小田急中心の模型のブログ

Nゲージで私鉄電車を楽しむブログです。
旧小田急中心の模型のページ(2003~2014)の製作記も再掲載しています。

いまクオリティの小田急5000形。紹介編

2019年02月04日 18時39分02秒 | 小田急5000形(おすすめ)

2018年6月竣工

2663×6以来、6年ぶりのフラッグシップモデル竣工です。
GMとマイクロの比較は後編(比較編)で触れるとして、
ディテールパーツを含め最新のクオリティで小田急顔を作るとどんな感じかなーというところをご紹介いたします。

プロトタイプは車体修理前の5057×4で、電連横のスカートが切り欠かれ(S50年代前半)、新宿方にはジャンパ栓(S57年ごろ撤去)
が付くことから自ずとS55年前後の時代設定となりました。
本に掲載後、やや低すぎた車高を調整したり先頭台車にATS車上子を付けたり若干の手直しを行っています。



前面の表情。
加工方法は過去記事のとおりですが、作ってよかったなーと思える顔になりました。
つい、最大限スマートに仕上げたくてどっちもダミーカプラーにしてしまった。
これだとこの時代の醍醐味である増解結ができないけど、
胴受けの感じとかはこっちのほうが好きなんだよなー


製品との比較。
顔はデフォルトでもなかなかの出来栄えです。
急行灯はトレジャーのカット入りレンズを使いたいがために交換したけど、
無理に替えなくてもいいかも。元ぐらいの大きさがいい感じ。


いい顔なんだけど、ガラスの厚みがどうしても気になった。


全部やり直した図。
この手の、後々バリエーションを揃えていくタイプの車両の場合、
迷うならやったほうがいいなと思いました。
迷うということは納得してないので、結局次作では改良する可能性が高いです。
そうなると一作目が急激に見劣りするので、二度手間を避けるためにも
判っているところはパーフェクトにしておくのがベストかなと・・・。

先日記事にした3664×8の配管がまさにそれで、たぶん次は引き直すはず(^^;)


側面は当初から乗務員扉の修正が必須だなと思ってました。
マイクロエースのこのシリーズ、部分的な改良改良で来ていて
根底は2003年クオリティなので、今の目で見ると苦しいところが多いのは否めません。
フルリニューアル、してくれないかなあ・・・
無論そうなるとさっきの話で今回のが一気に見劣りすることになりますが・・・


製作中の記事でも触れたとおり、5000は客扉と乗務員扉で天地が揃います。

誌面発表後に追設したATS車上子は、KATOの17m旧国用胴受より切り出したものです。


印刷表現のランプ切り替え式種別表示窓は開口した上で、鳳のステッカーを入れました。


本来、いまの水準を謳うならば台車も3D出力でボルスタアンカー別体で然るべきとは思いますが、
2年前に設計したデータをようやくいま出力してみようかという段階につき、
製品のFS385(9000の台車)に軽加工した仮仕様です。


妻に降りるところ、裾に引き込むところで一旦持ち上がる配管が見せ場ですが、
営団5000以降アルミパイプを採用するようになってから、いとも簡単に再現できるようになりました。
配管留めのバンドは原則リード線を使いましたが、妻板部分はやや太さが欲しかったので
ボナの割ピンを使っています。


屋上部分の母線のみエバグリのプラ材で台座を噛ませて、他と高さに差をつけてあります。

妻窓は製品では5200同様の1枚固定窓ですが、当然車体修理前は二段窓なので
2600非冷房の製品から流用しています。
幌は蛇腹と垂直方向(すなわち修正がめんどくさい)のパーティングラインが目立つので、
これまた2600の初期ロットより流用しました。
後年、車体修理後は貫通路内側も含めアイボリーで塗りつぶされていましたが、
この当時は室内色だったのではないかと思います。


ヒューズ周りの重なり合う配管はアルミパイプの加工性がフルに活きました。とても楽です。
パンタ台は形状の都合上、8億年ぶりくらいにプラ材で自作しました。ゲタ付きのランボードも同様です。

パンタはTOMIXの0250(PT4212-S)です。
この当時は製品同様すり板先端のホーンが楔状ですが、
H10年ごろより先端がパイプ状のすり板に交換されました。
当時の文献によれば雪対策の一環で架線追従性のアップが目的とのことですが、
鋼体架線との関連か9000だけは昭和の時代よりパイプ状のホーンを持つ擦り板だったようです。


六角形の避雷器はKATOの西武E851用(Z03-2003)です。
ややパーティングラインが目立つので、整えてから塗装しました。

扇風機カバーは例によってプライマーをやや屋根板にはみ出して塗ることで
隙間をなくして周囲との一体感をもたせました。


妻面の表情。
配管が2両で完璧にそろっていないとか、そもそも床板がハイデッカーすぎとか
課題はあれども、まずまず。
車体修理前の昇降ステップは後年より左右が小さいので、ボナの2600用を用いています。



パン無し妻の表情。
冷房のドレン管はモールドのままです。


今回初めての試みとして、エンド表記と検査表記、銘板を再現してみました。
表記はタヴァサのOER5000用車番インレタに収録のもの、銘板はトレジャーの東武用です。


床下機器は一度まっさらにしてすべて付け直しました。
主抵抗器や主制御器といった大物を除いてトミックスのレッドアローのものを多用しています。
ブレーキ制御装置はこの時代カバー無しです。
MGはディテールがやや異なりますが、雰囲気が近いので流用しました。


クハに付く非常電磁吐出弁?はマイクロの8000より流用しました。


製品は動力が機器の少ないデハ5000のほうに入っているので、
主抵抗器や主制御器でぎゅうぎゅうのデハ5100に移設しました。
主抵抗器はこの時代、風道がむき出しなのが本来の姿ですが、
ダイキャストフレームからのぞくモーターを隠すためにやむなくカバー付きとしています。
元の機器を薄くしてダイキャストに貼りましたが、メッシュ表現がないため細密感はいまひとつ。

余談ながら、実車の増備終了から間もない頃のTMSにある5000の製作記事において
この主抵抗器のブロアーの音について「近代的なものを感じさせ・・・」との一節があり、時代を感じさせます。


断流器と主制御器も元の製品のものを使っていますが、かなり大味です。


キャブインテリアをプラ材で適宜自作したほかは、
製品の床板を流用しています。
シルバーシートがほんとにシルバーな時代です。

後編へ続く・・・

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