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↑富木常忍の城館だった「若宮館」と日常聖人(富木常忍)像
10月22日(土)、富木常忍の城館だった「若宮館」としての視点で「奥之院」を訪れた。
これまでは日常聖人の中山法華経寺、奥之院は度々ウォーキングで訪れていた。
歴史によると、鎌倉時代中期、下総国の守護であった千葉頼胤の家臣、富木常忍(ときじょうにん)は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地(千葉県市川市若宮)に若宮館を構え、鎌倉幕府に奉公していた。そこで布教活動をしていた日蓮と出会い信者になった。
1260年、鎌倉の松葉ヶ谷で日蓮は焼き討ちにあったが、富木常忍を頼って若宮館に逃れている。このとき富木常忍は館のなかに法華堂を建て日蓮を迎えた。1264年に安房 小松原(千葉県鴨川市)で東条景信に襲われた時にも若宮館に逃れた。若宮館が「初転法輪の旧跡」と呼ばれるのは、この法華堂で百回にも及ぶ説法が開かれたことに由来する。この説法により、中山の大田乗明や曽谷の曽谷教信は信者となっている。
1282年に日蓮が入滅すると、富木常忍は出家して日常(にちじょう)と号し、法華堂を法華寺と改称した。後に(1545年)古河公方の足利晴氏より称号が贈られ、法華寺は中山の本妙寺と合体して法華経寺となった。富木常忍こと日常が第一世(初代貫首)となり、法華寺(若宮館)はその奥之院となった。
※太田乗明の屋敷跡が本妙寺。かつて本妙寺があった場所は、法華堂、祖師堂、五重塔のある中山法華経寺の位置であると。。。
つまり、中山法華経寺の開祖「日常聖人」は下総の守護千葉氏の部下で、武士「富木常忍」だったのである。
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