「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

北総歩「わが町の旧水戸街道③ 柏~取手15km」記 (10/30)

2016年10月31日 05時00分00秒 | ウオーキング

↑指定文化財の旧取手宿本陣「染野家住宅」

10月30日(日)、右肩不調でウォーキング自粛勧告を受けているが北総歩こう会主催の水戸街道ウォークに参加した。
10月30日は曇り日で少し寒かったが200余名が柏駅に集った。
今回はショートの11kmの天王台ゴールで終えるつもりだった。しかし、歩友のKさんから利根川を渡れば直ぐゴールの取手と励まされ、少し無理をして15kmまで歩くことにした。
右肩の重み・違和感はスタートから数キロで現れ、規則正しいステップ維持が難しかったが最後まで我慢した。幸いにも11km地点で昼食を摂り休息できたので何とか肩への負担も少し緩和できたと思う。しかし、今の肩の調子では10km以上は負担が大きく、無理をしないことベターだと判った。

私は初めての水戸街道を歩いたが最後の「取手宿本陣」がみどころであった。今回のウォークの水戸街道は昔の風情や町並をそのまま感じさせるところは今日では殆どなくなり、成田街道や日光街道の標柱さえも読めなくなっている。我孫子宿本陣たるや標柱のみの寂しさだ。やはり歴史として残そうとしない限り時と共に消滅するのは必然のようだ。
今回の例会は地図だけでなく豊かな説明書もあり、大変良かった。歩こう会及びコースリーダーの力の入れようが伝わってくる。テーマを持って歩くのも楽しみである。


↑柏駅東口、閉店したそごう柏店前広場に205名が集合

↑旧水戸街道入口の標柱(今では良く読めなくなっている)

↑スタートから1時間ほどの休憩先「けやきプラザ」

↑旧我孫子宿本陣の反対側にある旧我孫子宿名主邸「小熊家」

↑成田街道と水戸街道の分岐点

↑11km地点の柴崎台中央公園で昼食を摂り、取手に向かって再びゴー

↑大利根川を一路、取手宿へ

↑15kmゴールの長禅寺。お疲れ様でした。



下総之国 船橋市にあった城と村

2016年10月30日 05時00分00秒 | 千葉の城郭
日本100名城めぐりをきっかけにウォーキングを兼ねて近くの城郭巡りをしている。
詳しい城の歴史探訪ではなく、あくまでもウォーキングが主体であるがそれでもやはり歴史にも興味が湧く。

船橋市にどのくらいの城があったのか調べてみると15もあるではないか。早速、探索を始めた。
下総之国で現在の船橋市域と思われる30の村があったとされ、15の城等があったとされる。全体の半分の村に城があったのだ。これはどのように考えるべきか興味深い。これだけの数の多さからこれらの城は支城や出城、砦や居館的な使命が強かったのではないだろうか?
現在の船橋市は町、村が合併して広域しているが現在の市域の視点ではなく、近世、戦国、江戸時代の村落の視点で見る方が城の存在が見えるような気がする。

今回、村と城の結びつけで難しかったのは花輪城である。
花輪城は現在の東船橋の茂呂神社だったらしいが当時の五日市村が海老川を境に現在の東の宮本側だったので五日市は地域的にも花輪城に違いない。
また、習志野台にあったと言われる「酒山砦」の村落は明確に結びつけられなかったっが恐らく、幕府直轄地の「習志野原」ではないだろうか。
これまでに訪れた城は城趾の表示は皆無で、遺跡や遺構も少なくなっていたり、全く形跡なしもあった。また、私有地になり雑木林や畑などに埋もれ、外見から特定するのも難しい。住民の方に尋ねたが昔のことを知るお年寄りでないと判らない。地形も変わり、地域に住む新しい住民が歴史の継承がされておらず、何世紀も昔のことを追うのは現在ではかなり難しい。
探索で重要なことは自分の足で周辺を歩かないと判らない、近隣の方に尋ねる、私有地に無断で勝手に入らぬことである。

現船橋市域にあった城と村

小栗原村: 城ノ台城(小栗原城) 【稲荷神社】
上飯山満村: 飯山満城
金堀村: 金堀城
栗原(本郷)村: 栗原(藩)陣屋 【宝成寺】
舟橋村: 船橋城
此田(小野田)村: 小野田城
五日市場(五日市)村: 花輪城 【茂呂神社】
金杦(金杉)村: 金杉城
習志野原?(村ではない): 酒山砦
坪井村: 坪井城
なつみ(夏見)村: 夏見城 【長福寺】
高根村: 高根城
くわかま(古和釜)村: 小穴城(古和釜城)
くすか山(楠ヶ山)村: 楠ヶ山城 【清蓮院】
米ヶ崎村: 米ヶ崎城 【意富比神社】
やきかい(八木ヶ谷)村: 八木ヶ谷城

太字:訪問済
2016年11月7日更新

下総・楠ヶ山城(清蓮院)(船橋市)散策 (10/24)

2016年10月29日 05時00分00秒 | 千葉の城郭

↑楠ヶ山城があったところと目される清蓮院

10月24日(月)午後、「楠ヶ山城」としての「清蓮院」と「湯殿神社」を訪れた。

楠ヶ山城は船橋市楠が山町にあり、清蓮院、湯殿神社、熊野神社辺りが小高く「楠ヶ山城」だったと言われている。
現在の清蓮院はコンクリート製であるが、高台の平坦な本殿、境内はかつての郭跡を想像させる。また、湯殿神社へ登る道は土塁の一部で正に城の機能そのものだ。全体的にみればかなり遺構が残っているように思う。
船橋市内にあったと言われる城を廻ったが楠ヶ山城が最も城の実在感を感じさせる。城主は不明だが時代的に守護の千葉氏につながる者には違いない。船橋市北部の田舎の村々に村落単位に城があるのは興味深い。


↑楠ヶ山城があった高台

↑清蓮院への階段

↑湯殿神社

↑湯殿神社への切り通し?

↑清蓮院、湯殿神社近くの土塁



11/2 東葛ぶら散ウオーク・東京昔物語12km 【イベント紹介】

2016年10月28日 12時00分00秒 | ウオーキング
東葛のぶら散ウオークの東京版だ。「東京昔物語」のネーミングもよい。今後どこを歩くのか期待が持てる。

以下、CWAニュースから紹介する。

主催: 東葛ウォーキングクラブ 090-3345-8750(古宮)
日時: 11月2日(水) 9時30分 団体歩行
集合: 巣鴨一丁目児童遊園(JR山手線巣鴨駅南口徒歩3分)
参加費: 東葛WC無料・その他300円
解散: 14時頃田町駅周辺(JR山手線)
コース: 巣鴨一丁目児童遊園~網干坂~神楽坂~東京逓信病院~四ツ谷駅~一ツ木通り~三年坂~網坂~田町駅

下総・八木ヶ谷城(長福寺)(船橋市)散策 (10/24)

2016年10月28日 05時00分00秒 | 千葉の城郭

↑八木ヶ谷城があったとされる長福寺の正門

10月24日(月)午前、「八木ヶ谷(やぎがや)城」があったとされる長福寺、王子神社及び八木ケ谷市民の森一帯を散策した。同じ船橋市内ではあるが生活圏が違う北部や東部は殆ど訪れることがない。

八木ヶ谷城は下総守護、千葉氏配下の八木ヶ谷氏が城主だったのではないかと言われている。長福寺と王子神社はほぼ同一敷地内にあり、隣接の八木ケ谷市民の森も八木ヶ谷城と関係性を感じる。
昔、船橋の海や町から離れた村々に城があったのは興味深い。多分、守護と関係を持つ武士が地域を縄張りとして城や砦などを持っていたのだろう。
八木ヶ谷城が果たして本当に城だったのかは歴史の彼方にあるが現地に足を運び、散策してみて肌で感じる楽しさは格別である。


↑長福寺と王子神社の正面

↑王子神社の階段(土塁の一部か?)

↑隣接する八木ケ谷市民の森(城機能の一部か?)

10/30 北総歩「わが町の旧水戸街道③ 柏~取手15km」【イベント紹介】

2016年10月27日 12時00分00秒 | ウオーキング
旧水戸街道は東京都千住から水戸までの街道で、千葉県下では松戸、柏、我孫子を経て、茨城県の取手に入る。今回は柏から取手までのウォークとなる。秋本番の季節に北総を歩くのもよいだろう。機会があれば是非歩いてみたいものである。

主催: 北総歩こう会 04-7145-1620(中山)
日時: 10月30日(日)9時 団体歩行
集合: 柏駅東口広場(JR常磐・東武線柏駅東口徒歩1分)
参加費: CWA加盟団体無料・その他300円
解散: 14時30分頃 長禅寺(JR常磐線取手駅徒歩5分)
コ-ス: 柏駅東口広場~旧水戸街道入口~東陽寺~割烹旅館・角松~我孫子宿本陣跡~柴崎神社~柴崎台中公園(昼食)~大利根橋~旧取手本陣染野家住宅~長禅寺(ゴール)~取手駅
〇みどころ
一昨年から続けてきた「わが町の旧水戸街道」の最終回は柏から取手まで。取手へは青山地区から大利根橋を渡ります。旧取手宿本陣は解体修復工事が済んで茨城県の有形文化財に指定されており、見学いたします。

下総・本妙寺「太田乗明の屋敷跡」(中山法華経寺)散策 (10/22)

2016年10月27日 05時00分00秒 | 千葉の城郭

↑2016年秋の中山法華経寺の五重の塔

「太田乗明の屋敷跡」=本妙寺としての中山法華経寺を10月22日(土)、春以来半年ぶりに秋の中山法華経寺をウォーキングで訪れた。広い境内をゆっくりと散策したが秋の中山法華経寺の境内の木々はまだ青さを残していた。

Wikipediaによると、
「太田乗明」は鎌倉時代の武士で中山法華経寺2世の日高の父。
富木常忍(後の日常)や曾谷教信等と並び、日蓮宗の開祖・日蓮の下総国(現在の千葉県)での有力な支持者のひとりだった。
法華経寺には、日蓮が書いた多数の乗明宛ての手紙が残ることから親交の深さが伺われる。
自身の持仏堂を改め本妙寺とし、日常の法華寺と合併して法華経寺となった。富木常忍は日常聖人となり、中山法華経寺の開祖となる。

富木常忍(日常聖人)の若宮館は奥之院として、中山法華経寺の裏で直ぐ近くであり、元武士の2人が近くに屋敷を構えていたことになる。
中山法華経寺に合併後、富木常忍は日常聖人、開祖となるが太田乗明の子が中山法華経寺2世(日高)となるものの自分は立場は表にでていない。武士時代の力関係や日蓮との関係があったのだろうかと勘ぐってしまう。昔は平清盛もそうであるが武士が帰依し、仏門に入るのはそれほど不思議でなかったのだ。


↑中山法華経寺の本堂

↑五重の塔と釣り鐘堂

↑聖教殿に続く寛殿門

↑まるでパゴダのような大きな聖教殿

1ヶ月ぶりの例会ウォーク参加「江戸川歩輪ピックウオーク」10km記 (10/25)

2016年10月26日 05時00分00秒 | ウオーキング

↑江戸川・市川関所跡に集まったウオーカー(スタート前のストレッチ)

昨年に続いて10月25日(火)、いちかわ歩こう会主催の「江戸川歩輪ピックウオーク」に参加した。

右肩手術後も不調が続き、現在、ウォーキング自粛中で10月はまだ1度も例会に参加していなかった。1ヶ月以上、例会10km以上は歩いていないし、肩に無理はかけられないので今回、試しに最短の10km(団体歩行)に参加してみた。
理学療法士の忠告によりウォーキング自粛中であり、肩に負担をかけないため腕は大きく振らず自重した。団体歩行は歩行速度が遅く、適度に休憩もあるので今の私には好都合である。
親しい歩友のKさん、Yさんから長距離に誘われたが今回は肩への負担のため断念し10kmにした。10kmの団体歩行の参加者が最も少なく大半は20/30kmだった。

10月25日(火)は天気も良く、矢切の渡し、対岸の柴又公園、小岩菖蒲園を経由して、正午前には関所跡にゴールした。少し時間が早かったので20km、30km組はまだゴールしてなかった。

肝心の右肩の調子だが、途中から案の定、肩が重くなってきたが痛みはそれほどではなかった。肩への負担をかけないため腕振りは小さくピッチも抑えた。久しぶりの10km以上のウォークだったこともあったが私自身の脚のピッチは低かったものの、それでも団体歩行の歩速が合わず、距離が10km足らずなのに疲れた。


↑市川関所跡から江戸川を北にゴー

↑矢切の渡しに到着

↑柴又公園に到着

↑市川に向かって一路ウォーク

↑最後の休憩、小岩菖蒲園(コスモスが咲いていた)

↑正午前にゴールした市川関所跡


10/29 CWA「第1回秋の八街ウォーク」17km 【イベント紹介】

2016年10月25日 12時00分00秒 | ウオーキング
八街ピーナッツで有名な八街(やちまた)でのウォーキングである。
CWA主催だが八街でのウォーキングも珍しい。

以下、CWAニュースから紹介する。

《千葉県54ウオーク八街市》
主催: CWA 043-255-0141
企画・協力: イオン八街店
日時: 10月29日(土) 9時 団体歩行
集合: けやきの森公園(JR総武線八街駅徒歩4分)
参加費: CWA加盟団体200円・その他300円
解散: 14時45分頃 森のいずみ公園(JR総武線八街駅徒歩1分)
コース: けやき森の公園~クリーンセンター~根古谷城址
(寝釈迦案内板~法宣寺~スポーツプラザ~中央公民館~落花ぼっち~森のいずみ公園
○みどころ
お釈迦様が横たわる姿を思わせる山並み、脱穀する前の落花生を野積みした落花ぼっちを訪ねます。

下総・若宮館(富木氏居館)(奥之院・市川市)散策 (10/22)

2016年10月25日 05時00分00秒 | 千葉の城郭

↑富木常忍の城館だった「若宮館」と日常聖人(富木常忍)像

10月22日(土)、富木常忍の城館だった「若宮館」としての視点で「奥之院」を訪れた。
これまでは日常聖人の中山法華経寺、奥之院は度々ウォーキングで訪れていた。
歴史によると、鎌倉時代中期、下総国の守護であった千葉頼胤の家臣、富木常忍(ときじょうにん)は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地(千葉県市川市若宮)に若宮館を構え、鎌倉幕府に奉公していた。そこで布教活動をしていた日蓮と出会い信者になった。

1260年、鎌倉の松葉ヶ谷で日蓮は焼き討ちにあったが、富木常忍を頼って若宮館に逃れている。このとき富木常忍は館のなかに法華堂を建て日蓮を迎えた。1264年に安房 小松原(千葉県鴨川市)で東条景信に襲われた時にも若宮館に逃れた。若宮館が「初転法輪の旧跡」と呼ばれるのは、この法華堂で百回にも及ぶ説法が開かれたことに由来する。この説法により、中山の大田乗明や曽谷の曽谷教信は信者となっている。

1282年に日蓮が入滅すると、富木常忍は出家して日常(にちじょう)と号し、法華堂を法華寺と改称した。後に(1545年)古河公方の足利晴氏より称号が贈られ、法華寺は中山の本妙寺と合体して法華経寺となった。富木常忍こと日常が第一世(初代貫首)となり、法華寺(若宮館)はその奥之院となった。
※太田乗明の屋敷跡が本妙寺。かつて本妙寺があった場所は、法華堂、祖師堂、五重塔のある中山法華経寺の位置であると。。。

つまり、中山法華経寺の開祖「日常聖人」は下総の守護千葉氏の部下で、武士「富木常忍」だったのである。