最新クオリティの小田急の次は、回顧編です。
製作記は相当過去のものもこのブログにまとめてありますが、
ホームページ時代に製作記を書かず完成作例のみ公開していたものは
閉鎖時に消えたままだったなあということで、
現存する作例を引っ張り出してきた次第。
H19年3月竣工 2103×2
ややマニアックな車なので、まずは簡単に実車の紹介を。
S28年デビューのいわゆるカルダン車登場前夜の車で、ノーシル・ノーヘッダーの軽量車体
かつ足回りは1600形からの流れを汲むツリカケ駆動という構成です。
OERではあくまでもツリカケ車としか連結しませんでしたが、
お隣KTRの2700あたりととても似た立ち位置と言えます。
試作的要素が強く2101×2~2104×2の2R8両のみの存在ですが、
ざっくりまとめるとデビュー当時には下記のような形態差がありました。
2101×2(川車)
2102×2(川車)
屋根R:大変深い
ドア窓:淵なし
内装:ビニール張り
2103×2(日車東京支店)
2104×2(東急)
屋根R:浅い(FMに近似)
ドア窓:Hゴム支持
内装:デコラ張り
日車・東急分はのちのFMシリーズにやや近い形態をしており、
それをクロポのFMキットをベースにまとめたのが今回の作例というわけですが、
OERマニア諸氏はご存知のように、2100とFMの車体はあくまでも別物です。
大まかには客扉間が2100形は4170mmに対しFMは4100mm、全長は17000mmで変わらないので、
そのしわ寄せを乗務員扉うしろで吸収している(2100のほうが狭い)というのがポイントです。
また客窓の幅も10mmほど違えば窓隅のR有無、更には妻窓まで異なります。前面は言わずもがな。
正確に作るならば自作したほうが望ましいのは当時でもわかっていましたが、
お手軽に2100の雰囲気を楽しんでみたい気持ちが勝りました。
余談ですが、そもそもの製作のきっかけは実車への関心もさることながら
GMストアーでFM系のキットが格安にて販売されていたこともあります。
H18年の初売りアイテムとしてリリースされたものの、その年の9月に鉄コレが出たせいか
暮れには7割引となり、定価ならば怖くてとても挑戦できない改造に踏み切れたというわけです。
むろん、バイトすらしていなかった少年時代のできごとで格安といえども1箱が限度。
ならば2両でまとまる初期の姿に仕立ててみよう・・・なんならあまり作ったことがない茶色で、
前面方向幕を埋めなくても良いS37年ごろの仕様に・・・とひたすら消去法でプロトタイプが決まりました。
H19.02.08
クロポから名鉄5300用としてFS315が出たことも製作の後押しになりました。
これはOERのFS14ととても良く似ており軸距も2300mmとピッタリ。
後年2100から台車を流用した荷電も含め利用価値大の台車です。
窓隅のRをカッターで削るのは精度の面から気が進まず、
一端サッシをすべて削ってから角窓化し、プラ板をはめ込んで
中央をくり抜き→中桟を後付けして窓枠ごと作り直すことにしました。
上記のような時代設定だと木製窓枠の時代となり、
銀を載せなくて済む(=粗が目立ちにくい)上に多少太くてもそれらしく見えるのが好都合でした。
H19.02.26
前面窓も側面と同じ工法で木枠化。
ライトはタヴァサのクモユニ81用だったかな。
乗務員扉のうしろの違いはさすがに無視できず、
きちんと切り継ぎました。
客扉間が長いのは再現できていないので、
全長が若干短いです。
H19.03.16
ディテールを付けると2100らしくなってきてうれしい。
いま同じことをやろうとは思いませんが、
なんとなくおおらかで、これはこれで作ってて楽しかったな。
H17年~H19年にかけて小田急電車回顧っていう横長の本が出版されて、
従来お目にかかれなかった貴重な写真が1ページ1枚の特大サイズで
見られるようになりディテール工作が飛躍的にやりやすくなりました。
H19.03.20
この年の夏にエアブラシを導入したので、
まだ缶スプレーで塗っていました。
GMのぶどう色2号を使いました。
単色なので、検査表記を入れたところ一気に引き締まった。
レタリングって疎かにできないなあと思った記憶。
1600あたりと連結して走らせようと考えていたので、
デハ2103はボディマウントTN化してあります。
クハのほうは連結するつもりはなく見栄えを揃える意味で
ダミーの胴受けにカプラー本体だけTN。
急行灯をプラ材で切り出して作っているあたりが当時をしのばせます。
切り詰めた乗務員扉うしろ。
完璧じゃないけど2100には見えるでしょって思った。
台車枠はキサゲ刷毛で表面を荒らしてからマッハのシールプライマーを筆塗りしたっけ。
床下機器もまあまあ似てるものをそれらしーく並べてあります。
FMはこんな感じ。
これを京急1000から作れっていう時代からすれば微々たる違いかw
はじめてあのキットを手にした中1の夏でも
さすがにそれは無理だと思ってプラ材で天地を詰めようとしたなあ。
結局パテ処理がめんどくさくなって、側板ごとプラ板で自作した記憶。
2100の魅力のひとつが、軽量車体×クハの軽快感。
FMはオールMだからこの雰囲気がないのですね。
今一度作ってみたい。今度は晩年仕様で・・・。
妻板はFMのまま。
但し資料が揃わず配管を省略したので、
妻板も配管なしで。
のちのち知りましたが、2100の妻窓は側面と同じく木枠です。
独特な避雷器はキットのパーツを横倒しにして簡易表現。
わざとゲートと取り付け足を残して、配線の引き込み部分っぽく見せるアイデア。
パンタは板バネ時代のGM製ですが、バネがほとんど機能してなくて
今回撮影するにあたってなかなか上がらず苦労しました。
古の名著、Nテクマニュアルにはカプラーポケットから外したスプリングを
半分に切って仕込め~とかアイデアが載っていましたが、
あれはあれで台座ごと屋根板から浮き上がっちゃったりしてうまく真似できなかったな。
ちょうど茶色からツートンへの過渡期にあたる時代設定なので、
1601×2(H26年2月竣工)と繋いで遊ぶのもありなことに気付いた。
例によって両側ともダミーカプラーなのでTN化が必要ですが・・・。
この時代の花形、HEもやり直したいところ。。
古いOERマニアで語り草となっているのが
光沢のある茶色い2100のオデコに青空が映り込んで独特の紫に見えた、というおはなし。
この画像はうまく真似できなかったけど、
磨き込んだマルーンの革靴を良く晴れた冬の朝に履いた時まさにそんな色に見えて、
ははーこんな感じだったのかと思った次第。
いつの日かカラー写真が出てきたりしたら嬉しいなと思います。
製作記は相当過去のものもこのブログにまとめてありますが、
ホームページ時代に製作記を書かず完成作例のみ公開していたものは
閉鎖時に消えたままだったなあということで、
現存する作例を引っ張り出してきた次第。
H19年3月竣工 2103×2
ややマニアックな車なので、まずは簡単に実車の紹介を。
S28年デビューのいわゆるカルダン車登場前夜の車で、ノーシル・ノーヘッダーの軽量車体
かつ足回りは1600形からの流れを汲むツリカケ駆動という構成です。
OERではあくまでもツリカケ車としか連結しませんでしたが、
お隣KTRの2700あたりととても似た立ち位置と言えます。
試作的要素が強く2101×2~2104×2の2R8両のみの存在ですが、
ざっくりまとめるとデビュー当時には下記のような形態差がありました。
2101×2(川車)
2102×2(川車)
屋根R:大変深い
ドア窓:淵なし
内装:ビニール張り
2103×2(日車東京支店)
2104×2(東急)
屋根R:浅い(FMに近似)
ドア窓:Hゴム支持
内装:デコラ張り
日車・東急分はのちのFMシリーズにやや近い形態をしており、
それをクロポのFMキットをベースにまとめたのが今回の作例というわけですが、
OERマニア諸氏はご存知のように、2100とFMの車体はあくまでも別物です。
大まかには客扉間が2100形は4170mmに対しFMは4100mm、全長は17000mmで変わらないので、
そのしわ寄せを乗務員扉うしろで吸収している(2100のほうが狭い)というのがポイントです。
また客窓の幅も10mmほど違えば窓隅のR有無、更には妻窓まで異なります。前面は言わずもがな。
正確に作るならば自作したほうが望ましいのは当時でもわかっていましたが、
お手軽に2100の雰囲気を楽しんでみたい気持ちが勝りました。
余談ですが、そもそもの製作のきっかけは実車への関心もさることながら
GMストアーでFM系のキットが格安にて販売されていたこともあります。
H18年の初売りアイテムとしてリリースされたものの、その年の9月に鉄コレが出たせいか
暮れには7割引となり、定価ならば怖くてとても挑戦できない改造に踏み切れたというわけです。
むろん、バイトすらしていなかった少年時代のできごとで格安といえども1箱が限度。
ならば2両でまとまる初期の姿に仕立ててみよう・・・なんならあまり作ったことがない茶色で、
前面方向幕を埋めなくても良いS37年ごろの仕様に・・・とひたすら消去法でプロトタイプが決まりました。
H19.02.08
クロポから名鉄5300用としてFS315が出たことも製作の後押しになりました。
これはOERのFS14ととても良く似ており軸距も2300mmとピッタリ。
後年2100から台車を流用した荷電も含め利用価値大の台車です。
窓隅のRをカッターで削るのは精度の面から気が進まず、
一端サッシをすべて削ってから角窓化し、プラ板をはめ込んで
中央をくり抜き→中桟を後付けして窓枠ごと作り直すことにしました。
上記のような時代設定だと木製窓枠の時代となり、
銀を載せなくて済む(=粗が目立ちにくい)上に多少太くてもそれらしく見えるのが好都合でした。
H19.02.26
前面窓も側面と同じ工法で木枠化。
ライトはタヴァサのクモユニ81用だったかな。
乗務員扉のうしろの違いはさすがに無視できず、
きちんと切り継ぎました。
客扉間が長いのは再現できていないので、
全長が若干短いです。
H19.03.16
ディテールを付けると2100らしくなってきてうれしい。
いま同じことをやろうとは思いませんが、
なんとなくおおらかで、これはこれで作ってて楽しかったな。
H17年~H19年にかけて小田急電車回顧っていう横長の本が出版されて、
従来お目にかかれなかった貴重な写真が1ページ1枚の特大サイズで
見られるようになりディテール工作が飛躍的にやりやすくなりました。
H19.03.20
この年の夏にエアブラシを導入したので、
まだ缶スプレーで塗っていました。
GMのぶどう色2号を使いました。
単色なので、検査表記を入れたところ一気に引き締まった。
レタリングって疎かにできないなあと思った記憶。
1600あたりと連結して走らせようと考えていたので、
デハ2103はボディマウントTN化してあります。
クハのほうは連結するつもりはなく見栄えを揃える意味で
ダミーの胴受けにカプラー本体だけTN。
急行灯をプラ材で切り出して作っているあたりが当時をしのばせます。
切り詰めた乗務員扉うしろ。
完璧じゃないけど2100には見えるでしょって思った。
台車枠はキサゲ刷毛で表面を荒らしてからマッハのシールプライマーを筆塗りしたっけ。
床下機器もまあまあ似てるものをそれらしーく並べてあります。
FMはこんな感じ。
これを京急1000から作れっていう時代からすれば微々たる違いかw
はじめてあのキットを手にした中1の夏でも
さすがにそれは無理だと思ってプラ材で天地を詰めようとしたなあ。
結局パテ処理がめんどくさくなって、側板ごとプラ板で自作した記憶。
2100の魅力のひとつが、軽量車体×クハの軽快感。
FMはオールMだからこの雰囲気がないのですね。
今一度作ってみたい。今度は晩年仕様で・・・。
妻板はFMのまま。
但し資料が揃わず配管を省略したので、
妻板も配管なしで。
のちのち知りましたが、2100の妻窓は側面と同じく木枠です。
独特な避雷器はキットのパーツを横倒しにして簡易表現。
わざとゲートと取り付け足を残して、配線の引き込み部分っぽく見せるアイデア。
パンタは板バネ時代のGM製ですが、バネがほとんど機能してなくて
今回撮影するにあたってなかなか上がらず苦労しました。
古の名著、Nテクマニュアルにはカプラーポケットから外したスプリングを
半分に切って仕込め~とかアイデアが載っていましたが、
あれはあれで台座ごと屋根板から浮き上がっちゃったりしてうまく真似できなかったな。
ちょうど茶色からツートンへの過渡期にあたる時代設定なので、
1601×2(H26年2月竣工)と繋いで遊ぶのもありなことに気付いた。
例によって両側ともダミーカプラーなのでTN化が必要ですが・・・。
この時代の花形、HEもやり直したいところ。。
古いOERマニアで語り草となっているのが
光沢のある茶色い2100のオデコに青空が映り込んで独特の紫に見えた、というおはなし。
この画像はうまく真似できなかったけど、
磨き込んだマルーンの革靴を良く晴れた冬の朝に履いた時まさにそんな色に見えて、
ははーこんな感じだったのかと思った次第。
いつの日かカラー写真が出てきたりしたら嬉しいなと思います。
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