「ウォーキング三昧」in 滋賀

「ウォーキング三昧」は2013年3月以来発信して来ましたが2019年5月1日、「スローライフ滋賀」に移行しました。

100名城めぐり(16城目登城) (掛川城)

2014年09月30日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑掛川城二の丸

9月18日(木)、関西への帰省途中、小田原城に続いて掛川城に立ち寄った。
掛川城は戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。室町時代中期の文明(1469年 - 1487年)年間に守護大名・今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられている。
現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。しかし、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、山内一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転している。
掛川城は予想に反して立派な城だった。
東から小田原城、駿府城、掛川城、岡崎城と東海道の要所に睨みを効かずところにある。


↑掛川城の大手門側から登城した

↑階段を上がる

↑更に上がると。。。

↑掛川城を別な角度からみる

↑掛川城の別門から降りてきた

↑歴代の城主の甲冑

房総半島ひとり横断ウオーク 長狭街道 大山千枚田~内房保田(19km)

2014年09月29日 06時00分00秒 | 南房総ウォーク

↑長狭街道の途中で見た不思議な案山子

約1ヶ月ぶりのウオーキングだ。近頃はWeelky WalkerどころかMonthly Walkerになってしまった。
好天の9月28日(日)、長狭街道の「大山千枚田~内房保田」(県道34号線)を歩いた。前回は「大山千枚田~鴨川」を歩いたのでこれで長狭街道の鴨川から保田まで横断したことになる。
今回のルートは15km位と想定していたが19kmになってしまい、保田駅から館山行きの電車に遅れてしまった。結局45分駅で待つことになった。南房総では1時間に1本の電車なので気をつけないとこうなる。
ルートの半分近くだらだら登りの道で、近頃は20km近いウオーキングをしていない、月に数回程度のウオーキングしか出来ていないことなど、また、9/29は暑かったので最後にはバテてしまった。
今回は全く山間部のルートでみどり一杯だったが紅葉にはまだ少し先である。
これで南房総横断ルートの1つをウオーキングしたことになる。大原~五井までのルートは別途チャレンジしたいと思っている。


↑保田駅に下車した時の団体さん

↑保田中央バス停からバスで釜沼(大山千枚田)で下車、本日はここから保田に向かって歩く

↑道端のコスモス

↑長狭街道を保田に向かって歩く


↑保田へ一路

↑富津市に入る



↑長狭街道を保田へ

↑道端の花が目を和ませてくれる

↑だいぶ保田に近づいた

↑ススキ(秋を感じさせてくれる)

↑保田に帰ってきた

↑間もなく保田駅

↑今回のゴールの保田駅(疲れた!)

100名城めぐり(15城目登城) (小田原城)

2014年09月28日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑小田原城の天守閣

船橋から滋賀の実家に帰省途中の9月18日(木)、東名高速を途中下車して小田原城に立ち寄った。
小田原は過去、板東33観音「飯泉観音」に来た時以来でもう15年近く前である。
小田原城は戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)で、あの北条氏の本拠地として有名である。栄華と力量があった北条氏の城だけあって立派な城である。
先を急ぎ、東名の途中の掛川城に立ち寄ることにした。


↑さあ、小田原城へ登城

↑石畳の階段を上がります

↑立派な門を潜ります

↑小田原城天守閣の全景

↑天守に上がります

新京成健康ハイク(9/27)

2014年09月27日 06時00分00秒 | ウオーキング


恒例の船橋歩こう会協力の新京成健康ハイクが9月27日(土)に開催される。
スタート:09:00~10:30 くぬぎ山公園(くぬぎ山駅3分)
ゴール:11:30~15:30 鎌ヶ谷八幡神社(鎌ヶ谷大仏駅1分)

今回は鎌ヶ谷を中心とした「梨・ぶどうの産地と鎌ヶ谷スタジアムをめぐるみち」と中々良さそうなコースである。
私も参加したかったが残念ながら船橋の自宅に帰れないため参加できない。
絶好のウオーキングを楽しんで貰いたいものだ。




100名城めぐり(14城目登城) 東北10名城(山形城・霞城)

2014年09月26日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑最上義光と山形城二の丸

山形城は土塁と水堀りで守りを固めた城であり、本格的な天守閣はない。
おおよその城郭構造の基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。現在は、そのほとんどが失われ、二の丸跡が霞城公園として残されている。

9月16日(火)、今回の東北10名城巡りの最終城である山形城(霞城)を秋田城を経て登城した。元々は誇大な城だったであろう。
2泊3日で東北10名城を駆け足で巡り、船橋に戻ったのは9月16日の夜になっていた。全行程1700km-1800km走破疲れた!
八戸の根城の中身は見られなかったので次回訪問の機会にしたいと思う。


↑山形城東大手門付近

↑山形城東大手門付近

↑山形城東大手門

↑二の丸

100名城めぐり(13城目登城) 東北10名城(秋田・久保田城)

2014年09月25日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑秋田城(久保田城)の天守閣

秋田城は久保田藩主佐竹氏の居城である。矢留城、葛根城とも呼ばれる。江戸時代後期の公式文書では「秋田城」と書かれることも多かったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城とは所在地ともに別の城であり、今日では「久保田城」の方が一般的である。

9月15日(月)の夜は秋田城前のホテルに宿泊した。久保田城は秋田駅にも近く絶好のロケーションにある。
9月16日(火)朝、激しい雨が降っていたが8時頃には小降りになり雨の中、人少ない城に登城した。お城見学をし、一旦ホテルに戻ってから改めて佐竹資料館でスタンプを頂き、今回の東北10名城巡りの最後である山形城に向かった。


↑ホテルから見る久保田城の山

↑さあこれから登城

↑久保田城の城門

↑久保田藩初代藩主である佐竹義宣の像

↑綺麗な久保田城

↑久保田城から眼下にみる城下

100名城めぐり(12城目登城) 東北10名城(弘前城)

2014年09月24日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑弘前城天守閣

9月15日の最後、「弘前城」に登城した。
1977年の桜の季節に来て以来、37年ぶりの弘前城であった。天守付近と赤い橋に記憶があったが立派な城である。
弘前城は江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城で、津軽地方の政治経済の中心地だった。
城は津軽平野に位置し、城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城である。現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、8棟の建築と現存12天守に数えられる内の天守1棟が現存する。正に東北きっての名城である。


↑さあ、弘前城へ登城





↑綺麗な弘前城

↑弘前城のお堀

↑市内にあった古い銀行庁舎

100名城めぐり(11城目登城) 東北10名城(八戸城)

2014年09月23日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑八戸根城の正門

9月15日(月)の3城目の八戸城(根城)を午後、盛岡城経由で訪れた。根城に到着したのは14時過ぎだった。
根城は八戸市街地の西端にあり馬淵川南岸の河岸段丘上にある。
本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里館の5つの館(曲輪)が連なる連郭式の平山城である。
現在、館跡の礎石、曲輪、空堀、土塁が遺構として認められる。本丸には主殿・中馬屋・工房・鍛冶工房・板倉・納屋・東門が復元されている。
但し、今回残念だったが弘前へ急ぐため根城の中には入らず表門だけで失礼した。次回は夏のお祭り時期に再度訪れゆっくり鑑賞したいと思う。


100名城めぐり(10城目登城) 東北10名城(盛岡城)

2014年09月22日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑盛岡城のトレードマークである赤い橋と城壁

9月15日(月)、仙台から盛岡城を訪れた。今回では6城目である。
初めての岩手県。仙台から車で約2時間の距離だ。新幹線が出来てからは速くなったがやはり遠い。
「盛岡城」は南部(盛岡)藩南部氏の居城である。
本丸には天守台が築かれたが、幕府への遠慮から天守は築かれず、天守台に御三階櫓が建造され代用とされた。
現在の盛岡城址は「岩手公園」として整備され、岩手出身の宮沢賢治の詩碑や、石川啄木の歌碑などが公園内にある。(但し、今回見られなかった)


↑今に残る城壁

↑場内の庭園

↑お祭りが行われていた盛岡

100名城めぐり(9城目登城) 東北10名城(仙台 青葉城)

2014年09月21日 06時00分00秒 | 日本100名城

↑青葉城内に建つ伊達政宗

前日は仙台で宿泊した。久しぶりに友人に合い、夕食は美味し牛タンを頂いた。
9月15日(月)朝9時、青葉城に出向いた。青葉城は天守はなく、一部城壁が当時を思わせる。伊達正宗の像が仙台全体を睨んでいる。
慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、全国規模の城であった。
奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく要塞としての機能を終えて、その後は明治初期から大正にかけてその大半が失われた。数少ない遺構であった大手門、脇櫓、巽門は国宝(旧国宝)に指定されていたが、第二次世界大戦時の仙台空襲により焼失した。現在では、宮城県知事公舎正門の建築に転用された寅の門の部材が残るのみである。
杜の都仙台の名のごとく青葉山の公園は緑で一杯である。また、全山がまるで東北大学のキャンパスみたいだ。さぞかし勉強に集中できる環境だ。
もっとゆっくりしたかったが次の城、盛岡城に向かうため仙台を離れた。


↑今に残る数少ない青葉城の城壁

↑場内にある土井晩翠の像

↑場内にある神社