪っかに適当に切った真鍮線を通した後瞬着で固定しました。
手すりはかなり太いですが、これは使うドリルを間違えたのか
取り付け穴が妙に大きくなってしまったこと(修正めんどくさい)と
強度を考え0.4ミリにしました。シルといい手すりといい
太すぎるものばかりでやたらとごっつい車体になってきました・・・。
なお、もう一両は側板がほぼ出来上がってきたので、近いうちに
前面や屋根板を作って組み立てる予定です。
床板はスハ44キットの物の幅を少し詰め、切り継いで
短縮して使うことにしました。切り継ぎ部分周辺ではこのように
モールドを削ってそこにプラ板を貼り、補強しています。
車内側からも同じように補強しています。なお、台車は仮のものです。
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2006年2月5日
2両目の箱組みが済み、シル・ヘッダーや雨樋の取り付けを
始めました。当たり前ですが材料は1両目と同じです。
全体的にちょっと荒っぽくなったのが残念です。
まぁ、あと一息で塗装という段階まで
進んだので頑張りたいと思います。
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2006年3月2日
先に組み立てた方の車体が完成しました。
配管工作をする気力がなかったので1両目はクハとしました。
塗装はもちろん茶色一色です。お手軽にGMのぶどう色2号を
吹き付けました。屋根は、当時のカラー写真を見ると非常に濃い色に
見えるので、思い切って黒を塗ってみました。
実車とはちがうと思いますが、思ったよりとんでもない
印象にはならずに済みました。妙に艶があるのが不自然ですが・・・。
ベンチレーターとランボードは屋根とは違う色を塗ってみましたが、
これはもっと濃い色のほうが良さそうです。塗り分けも雑で、
かなり失敗です。ベンチレーターは重ねたプラ板を
削り出して自作し、ランボードは予め屋根板に取り付け穴を開け、
それに合わせて真鍮線をコの字型に曲げたものを脚とし、
そこにプラ板の細切りの本体を載せて出来上がりですが、
脚の仕上がりに非常にバラツキがあり、本体が波打っています・・・。
ヘッドライトは手もとにあったGMキットの余りです。前面の標識灯は
今回製作する時代の場合ガイコツ型だったようなので、
その通りに製作しました。台車・胴受けはトミーテック
鉄道コレクションの鶴見臨港タイプ電車から外したものを
使いましたが、台車はちょっと小さいかなという感じもします。
今回は昭和30年代前半頃の時代設定とした為、
前面の行き先表示は箱型の表示機ではなく「板」です。
いつも通り鳳車輛製造の小田急用ステッカーから、
水色がきれいな模様入りの江ノ島行き(夏の多客時に使用?)の
ものを選んで予めプラ板製のベースに貼ったうえで取り付けました。
カルダン車に混じってまだ戦前型もばりばりに活躍していた頃の
雰囲気です。
ガイコツ型の標識灯には銀と黒を混ぜた色を色差しして
レンズを表現しました。
側面全体のようす。近くで見ると粗が目立ちますが、
これくらい離れてみると一応なんとかHBに見えなくもないかなという
感じです。
屋根上の工作の雑さは離れてもよくわかってしまいますが・・・。
HB車の特徴でもあった窓ガラス内側の鎧戸も再現してみました。
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2006年4月14日
デハの車体が大体形になったので、屋根周りの工作を始めました。
先に完成したクハではベンチレーター・ランボード共に自作部品を
使っていましたが、不満の残る仕上がりだったので、
2両目では市販パーツを最大限に活用し完成済みの1両目も
それに合わせて改造することにしました。
ベンチレーターはGMのT型(ガーランド型搭載の相鉄電車を作ると
沢山余るので好都合)を使うことにしましたが、実車のベンチレーター
はもう少し幅が狭く細長いものだったようなので、資料を参考に幅を
詰めて使いました。
ランボードの脚は本来細い柱状のもので本体の下がスカスカな
印象なので、先に完成したクハでは真鍮線をコの字型に曲げて
いましたが、これが上手くいかなかった為今度はいつものように
GMのランボードパーツを薄くスライスし、それを5ミリ間隔で2列
接着しました。
この後その2列を繋ぐように枕木方向にプラ板の細切りを載せて
実車の独特の脚を再現したつもりですが、やたらと太く実車の雰囲気
とはかけ離れた物となってしまったのが残念です。
最後にランボード本体(0.3ミリプラ板の細切り)を載せてとりあえずは
出来上がりです。
このような角度から見るとベンチレーターの幅が狭くなっているのが
お分かりいただけると思います。
(屋根と同じ色でちょっとわかりづらいですが・・・)
あとはパンタグラフ周りの配管などを済ませれば塗装に入れそうです。
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2006年5月26日
前回の更新からだいぶ間が開いてしまいましたが、この製作記も
今日で何とか完結です。
・・・といっても、めでたく2両編成が出来上がったというわけではなく、
ご覧の通り二色塗装の電車が1両きり。
というのも、実は前回の更新でアップしたデハの車体を塗装したところ、
初歩的なミスをやらかしまして、更に色がついたことで車体各部の
作りの雑さがもろに目立ってしまい、一気にやる気が萎えてしまった
のです・・・。連結相手となるクハは既に完成済みでしたから、
どうしようかと色々考えたのですが、ダメになったデハ車体を地道に
修復する気力はなく、結局完成済みのクハを加工・塗装変更して、
昔(60年代後半~80年代後半ごろ?)経堂においてあったという
教習車に改造することにしました。とても締りの悪い終わり方
ではありますが、とりあえずこれで一応は完結させることができました。
種車がクハなので、主な加工点は屋根上と床下に集中しています。
屋根上はランボードを丸ごと取り替え、パンタを載せ、
床下は機器類を総取り替えし台車を日車D型としました。
このほかには、晩年仕様とするため前面貫通扉窓を
Hゴム化し、箱型の行き先表示機も取り付けました。標識灯も
ガイコツ型から箱型のものへと交換しています。
塗装は少し前に製作したFM車に使って非常に満足したMr.COLORの
キャラクタイエロー+GM近鉄ブルーという組み合わせです。
前面周辺の様子。
中々エグいことになっていますが、一枚も顔の画像を貼らないと
いうのもあれなので、敢えてアップさせていただきます。
塗り分け線が斜めってるのは塗り分けの境目となるウィンドウシルが
斜めになっているためと思われます。
茶色一色塗装のときには多少目立ちにくくなっていましたが、
こういう塗装になるとバレバレですね。お恥ずかしい(^^;
****************************************
改めて見てみるとこの製作記を書き始めたのは去年の11月。
半年近くかけたというのになんとも情けない終わり方でお恥ずかしい限りですが、
とりあえず形にならずお蔵入りにならずに済んだのがせめてもの救いでしょうか・・・。
一応完成はしたものの、仕上がりに不満が残っているのは確かなので、
いずれ再チャレンジしたいと思っています。