小田急中心の模型のブログ

Nゲージで私鉄電車を楽しむブログです。
旧小田急中心の模型のページ(2003~2014)の製作記も再掲載しています。

2020年 模型的トピックたち

2020年12月30日 23時18分49秒 | 雑記
今年は割と更新しましたね。


主にこれのおかげです。
今年の竣工実績はこの4両のみとなりました。
課題は多々残しましたが、私が思い描く6000系の顔にはなったかな。
せっかく急行灯をクリアパーツ化したので、LEDモジュールを
組み込んで光らせたい。


2018年作のOER5000とともに。
作りたいものはいろいろあるけれど、「いつか必ず」の核心は
やはり小田急と相鉄だなーと思う。


新6000と旧5000、どっちからやろうかな?
前者はほほえみ号、後者は丸目テールの1次車がやりたいな...(自らハードルを爆上げするスタイル)


20m化過渡期の相鉄はさながら色見本帖のごとく...
この時代と、新7000が出たくらいのグラフィックカー全盛期が好き。


かっこいい153系の製品化でこんな光景ができるようになった。
かっこいいですが、私が買ったのは塗装がやや乱れ気味なので、
塗り直してやりたいなと思っています。
修善寺行きの5両だけだから配管も1両だけ!


買ったものつながりで。
配管もないしその気になればさくっとカタチになりそう(言うだけ)


これも4両だけだけど買ってしまった。
妻の帯を塗って修繕当初の姿にしたいなーとか思っている。


鉄コレベースで8191Fを作ったときにちょっと凝ってみたエアタンク周りも、
ご覧のとおり鮮やかなモールドで再現されています。


特にうれしかったのが主抵抗器。
実は製品そのものを買う前にASSYを複数予約していたくらい。


かれこれ丸4年停滞している2000に使うのです。
今となっては不満な箇所もあるので、2021年クオリティで8連と4連を作る計画もあり、
そっちにも使えたらと思っている。


KATOの私鉄通勤車シリーズ、お次はOER5200の後期型などいかが?(・∀・)


4月発売 TMS940号
2017年のコンペに出したFM系を掲載していただきました。
製作にあたり資料として穴が開くほど拝見したスリットカメラ写真館さんを
彷彿させる真横から撮ったカットもあり、わくわく。
掲載にあたり、竣工後に判明した実車の個体差も追加工作しました。


秋発売 東急電鉄完全ガイド
2014年製作の8500系を掲載していただきました。
記事にも書いた通り、いまクオリティでまた作りたい。
現実的には軽量車が有力ですが、一番作りたいのは前面含めFC-LEDだった時代の8616Fなのです。
非軽量車と軽量車を違和感なく混結させる術を考えると、
先にガレマニの8000を完成させるべきか、とも思う(-_-)


11月発売 TMS947号
結局冒頭の作例に戻りますが、誌面系ではこれの入選が一番うれしかったな。
何を出そうかずいぶん迷走していたのですが、
結果的には長年の夢だったもので落ち着いた。
これからもその手の車を着実にカタチにしていきたいものです。
課題山積ながら、相鉄2100の初期型が目下一番の夢です。


なんかいいな、の一瞬を大切に...

本年もありがとうございました。
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京成3500形初期型を作ってみた。

2020年12月09日 23時34分30秒 | 京成電鉄

そういえばまだ載せてなかった(なおまもなく竣工より2年)ということで、
お披露目編です。
京成沿線、千葉は津田沼にあるイエロートレイン製キットをストレートに組み立てたものです。
キットはいろいろなバリエーションがありますが、幕板の帯が太いタイプが好みなので
日車製初期車を選びました。
竣工当時を模して作ったつもりですが、厳密には前面の幌枠に水切りがない形態が正解のようです。
製作中にそのことがわかっていたので、幌枠は仕上げ段階でゴム系接着剤を用いて
仮固定するにとどめてあり、正規形状への修正も容易になっています。
...という具合にいろいろ実車と異なる箇所もありますが、ご笑覧ください。


貫通扉には種別板のベースがエッチングされており、上から種別板差しを貼り重ねる構成ですが、
そもそもの位置がやや低いように見えます。それともこういう車もいたのか...?
尾灯は角穴にロスト製のパーツをはめ込む構成ですが、リム周囲の外板も一体成型となっているので
よく見ると少しだけ実車よりクドイ雰囲気です。

...という点を抜きにすれば、いい顔しています。カッコイイ。
幕や板の類はいずれも鳳車両のステッカーです。
いちばんご近所のガレージメーカーですが、
民鉄シリーズ600番台のトップはOERじゃなくてKDKの不思議。


乗務員扉脇手すりの取り付け穴が見当たらなくて、
いやいや植えられなくね?と思ってえらく手間かけて扉脇に穴開けしたんだけど
本来、開口部の断面から斜めに生えてるのが正解なのね。
京成上野でつぶさに観察したはずなのに、
すっかり忘れて余計なことをしてしまったw
手すりそのものはキットにも入っていますが(その時点で穴がない理由を
推し量るべきでしたな)、やや太いのでトレジャーの103-1200用にしました。


乗務員扉窓の表記は左右で違うらしいので、富士川のインレタで再現してみた。
運転室という素朴な表現が微笑ましい。


特徴的な奥まった貫通扉は外板+内板を貼り重ねて、さらに手すり付き内張りを挟んでから
扉を重ねる四重構造となっています。
ただし当然断面がミルフィーユ状になってしまうので、外板と内板の間は
黒瞬着を盛って継ぎ目を消しました。これだけでもかなり見た目がすっきりします。


種別用のめくり板は薄手のプラ板に鳳のステッカーを貼って、
φ0.2くらいの穴を開けた後にKATOのフィーダーをバラしたリード線でつないだものです。
当然めくれませんが、まあまあそれっぽくなったのでは。


前面(妻板)と屋根の間はいったんすべて継ぎ目を消してしまってから
きっちりと平行に塗り分けました。手間はかかりますが、幾分すっきりしたと思います。
しいて言えばシルバーのゆず肌が悔しい。

アンテナはKATOの京急2100用です。


すべてが新鮮な京成電車にあって唯一親近感を覚えるクーラーはGMのNo.8063を使用しました。
もともと京成3150を出すときに用いられたものだったと思うので、むしろ本来の用途。
いずれ西武101の試作冷房なども作ってみたいので、実現すればこの手のクーラー三羽烏が揃いますね。
富山地鉄の14760もこの系統だったかな?

側面のルーバーには富士川のメッシュシールを貼りました。
余白も捨てずにとっておくと思わぬシーンで使えたりします(先日の相鉄6000の主抵抗器に使用)


見よう見まねで作った屋上配管。
母線のみアルミパイプを用いたいつもの構成です。
ヒューズはGM汎用、パンタ台は富士川、ランボードはエバグリのプラ材より。
パンタはPT4212-Sの下半分と名鉄パノラマカー用の上半分だったはず。


反対側より。
鉤外しが目立ちます。
あちこち色が剥げちゃっています。お恥ずかしい。
ほこりも...


ヒューズの端面にはミラーフィニッシュのゴールドを貼り込んでみた。カッコイイ。


妻面3形態。
ユニット間は幅広なんだったかな。たぶんそこは棒連結器だと思うんだけど...
貫通扉は外板とやや質感が違って見えたので、
4アーティストマーカーのインクを塗料皿に出してエナメル溶剤で薄めたやつで塗りました。


足回りは鉄コレを買ってあったんだけど、
床下機器が思いのほか手持ち品で賄えない+どのみち動力を買わなきゃいけないことも
手伝って、蕨の完成品から流用しています。
その関係で主抵抗器は後年のカバー付きとなっており、いずれ3Dでちゃんとしたのを
出したいなーと思っています(思っているだけになるやつ)
ブレーキ制御装置だけTOMIXの西武5000用に交換してカバー無しを模しています。


先頭台車だけクラスプ式という不思議な構成ですが、
そのおかげでブレーキの引き棒が4本で済むので、頑張れた。
画像に写ってない側に穴を開けて、真鍮線を差し込んであります。

排障器は支持腕が銀河の西武用を加工したもので、洋白帯材で作った先端をはんだ付けしてあります。
台車枠からは都合よくカプラーポケットの支持腕が突き出ているので、ここにガッチリ接着してあります。


室内灯ホルダーを削るのが面倒で、室内側の床はプラバンで新調してしまった。
ロングシートはリトルジャパンのプラ製パーツで、座面が波打ってる表現が楽しい。
むかし学生時代最後の旅行で西へ足を延ばしたときに大阪日本橋のGMで買ったやつで、
当時でも関東では見かけなかったから買った記憶。
利用価値大のパーツなので、また流通するとうれしい。


京急乗り入れ当時の横浜では、こんな顔合わせも...?
各社こぞって採用しただけあって、赤帯は無塗装車体に映えますね。


都営5000は2両なら頑張れそう!ということで、次回1号線系統の最有力候補。
KHKもかなり前から1000をやろうと材料は持っているのですが、
パーフェクトな作例がひしめいているだけに、
ほぼ誰も作ってない相鉄を頑張ろうか、となってしまうw
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在来6000を作りたい。蒐集編

2020年12月09日 15時51分46秒 | 相模鉄道
15年くらい前、“相鉄モノ”なんていう中吊り広告があったのを思い出す。
相鉄が公式に販売するグッズの宣伝でした。

今回の6000系製作中にはいろいろな“相鉄モノ”を入手したので、
おまけとしてご紹介したいと思います。いずれもヤフオクで入手しました。


あまぎキットの仕掛品が出ていたので買ってしまった。
とてもきれいに組み立ててあるので、あまりこねくり回さずに仕上げるのが無難か。


H13年当時、とんでもなくわくわくしたパッケージ。
保育社の私鉄の車両シリーズで3010系の存在を知ったときの衝撃がよみがえる。
こうして並ぶと角目の6000が俄然精悍に見えてきますね。


存在は知っていたが、まさか入手できるとは思ってなかった文鎮。
6000が駆け出しのころはまだ100両未満だったのですね。
それでも狭隘な星川工場でよく面倒見切れたものだと思います。


反対側。
切妻、戸袋窓なし、電制無し...と同世代の他社車両と比べるとやや地味な仕様ながら、
全車冷改を受けて長生きしたのはその実用性ゆえだったのでしょうね。
派手さはないけど天寿を全うしたようなこういう車両が大好きです。
隣の線路を走った185などもそんな雰囲気がありますね。


偶然ですが、今回製作したのと同じモハ6014+クハ6514です。
ベースに10月1日と刻印がありますが、その直前の9月25日付けで
計10両(モハ6103~モハ6108=中間車6両・モハ6013~6014、
クハ6513~6514)が納入されており、これを以って100両突破
ということなのでしょう。
今回のプロトタイプ選定理由は単に資料写真が集まったからなのですが、
意外な節目となる車両だったようです。

余談ながら、翌39年は初登場のサハ6600を含む中間車のみが増備されており、
先頭車は40年10月まで丸2年ブランクが空きます。
41年~42年にも同じ構図が見られますが、この間中間車は続々と
増備されており、長編成化を進めていたことが伝わってきます。


ひとつ上で案外精密な足回りに目をとられるものの、
車体は素朴そのものの仕上がり('∀`)


屋根布を模したザラザラ表現など、部分的に凝っていて面白い。
ベンチレータはもちろん初期タイプの角型です。
見逃しがちですが、パンタもPS13ではなくK100を模しているように見えます。


側面種別幕。
詳しくありませんが、たぶん6000(3010)~新7000まで共用していたのでは。
本当はこれを活かして模型にも正確な幕を入れようと考えていましたが、
コンペの締切に間に合わなくなるのでいったんペンディングとしてあります。


いずみ中央が入っていて快速が入っていないので、
自ずとH2~H11の間に用いられていたものとわかる。
ご存じのとおりこの時代はいずみ野線系統=青地種別幕でした。
新7000の末期に見られた線名表記の種別幕はこれを彷彿させて
面白かったですね。


再び幕。これは横寸が大きい8000・9000初期車用です。
7000までの穴検知式に対してバーコード式になっているのがわかります。


留置時に表示する機会が多いからでしょう、ここだけ特に色焼けしています。
車体修理前のOER5200の急行幕がよくこんな色になっていたのを思い出す。
それだけ急行で走ることが多かったということなのでしょう。

下に見覚えのない白抜き文字の各停なども見えますが、それ以上に...


日の目を見なかった種別、通快!
5000の引退イベントで表示しているのを見て幕そのものの存在は知っていましたが、
8000用を見るのは初めてです。
しかし、更に衝撃的だったのが、



ゑ~~~
6000に準急幕があったのは知っていましたが(かしわ台の保存車の写真で
たまに見かけますね)、平成生まれの車にも入っていたとは!
S39年に消滅した種別なので、そもそも6000にさえ入っているのが
驚き(種別幕を装備したのはたしかS44年以降)なのですが...
いつか復活する可能性も視野に入れていたんでしょうかねえ。


ちなみにH5年11月製なので、竣工日ベースで行くならば
H6年3月納入の8708×10(現在はフルカラーLED化)のものと思われます。
8000系5次車にあたるこの編成は相鉄で最後に方向幕を装備して新造された車で、
翌H7年の6次車(9000系2次車)からLED表示が採用されています。


8000系は方向幕もセットでした。
これは竣工当時のものではなく、湘南台開業を控えて新調されたもの。
湘南台だけ微妙に太字なのが特徴的です。
他の行先が黒地になったのでわかりにくいですが、
前述のいずみ野線系統=青地を律儀に踏襲しているのが面白いところです。


8000系の準急表示も見てみたかったものです。

なお、このパスネットは相鉄に関する古本を買った際に、前オーナーが栞代わりに挟んでいたと思しきもの。
3000円が9000系で5000円が10000系でしたね。
その前にはぽけっとカードっていうのもありましたね。


番外編。
小林信夫氏によるGMキットのボックスアートに唯一相鉄が登場した事例。
飛行機ってことは厚木基地=相模大塚界隈のイメージ?


風景的に高度成長期も半ば以降の雰囲気なだけに、
5000系がちゃんと後年...各種資料を見る限りS40年代以降に見られるPS13になっているのが素晴らしい。

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