「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

尊皇攘夷運動に殉じた丹羽正雄の顕彰碑

2019年03月08日 09時00分19秒 | 東近江探訪


丹羽正雄の顕彰碑が東近江市鯰江町の鯰江城趾碑の隣にある。
丹羽正雄(にわ-まさお)は滋賀県東近江市出身の幕末の尊皇攘夷運動家だった。
梅田雲浜に儒学・尊攘論を学び、平野國臣、頼三樹三郎などと交わった。
後、三条家の臣、丹羽正庸の養子となり、文久3年の8月18日の政変で七卿に従い長州に供した。
京都潜伏中に捕らえられ、元治元年7月20日禁門の変の際に処刑された。1834年(天保5年)-1864年元治(元年)30歳だった。
別途、このブログの「滋賀・近江の先人」で紹介する。

日本の民間飛行家の先駆者「荻田 常三郎」の顕彰碑

2019年02月24日 09時32分16秒 | 東近江探訪

↑荻田常三郎の顕彰碑

荻田常三郎(おぎた つねさぶろう)は、滋賀県愛知郡島川村(後の八木荘村、現・愛知郡愛荘町島川)生まれの「民間飛行家」の先駆者である。
大正3年(1914年)にフランスで飛行ライセンスを取り、自費で購入した飛行機で、大正3年(1914年)に兵庫で凱旋飛行をしている。
アメリカのライト兄弟が1903年(明治36年)に世界初の有人動力飛行に成功したが、萩田の飛行はわずか10年後の快挙であった。
1914年、故郷の滋賀でも成功し、八日市の「沖野ヶ原」に飛行場と飛行学校の夢半ばで不慮の墜落事故で亡くなった。

民間飛行家のパイオニアを讃えて東近江市の延命公園に、夢の沖野ヶ原飛行場の方向に向けた顕彰碑が建てられている。
詳しくは別途、「滋賀・近江の先人」でも紹介予定である。


江戸後期-明治時代の近江の書家/国学者(長野主膳の門弟)・島村紀孝の自宅

2019年02月17日 10時36分02秒 | 東近江探訪


江戸後期-明治時代の書家・国学者で現・東近江で私塾「松廼舎」を創設し、地域で師弟教育に捧げた「島村紀孝」1807年(文化4年)-1895年(明治28年)の自宅が東近江市金屋町に残っている。

島村家は代々商業を営み、教育者の家柄であった。
祖先は近江守護佐々木氏の家柄で祖父の時代から詩歌、国典に親しみ、父からも教えを受け、当時は石田梅岩の「心学」が盛んで、島村家でも心学舎を経営していた。父を助けて家塾で師弟の教育をしていた。
37歳の時、坂田郡志賀谷村(山東町・現米原市)の高尚館の長野善言(井伊直弼の腹心長野主膳(しゅぜん))に国学を学んでいる。島村の私塾「松廼舎」では子弟を教育し、その名声をきき、門人は千人を越えたと言う。

島村紀孝・桜川大龍のお墓がある金念寺(東近江市)

2019年02月15日 12時11分40秒 | 東近江探訪

↑東近江市金屋町の「金念寺

2月13日(水)午後、約60年ぶりに東近江市金屋町にある「金念寺」を訪れた。

金念寺は亡き母の実家に近く、子供の頃、寺の近くで夏の盆踊りがあったの時、何度か行ったことがある。大変賑わっていた記憶がある。
勿論当時は、江戸末期の郷土の国学者「島村紀孝」と「桜川大龍」のお墓があることは知らなかった。

島村紀孝は彦根藩井伊直弼大老の腹心「長野主膳」の門弟だった。一方、桜川大龍江州音頭を創った人とである。いずれも現東近江市出身であった。
両名についてはこのブログの「滋賀・近江の先人」で別途、紹介予定である。


↑島村紀孝の顕彰碑





↑桜川雛山の碑

↑江州音頭の拙文

東近江市・元仙台藩が造った「万石堤」

2018年12月10日 07時00分00秒 | 東近江探訪

↑元仙台藩が作った「万石堤」

小さい頃、台風時期に近くで東近江市を流れる天井川の小さな「蛇砂川」が時々、氾濫した記憶が残っている。昔から氾濫は発生していたようだ。
近江には野洲と羽田(東近江市)に仙台藩の一万石の飛び地があったので当時のこの地の地元民が仙台藩に救済を求めたのだろう。それが今も一部が残る「百万堤」だ。
12月8日(土)、布引運動公園の帰路、立ち寄ってみた。
昔、この付近には「十年森」と呼ぶ森があり、子供の頃よく遊んだ。今は家や店が建ちすっかり変わってしまった。土塁に似た堤が仙台藩によるものだとは最近まで知らなかった。
この場所は東近江市社会福祉会館ハートピア敷地にある。








↑十年森があったところ


東近江市・瓦屋(禅)寺の紅葉 (11/20)

2018年11月20日 12時36分49秒 | 東近江探訪

↑東近江市・瓦屋寺

11月20日、昨年に続き東近江市内の瓦屋寺の紅葉を観に訪ねた。見頃は昨年と比べて1週間ほど早かったかもしれない。
昨年のブログは2017年11月17日を参照下さい。

瓦屋寺は湖東三山と永源寺と比べるとこじんまりではあるが、ひなびた本堂と紅葉はわざわざ遠くまで行かなくても楽しめる。境内には廻り経堂もあるので一見すると良い。
瓦屋寺へは車、或いは麓から階段でも登れ、太郎坊宮側と近江鉄道八日市駅からハイキングにも持って来いのコースである。











東近江探訪 まだちょっと早かった湖東三山・東近江市「百済寺」の紅葉 (11/24)

2017年11月25日 05時00分00秒 | 東近江探訪

↑百済寺のもみじ回廊

11月24日(金)、東近江市の紅葉の湖東三山「百済寺」を観に出掛けたが百済寺のみ、今少し早かったみたいだ。よって今回は有料の境内入らなかった。
西明寺と金剛輪寺、永源寺は見頃である。百済寺には来週にももう一度訪れてみよう。





12/2 「井伊家 ゆかりの地を巡る」【イベント紹介】

2017年11月24日 05時00分00秒 | 東近江探訪
12月2日(土)、東近江市観光協会主催の東近江歴史探訪「井伊家 ゆかりの地を巡る」をHPから紹介する。

徳川四天王の一人 井伊直政は関ヶ原以後 石田三成の居城佐和山城と旧領を西国と京の抑えとして家康から託されます。
これ以降、明治維新にいたるまで井伊家は譜代筆頭として彦根を中心に湖東から湖北にかけての地30万石を領します。江戸幕藩体制で一度も領地替えのなかった稀有な大名家です。二百数十年に及ぶこの間に東近江に刻まれた井伊家ゆかりの地を巡ります。

開催日: 平成29年12月2日(土)
時間: 09:20~16:30頃(予定)
集合: JR能登川駅西口(9:20)
解散: JR能登川駅(16:30頃)
語り部:山本 一博
参加費用:7,800円
募集人数:30名(先着順)
主な見学先:
栗見新田町・栗見出在家町 百済寺 日登美山荘(昼食)大本山永源寺 松雲寺 近江商人郷土館

このツアーの壺
◆井伊家2代当主直孝は、次期当主と目されていた嫡男直滋を突然勘当し、百済寺に幽閉します。謎に包まれた直滋の後半生を、百済寺ご住職のお話とともに辿ります。
◆4代当主直興は、全領民に寄付を募り大洞弁財天堂を建立するなど、仏教と深くかかわりました。また、禅僧南嶺慧詢に深く帰依しており、慧詢が住した永源寺・松雲寺を訪ね、直興関連の歴史に触れます。
◆直線的な道路と均一な間口の屋敷地、彦根藩が実施した新田開発に伴って誕生した都市計画集落があります。愛知川河口の集落、栗見新田町と栗見出在家町です。今も語り継がれる開発の歴史を、地元の方に語っていただきます。
◆昼食は、永源寺ダムに沈むはずだった古民家を利用した日登美山荘にて、人気の地元食材を利用した料理を召し上がっていただきます。

問い合わせ
(一社)東近江市観光協会
TEL:0748-48-2100
http://www.higashiomi.net/tour

東近江の秋 名刹・紅葉の名所「永源寺」(11/21)

2017年11月22日 05時00分00秒 | 東近江探訪

↑臨済宗永源寺派総本山「永源寺」

11月21日(火)、東近江市の名刹・紅葉の名所「永源寺」を訪ねた。
湖東三山の百済寺、金剛輪寺、西明寺と、この永源寺は東近江市・湖東地域における紅葉の名所である。
今が紅葉観賞のベスト時期である。永源寺へは名神高速道路八日市ICから8kmで行ける。
尚、永源寺には彦根藩4代藩主の井伊直興の墓所がある。






























↑彦根藩4代藩主の井伊直興の墓所