↑花輪城があった茂呂神社の参道口
船橋市宮本町の宮本中学の南に隣接する「花輪城」(茂侶神社:もろじんじゃ)を城の観点で訪れた。
実は2016年3月8日(火)に船歩のラジオ体操ウオークのコース下見で茂呂神社を訪れていた。(3月9日(水)のこのブログで紹介済)
この時は茂呂神社がまさか花輪城とは露知らず、コース下見の途中で偶然見つけ、感じが良かったのでウォーキングコースに組み入れ入れたのだった。後日、調べてみてそれが花輪城だったことを知って驚いた。
10月11日(火)、今回改めて花輪城としての茂呂神社を訪れ、船橋大神宮(意富比神社)から歩いた。
茂呂神社は宮本小から宮本中への途中にあり、宮本中学と隣接し、茂侶神社参道入口から小高く階段を上って行く。
前回に来た時は単なる地域の神社としてしか見ていなかったが今回よくよく見てみると土塁らしき形跡がある。茂呂神社は高台にあり、城郭に適した雰囲気と周辺の住宅地の蛇行な道も城郭の名残を感じさせる。地形的にも茂呂神社の部分がだけが城郭とは思えず、隣接する広い宮本中学も含めた周囲一帯が花輪城だったのではないだろうか。
今も昔も花輪は交通の要所であり、昔、この一帯は花輪と呼ばれ、京葉道路の花輪インターチェンジの名もここから来たのだろうと言われている。
船橋大神宮(意富比神社)と1km弱の距離にあり、関係があったのだろうか。
↑茂呂神社の参道(土塁の雰囲気がある)
↑本堂前の広場はかつての郭跡だろうか
↑高台の茂呂神社本堂