「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

「ニイタカヤマノボレ一二〇八」  行田無線搭(海軍無線電信所船橋送信所)記念碑

2013年04月19日 05時26分35秒 | 戦争遺跡

「千葉県立行田公園」(船橋市)は船橋歩こう会の「中山法華経寺イヤーラウンドコース(14km)」の途中にあり、「旧日本海軍無線電信所船橋送信所(海軍行田無線搭)」だったところである。
太平洋戦争勃発のあの有名な真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ(新高山登れ)1208」がこの行田から送信されたところである。
行田公園は旧海軍の無線送信所だったことは良く知られているが私は不覚にもこれまでその記念碑を見ることがなかった。それが何とイヤーラウンドコースを歩いていたとき偶然見つけたのだ。
行田公園は2つの公園で成り立っているが中間に道路があるため両公園を結ぶブリッジがあり、いつも私はブリッジを渡っていた。何とそのブリッジの下に旧海軍行田無線送信所の「船橋無線搭記念碑」があったのだ。今回は何気なくいつもと違った下の道を歩いたためブリッジの下で記念碑を見つけたのである。もう何十回と歩いているに知らなかったことを恥じる。
私は戦史関連の本をよく読むがこんな歴史的な「ニイタカヤマノボレ(新高山登れ)1208」の送信所記念碑を身近に見て暫く記念碑前で佇んだ。いつも歩いているこんな近くに重い歴史があったのだ。旧海軍無線電信所船橋送信所は当時53ヘクタールもあったようだが残念ながら今はその面影は全くない。現在の行田公園が円形になっているのが唯一の面影であろうか。
因みに柏の葉公園は戦前は旧日本軍の陸軍が使用していた軍用地で、戦後米軍の無線送信所があったが返還後は現在も航空自衛隊の送信所がある。
貴方も船橋の行田公園又は付近をウォーキングされた時、是非記念碑もご覧になられては如何ですか。


↑船橋無線搭記念碑

↑船橋無線搭記念碑文
船橋無線塔記念碑の碑文は次の様に書かれている。
ここ下総台地の一角にかつて無線塔が聳えていた。大正4年(1915年)に船橋海軍無線電信所が創設された。大正5年にはハワイ中継でアメリカのウイルソン大統領と日本の大正天皇とで電波の交信があった。広く平和的にも利用されたのでフナバシの地名がはじめて世界地図に書きこまれた。大正12年(1923年)の関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた。昭和16年(1941年)の頃には長短波用の大アンテナ群が完成し、太平洋戦争開幕を告げる「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波もここから出た。船橋のシンボルとして市民に親しまれていたが昭和46年(1971年)5月解体され栄光の歴史を閉じた。


↑千葉県立行田公園案内図 (記念碑は「現在位置」表示のところにある)

↑行田公園内の木々

↑広い公園内を探検する近くの幼稚園児

↑公園内で週2回競歩の練習をする船橋行田健康ウォーキングクラブ


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1 コメント

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どこのドイツ (ガーゴイル)
2021-01-16 08:42:01
ヤマノボレで有名な無線電信所は本当は西台にあった。
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