「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

2019年千葉県ウォーキング協会及び加盟6団体のウォーキング行事表

2018年12月31日 08時53分25秒 | ウオーキング
今日は2018年の大晦日。滋賀県へのUターンに伴い、CWA千葉県ウォーキング協会を退会して1年半になる。
船橋市在住時、お世話になった船橋歩こう会と千葉県ウォーキング協会プラス6つの加盟団体(ちば歩こう会、船橋歩こう会、北総歩こう会、いちかわ歩こう会、東総歩こう会、東葛ウォーキングクラブ)の年間行事予定を今もこのブログでも紹介している。
2019年も歩友の健勝を願う。

詳しくはCWA-HPをご覧下さい。
http://npocwa.c.ooco.jp/

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↑CWA2019年年間行事表

2019年滋賀県ウォーキング協会年間行事予定

2018年12月30日 09時26分09秒 | ウオーキング
滋賀県ウォーキング協会はHP上にて「2019年年間行事予定」を発表したのでこのブログでも紹介する。
2019年も盛り沢山の行事予定である。滋賀県ウォーキング協会恒例の「琵琶湖一周健康ウォーキング」も実施される。
是非、多数、滋賀のウォーキングも楽しんで欲しいものだ。

詳しくは滋賀県ウォーキング協会のHPをご覧下さい。
http://shiga-walking.sakura.ne.jp/

 
↑クリックすれば大きくなる。

東近江市は三日連続の雪

2018年12月30日 07時55分23秒 | スローライフ日記


今年も残り少なくなった12月30日(日)の朝も雪降りだ。
同じ滋賀県でも北部はもっと大雪になっているだろうがこれで東近江市も三日連続の雪である。
昨日は一部溶けたので積雪量は10cm以下となっている。この程度であれば日常生活には大きな支障はないがそれでも散歩は転倒の恐れがあるので止めている。早く止んで欲しいものだ。


2019年「船橋歩こう会」例会スケジュール一覧

2018年12月29日 07時00分00秒 | 船橋歩こう会
2018年も残り少なくなった。
2019年の「船橋歩こう会」の年間予定計画が船歩HP上で発表されているのでこのブログでも紹介したい。
40数年の転勤生活の最後の20年弱住み慣れた船橋市を離れ、滋賀にUターンして早や1年半となる。残念だが今は昔のように歩けなくなり、懐かしい船歩の例会や千葉の多くの歩友を思い出す。船橋歩こう会は私のウォーキングの親元。滋賀県からは遠くて参加できないがこれからも盛会な船歩の例会と歩友の健勝を祈りたい。


(注)詳しくは船歩のHPで確認下さい。
http://funaho-official.sakura.ne.jp/index.html

道の駅「アグリパーク竜王」

2018年12月28日 05時42分06秒 | 東近江ライフ

↑アグリパーク竜王

12月26日(水)、滋賀県竜王町にある道の駅「アグリパーク竜王」に立ち寄った。ここは三井アウトレットパーク竜王からも近い。
太陽と空気と土と触れ合い、果樹や体験農園を中心とした観光型農業公園だそうだ。『自然の中の広場と農産物』『遊園と新鮮果実、野菜』に直に親しめる広場である。
農業公園では日野町の大規模な滋賀県農業公園「ブルーメの丘」が有名である。
同じ竜王町にある「古株牧場」のチーズを見に行ったがあいにく定休日でまた、次回とする。






伊藤忠・丸紅のルーツ「伊藤忠兵衛記念館」

2018年12月27日 07時00分00秒 | 滋賀・近江の先人

↑伊藤忠兵衛の本家「伊藤忠兵衛記念館」の正面

12月25日(火)、近江商人である伊藤忠・丸紅のルーツ伊藤忠兵衛記念館」(伊藤忠兵衛の本家)は、滋賀県東部の人口1万人余の小さな町「豊郷町」にある。

初代伊藤忠兵衛は、五代目伊藤長兵衛の次男として生まれた。生家は紅長(べんちょう)の屋号で耳付物という繊維品の小売をし、地主でもあった。伊藤家は、この初代伊藤忠兵衛と兄の六代目伊藤長兵衛が、近江湖東の犬上郡甲良郷八目村(犬上郡豊郷町八目)で安政5年(1858年)に近江麻布類の持下り商を開業し、堺や紀州に行商した。伊藤忠も丸紅も、この年を創業年としている。

兄の長兵衛は滋賀の国元で仕入れに当たり、後に博多で「伊藤長兵衛商店」を開業した。弟の忠兵衛は、明治5年(1872年)、大阪の本町に呉服・太物店「紅忠(べんちゅう)」を開業、麻布類・尾濃織物・関東織物を取り扱った。この2つが合併・分割を繰り返して現在の伊藤忠・丸紅につながっている。
伊藤忠、丸紅は今も毎年、新卒者研修の一環として数百名が2社のルーツである伊藤忠本家「伊藤忠兵衛記念館」を訪れる。
忠兵衛の甥であり丸紅専務であった古川鉄治郎が当時(昭和12年)東洋一の小学校と言われた豊郷小学校を寄付している。伊藤家は豊郷病院を寄付している。その志、故郷愛は現代においても伊藤忠財団を通じて地元へのメセナ活動に貢献を続けている。


















↑初代伊藤忠兵衛と妻の八重

元東洋一の小学校「豊郷小学校旧校舎群」再訪

2018年12月26日 05時45分47秒 | 滋賀・近江の先人

↑豊郷小学校旧校舎

12月22日(土)の夜、滋賀県犬上郡豊郷町にある「豊郷小学校旧校舎群」のライティングを見に出掛けたが夜間だったので校内は見られなかった。旧校舎は一般公開されており、12月25日に再訪した。

豊郷小学校旧校舎群は取り壊し問題で町内対立を生み、TVでも話題になったこともある。現在は保存され文化財となり、観光名所にもなっている。旧校舎は町立図書館や子育て支援センターなど町の複合施設として利用されており、校舎の見学もできる。

この小学校の寄付者の「古川鉄治郎」は、伊藤忠・丸紅の創設者である初代伊藤忠兵衛の夫人である「八重」さんの妹の子供で、忠兵衛さんの義理の甥にあたる。古川鉄治郎は初めは伊藤忠に勤めたが後年、伊藤忠から分社した「丸紅」専務を務めた。この時の丸紅の社長は伊藤忠兵衛さんの兄(伊藤長兵衛)側の人がなっていたと言う。今では別会社であるが伊藤忠と丸紅は兄弟会社だったのだ。
古川鉄治郎氏の生家が豊郷町内に残っているようなので又別途訪問してみたい。

「豊郷小学校旧校舎群」に関してWikipediaによると、
豊郷小学校は、1873年(明治6年)に設立された。1887年(明治20年)には当地出身の豪商・薩摩治兵衛をはじめとする有力者から寄付金を得て、校舎の新築された。
しかし、初代校舎は生徒の増加に伴って手狭になり、同時に校舎の腐朽も進行していため、1937年(昭和12年)に同校出身で丸紅の専務取締役であった古川鉄治郎が新築費用の寄付により2代目校舎が建築された。設計はヴォーリズ建築事務所、建設は竹中工務店が担当し、当時としては珍しい壮麗な鉄筋コンクリート造の校舎は「白亜の殿堂」ないし「東洋一の小学校」とも言われた。また、暖房設備など当時最先端の技術も導入され、その総工費は当時の豊郷町予算の10倍に相当した。

1999年(平成11年)に、大野和三郎が豊郷町長に就任すると、2代目校舎を取り壊して3代目校舎を新築することを突如発表した。歴史的建造物を守ろうとする住民により、市民団体「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」(以下「考える会」)が設立され、校舎の保存運動を展開。この取り組みは全国に報道され、注目を集めた。
この間、10年間裁判沙汰等、紆余曲折があり2代目校舎の保存はなったものの、2004年3月に3代目校舎が竣工、供用が開始されている。旧校舎は耐震工事完了後の2009年(平成21年)5月30日、町立図書館などが入居する複合施設として再出発した。

旧校舎の階段の手摺には、イソップ寓話「兎と亀」をモチーフとしたブロンズ装飾が設置され、保存運動のシンボルにもなっている。
2009年(平成21年)春頃より放映された深夜アニメ『けいおん!』(京都アニメーション制作)に登場する架空の高校がこの校舎と酷似しており、モデルと認知されていることから、いわゆる「聖地巡礼」として訪れるファンも多い。
また、地元商工会も町起こしを目的として、「けいおんでまちおこし実行委員会」を設け、旧校舎内にて「けいおん!カフェ」の開業や、ライブ[12]の開催を実行している。旧校舎内の音楽室にはファンが持ち寄った「けいおん!」関連のグッズや楽器が多数展示されている。
2012年9月21日、文化審議会による登録有形文化財の答申があり、豊郷小学校旧校舎群も答申の対象となった。




↑古川鉄治郎の像












↑別棟の立派な講堂

↑現在の豊郷小学校(旧校舎の裏にある)

2018年メリークリスマス

2018年12月25日 07時00分00秒 | 東近江ローカル散歩

↑お客で混み合うクリスマスケーキのケーキ屋さん

クリスマスイブの12月24日(月)夕方、近所を散歩した。
少しは寒いがこれまでは比較的暖かい師走である。東近江市は今年まだ雪は降っていない。雪無しの穏やかなクリスマスである。
散歩の途中、近所のケーキ屋さん2軒を覗いてみたら案の定、客で混んでいた。
散歩道には早や「太郎坊宮」の初詣の旗が立っていた。クリスマスが済めば湖国も一気にお正月モードになる。