「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

2019年5月1日(水)から「ウォーキング三昧」は、「スローライフ滋賀」に移行!

2019年04月30日 07時35分08秒 | 東近江ライフ
本日、2019年4月30日をもって「平成」の時代が終わる。
ウォーキング三昧」ブログは、新元号「令和」が始まる明日、2019年5月1日(水)を期して、予定通り「スローライフ滋賀」に移行、再スタートします。
 
スローライフ滋賀」の新サイトは以下の通りです。
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012

ウォーキング三昧」ブログページ(2013年3月から2019年4月末までの分過去ログ)はこれまでのサイトで今まで通り閲覧できます。
https://blog.goo.ne.jp/ntt00012
 
引き続きよろしくお願い申し上げます。

「第14回びわこジャズ東近江2019」大成功!!(4/29)

2019年04月29日 17時25分23秒 | 東近江ライフ
↑地元東近江市出身のサックス奏者「谷華波グループ」の見事な演奏
 
 4月28日(日)と4月29日(月)の2日間に渡って行われた「第14回びわこジャズ東近江2019」は開催され、初日の4/28は暖かい晴れ、4/29は曇りだったが何とか夕方まで雨は持ち、演奏者と観客も多く充実感を感じさせるJAZZフェスタだった。
 
 盛り沢山の演奏者と会場で残念ながらみんな聴けなかった。2日間で、私が気に入ったのは初日の「喜多充」のヴォーカルとサックスの「谷華波」だった。両名ともプロだが東近江市出身である。来年の「びわこジャズ東近江」に出演すればまた、聴きたいと思う。
 
 両日出演してくれた演奏者、各地から東近江市に来てくれた多数の観客の皆さんに感謝したい。来年の「第15回びわこジャズ東近江2020」が今から楽しみである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

琵琶湖岸100km歩こう!「びわ湖チャリティー100km歩行大会(びわ100)」5/1から受付開始

2019年04月29日 06時59分29秒 | ウオーキング
 琵琶湖岸の100kmを歩く「びわ湖チャリティー100km歩行大会(びわ100)」が10月19~20日に開かれる。
5月1日受付開始。6回目の今回は学生も運営に関わり、大津市のシンガー・ソングライターまつうらようこが公式応援ソングを作る。

大学生はホームページの作成や会員制交流サイト(SNS)を使った広報などで協力する。初回から順調に参加者を増やしており、昨年は851人が参加。今年は1,000人を目標にする。
 
主催:  滋賀県内の中小企業代表者や大学生らでつくる実行委員会
開催: 10月19日(土) 10:00 ~ 10月20日(日) 16:00
場所: 長浜市・豊公園(スタート)- 大津市のおごと温泉観光公園(ゴール)
コース:長浜市・豊公園を19日10:00にスタート。琵琶湖岸を時計回りに夜通し歩き、瀬田川洗堰(大津市)を通り、大津市・おごと温泉観光公園に翌日20日16:00までにゴールする。(100km)

3時間遅れで豊公園を出発するアスリートコースもある。コース間には、軽食などを振る舞う5カ所のチェックポイントがある。

受付: 5月1日~7月末まで。先着1,000人で、参加費は15,000円。収益は、主に琵琶湖の保全活動団体に寄付する。
その他: 5月11日には、まつうらようこが公式ソングを披露する関連イベントもある。

詳しくはHPで。 https://biwa100.com/

(問合せ)実行委= 077-574-7200

<中日新聞より>

第14回びわこジャズ東近江2019始まる!!(4/28)

2019年04月28日 14時25分24秒 | 東近江ライフ

↑県立八幡高校吹奏楽部のJAZZバンド

第14回びわこジャズ東近江2019」が今年も4/28~29で始まった。オープニングは八幡高校と近江兄弟社高校のJAZZバンドだ。明日は地元の八日市高校始め高校のバンドが演奏する。
近江鉄道八日市駅から東近江市役所までのグリーンロードをメインにストリートや屋内で華やかに繰り広げられている。

初日の28日は天気に恵まれ、朝からメイン会場は多数の観客が押し寄せていた。県内各地からも来ている。25会場巡りはなかなか難しいが好きなところで耳を傾けるのも楽しいものだ。
一昨年の2018年に東近江市にUターンしてきたので地元民になって2回目のびわこJAZZ観賞である。
地方の東近江市でJAZZの催し物は素晴らしい。それも企画運営はボランティアベースである。「びわこジャズ東近江」は年々充実し、プレイヤーも多くなって来ているので是非多くの人びとにJAZZに触れて欲しい。
市民だけでなく県内県外からも多く参加して貰い、東近江でのJAZZフェスティバルを盛り上げ・定着が望ましい。主催者側は今年は3万人ほどを見込んでいる。

明日も会場に行くつもりである。

 

 


まもなく引退、近江鉄道の700形「あかね号」運転体験に鉄道ファン感動!

2019年04月28日 07時13分32秒 | 東近江ライフ
 5月6日に現役を引退する700形「あかね号」を試運転できる近江鉄道(彦根市)の体験会が4月27日、彦根駅構内で始まった。全国各地の鉄道ファンが別れを惜しみつつ、待望の運転を楽しんだ。
 

 近江鉄道に愛着をもってもらおうと、同社が2015年から行っている人気イベント。あかね号を運転できる最後の機会とあって、参加費1万円ながら中高年を中心に定員(2日間計50人)の3倍近い応募があった。

 近江鉄道本社で電車の構造や動く仕組みについて学んだ後、構内の専用線に止められたクリーム色の2両編成の車両へ。運転席に座ると、運転士の手ほどきを受けて指さし確認し、ブレーキを操作しながら80メートルの区間をゆっくりと走らせた。

 ペダルを踏んで汽笛を鳴らしたり、運転姿をスマートフォンで動画撮影してもらったりする熱心なファンも多く、1人2往復ずつ運転手気分を味わった。

試運転は4月28日も行われる。

<京都新聞より>

東京・日本橋にあるアンテナショップ「ここ滋賀」来館者数80万人突破!

2019年04月28日 06時57分05秒 | 東近江ライフ

  東京・日本橋にある情報発信拠点「ここ滋賀」では、4月初旬に来館者数80万人を突破し、開設当初から引き続き多くの人が訪れている。
もし、東京都内又は近い方は一度、滋賀のアンテナショップ「ここ滋賀」を訪れてみては如何ですか。

 今年度においては、多彩な滋賀の魅力を発信する様々な企画催事を引き続き実施するとともに、日本橋を見渡すことができる屋上テラスも活用しながら、全館一体型で滋賀の魅力を発信していく。
また、総合案内の充実やSNSによる情報発信の強化を図ることにより、「ここ滋賀」から滋賀へのいざない機能を強化していく。

 4月27日からの大型連休中も休まず営業しており、
1階の地酒バー「SHIGA‘s BAR」では、ここ滋賀オリジナル弁当「滋の弁(じのべん) 近江赤ハヤシ」を5月1日~7日までの間、数量限定で販売(1個750円)し、滋賀ならではの食の魅力を提供していく。

ここ滋賀
https://cocoshiga.jp/
東京都中央区日本橋2-7-1
アクセス
東京メトロ・都営地下鉄 日本橋駅:B6、B8出口すぐ
 JR 東京駅:八重洲北口 徒歩6分
バスでのアクセス
 無料巡回バス メトロリンク日本橋
「地下鉄日本橋」停留所最寄り(東京駅八重洲口より約10分間隔で運行)


明日4/28から「第11回びわこJAZZ東近江2019」開催!

2019年04月27日 15時36分33秒 | 東近江ライフ
 既にこのブログでも告知しているように、にぎやかで心地よいジャズの音色が楽しめる「びわこジャズ東近江2019」(東近江市、市教委、東近江市観光協会、滋賀県中小企業家同友会、滋賀報知新聞社、エフエム滋賀後援)が4月28日と29日の2日間、今年も近江鉄道八日市駅前から東近江市役所までの市街地一帯を舞台に開催される。
 
日時: 4月28日(日)・4月29日(月)
28日: 11:00~18:30(一部店舗ではナイトステージも)
29日: 11:00~17:30まで開き、17:50からゲストミュージシャンらのスペシャルセッションがグランドフィナーレ
場所: 近江鉄道八日市駅前から東近江市役所までの市街地一帯

今回で11回目を迎えるびわこジャズ東近江だが今年は海外で活躍するアーティストから注目の若手アーティスト、アマチュアバンドまでの延べ210組(40ステージ)のバンドが出演する。
市役所に設置されたメインステージをはじめ25会場、商店の軒先や公園、広場などがその日だけの特設ステージに変貌する。
 会場ではフードコートや手作り市が軒を連ねるほか、29日のみ警察署前信号から法務局前信号までの県道は歩行者天国となり、大道芸やダンスのパフォーマンスも繰り広げられる。

 また、今年は「第1回パンフェスティバル」(28日11:00~16:00)が開催される。
東近江市内の人気パン工房11店舗が、八日市駅前の「本町商店街アーケード」に限定で出店。好みのパンに舌鼓を打ちながら音楽を楽しむことができる。

 更に、開催期間のみ、びわこジャズ東近江の公式パンフレットか配布チラシ、広報ひがしおうみ4月号のいずれかを持参すれば「ちょこっとバス」全線の運賃が無料になる。

 出演アーティストなど詳しい情報は、ウェブサイト(http://www.biwako-jazzfes.com/2019/)から確認できる。雨天決行。
 問い合わせ: びわこジャズ東近江実行委員会(TEL0748-25-0125)へ。
 
<滋賀報知新聞より>

【滋賀・近江の先人第26回】医師であり有能な商人・売薬の先駆け・正野玄三(滋賀県日野町)

2019年04月27日 07時24分09秒 | 滋賀・近江の先人
正野 玄三(しょうの げんぞう、1659年(万治2年) - 1733年(享保18年))は江戸時代中期の近江日野商人、日野売薬の先駆け・売薬の祖。日野薬品工業の遠祖。

正野家について
正野家の祖は1504年(永正・大永)頃より関東方面に商いをしていた旧家で鎌倉に店舗を持ったが数年で近江国神崎郡佐生村(旧能登川町う・現東近江市)に居住した。代々製茶業を営み、1533年(天文2年)宮中へお茶の献上を行い、1534年(天文3年)に正六位下の官位を得た「玄友」を初代とする。
三代「友斎」まで献茶を行っていたが、四代「宗悦」は1573年~(天正年間)大阪難波で眼医を生業とし名声を博した。1595年(万治2年)生まれの5代「丸右衛門」は4代宗悦の子で、滋賀県愛知川(現愛荘町)に居住し1659年(万治2年)65歳で没した。
1620年(天和6年)、5代「丸右衛門」の嫡男6代「源左衛門」が生まれ帰農した。これが称の玄三の父源左衛門で正野家第六代家主である。
(別の資料においては正野家は代々農業を営むと記されている)

略歴
初代正野玄三は、
1659年(万治2年)、6代目父源七郎・母シノの三男として近江日野の村井(現滋賀県日野町)に誕生し、7代目を継承した幼名「萬四郎」は家業の農業に従事していた。若くして父を亡くし、1676年(延宝4年)数え18歳の時に、名を「源七」と改め、「財を得るには商売に限る」と郷里の近江日野に帰り、日野漆器や茶、布を持って東北地方の行商を始める。当初は次兄丸右衛門と共に行商を行い商いを学んだ。
1684年(貞享元年)29歳、行商人としての独立が認められた。
(別の資料においては、農業の利益が薄いことから越後に赴き商売を習い、父の死去に行商を始めたと記されている)

正野源七(後の玄三)が行商を行った地域は信州・越後・江戸・桑名・京・大阪・堺に及び、京・大阪・堺で仕入れた木綿・古類(古着や中古の装飾品等)・衣料品を信州・越後で売り、信州・越後では縮・たばこ等を仕入れ上方で売り捌いていた。
この間、商売の元手の7割を母や兄弟より借り入れて商売の拡大を図った。また、自身が兄から学んだように、自分も弟安兵衛と一時期共に行商を行い商いを弟に教えた。

1693年(元禄6年)34歳の時、京の医師、名古屋丹水の下で医術修業を始める。
理由は不確かであるが、母シノの病を名医名古屋丹水の治療を受け全快し、医術の有り難さを痛感した。また、先祖に眼医者がいたことから医療に関心を元々持っていたとも考えられる。
医療修行中は、それ迄の売掛金回収や貸付利息収入があり、加えて元禄十年代には手代2名を雇い行商を行わせていたため十分家族を養い、医療製薬修行に励むことができたという。

1697年(元禄11年)39歳、剃髪し僧籍に入り、「玄三」と称した後、高齢となった玄三は1701年(元禄13年)41歳の時、京都を去り、帰郷し近江日野で医業を開業し繁盛したが多くの人を救済するには優れた薬剤を広く頒布ことと悟った合薬を製造して、これを全国販売することにした。
これが近江日野売薬の始まりである。玄三は医術と売薬業を兼務し、神農感応丸、萬応丸を創製した。日野の製薬は日野漆器に代わって日野商人の重要な行商品として全国的に有名になり、その後の発展に寄与し、日野の合薬は瞬く間に全国に普及した。

日野の製薬業の起源は玄三が行商を通じ諸国を見た結果、治療を受けることができず命を落とす人が多く、薬さえあれば多くの人の命を救うことが出来ると考えたことによる。
翌年、近江日野の店に薬調剤を行う室を設け1703年(元禄16年)44歳、には製薬卸業も軌道に乗るに至った。薬種を堺で仕入れ、日野で調合し、合薬として手代等雇い人に行商を行わせた。
また、他の行商人や各地の薬売への卸売りを行った。従前の商い品に比べ合薬は携行し易く行商向きであると共に、通常の行商の利益率(1割~2割り)に比べ合薬は(3割~4割)収益性も高いことから、玄三の財産はこれ以降飛躍的に伸びていった。
財産は、大名貸しの焦げ付き等があったにも係わらず、製薬卸業に転換して25年目の1725年(享保10年)66歳、には82百両超(約3.3億円)の資産を持つまでに伸張した。

1705年(宝永2年)46歳、「法橋」に任じられ、法橋の地位を得た後、自らを律すべく全十二条の家訓を定めた。
特記すべきは相場取引の禁止と大名貸しへの注意である。
この内大名貸しは、元禄時代の物価上昇から巨利に目が眩み多くの商人が多額の貸付を大名に対し行ったが、元禄終焉と共に大名の返済が困難となり、結果多くの商人が商売廃業迄に至っていた。
このことから玄三は大名貸しは身代の二割以内と定めた。実際、正野家においても玄三生存中に近隣領主である仁正寺藩市橋家(近江日野藩主)からの申し出を断り切れず貸し出しを行った結果、1709年(宝永6年)50歳、には市橋家では返済困難に陥り多額の損失が生じた。
商売の発展と共に家訓・規則は雇用人の規則や店運営上の規則、分家と本家間の規則など複雑かつきめ細かな内容へ変化していった。

1732年(享保17年)73歳、資産を長男名古屋伯由は医師名古屋家に入家させ京都の屋敷に貸家等の不動産を、次男猪之五郎には自家の跡目を相続させ日野の本宅・店を譲渡した。
明治維新後の西洋医学全盛において日野の売薬業は不振に陥り、当時の正野家家主第八代玄三が中心となり、日野の中小売薬事業者救済のため江州日野製剤株式会社(現日野薬品工業)を設立し、同社初代社長に就任し日野の売薬を守り抜いた。

また、正野玄三家は、明治26年(1893年)、中井源三郎・小林吟右衛門・阿部市郎兵衛といった湖東・日野方面の錚々たる近江商人と共に協力し、東海道線彦根駅から高宮・日野など内陸部を通って関西鉄道深川駅を結ぶ近江鉄道会社の創設にも寄与している。 
その他、綿布製織(明治22年)、日野製薬(明治23年)、八幡銀行(明治23年)、伊予紡績(明治25年)、堺煉瓦(明治29年)、日野銀行(明治29年)、日野町製薬(大正3年)の創設に関与し、地方教育、奨学制度、貧民救済にも寄与した。

日野まちかど感応館(旧正野玄三薬店)

萬病感応丸
萬病感応丸は正野家で代々扱われてきた合薬で、初代玄三の頃は「神農感応丸」と名づけられていたが万病に効くことから、万病の二字が商品名に付くようになった。
効能としては「熱病・感冒・吐瀉・魚鳥食中毒・心臓病・腹痛・胃腸病・眩暈・昏倒・流行病・下痢・産の前後」と謳われている。現在も「正野萬病感応丸」として販売されている。

日野薬品工業・正野萬病感応丸

<Wikipedia等引用>

連休中の滋賀県下の高速道路 渋滞予想

2019年04月26日 18時17分53秒 | 東近江ライフ
高速道路各社は、5月6日までの10連休を中心とした県内の高速道路の渋滞予測をまとめた。

滋賀県内の高速道路は4月27日から28日にかけてと、5月3日から5日にかけての間が混雑のピークになると予想されている。

【名神下り】
4月28日と29日:17:00頃、5月3日~5日:18:00頃をピークに、菩提寺パーキングエリアを先頭にした最大15kmの渋滞
4月28日:17:00頃をピークに、瀬田西インターチェンジを先頭にした最大15kmの渋滞

【名神上り】
4月27日以降、午前中を中心に大津インターチェンジを先頭にした15km以上の渋滞
4月27日:10:00頃
4月28日:09:00頃
をピークに、25kmの渋滞
5月2日、3日:09:00頃をピークに25km~30kmの渋滞

【京滋バイパス】

京都に向かう下り
5月4日と5日の夕方を中心に宇治トンネル付近を先頭にした最大10kmの渋滞

【新名神高速道路と北陸自動車道】
大型連休の期間中、10km以上の渋滞は予想なし

八幡ドルの夜景(八幡山ロープウェー)

2019年04月26日 12時14分00秒 | 東近江ライフ

4月27日(土)~5月5日(日)までの連休中、八幡山ロープウェーの夜間特別営業を行う。延長時間は17:00~19:30(上り最終19:00)まで。

 普段は見ることができない街灯りが星のようにきらめく「八幡ドル」の美しい夜景を楽しむことができる。夜間営業中は山頂駅から村雲御所瑞龍寺門跡までの散策コース沿いの新緑をライトアップする。
 また、展望台や西の丸など3ヶ所に設置している「恋人の聖地モニュメント」もスポットライトで浮かび上がらせ、ロマンチックなカップルの宵を演出する。点灯時間は18:00から。
 ロープウェーの往復料金は大人880円、子ども(6~12歳未満)440円。
問い合わせ: 八幡山ロープウェー(TEL 0748-32-0303)へ。
 
<滋賀報知新聞より>