↑旧日本海軍無線電信所船橋送信所(海軍行田無線搭)のモニュメント
↑船橋市山手にある旧海軍省の石柱
2013年の終戦記念日も終わった8/17-18の週末、船橋の自宅に帰った。
8/18(日)、これまで気になっていた「
旧日本海軍無線電信所船橋送信所(海軍行田無線搭)の旧跡がないか公園内をうろついて見たが新たな発見は何も見つからなかった。
4月19日(金)のこのブログでも紹介したが船橋の行田公園は旧日本海軍無線電信所船橋送信所(海軍行田無線搭)」だったところで太平洋戦争勃発で真珠湾攻撃の暗号文
「ニイタカヤマノボレ(新高山登れ)1208」がこの行田から送信されたところである。
公園管理人に尋ねてみたがモニュメントと事務所内に掲示されている全景の航空写真以外、今は何も残されていない。
しかし、話の中で行田は旧海軍ゆかりの地であるので公園外の所々に旧海軍に関係するものが少し残っていると聞いた。その管理人は公園近くの民家に旧海軍を表す石柱が民家に今も残っていると教えてくれた。
早速、それを探すため行田公園を出て山手付近の入りくんだところをうろつき廻り最終的に2本の石柱を見つけた。
それは行田公園から10分程度の「山手」の民家の一角に今も残されていて
「許可ナキ者は 入る可カラズ 海軍省」と書かれていた。
今の民家から当時の面影は感じることはできない。よってこの石柱は何用のものか推測するしかないが石柱の大きさ、民家の敷地の広さ、行田公園=元送信所からの距離からして、これは旧海軍の「官舎」か「送信所施設」の門柱ではないだろうか。これは私個人の想像で根拠はない。
でも、この小さな石柱から65年以上も昔を勝手に想像逞しくできるのは実に楽しいことでもある。
まだ他に何か残っていないか調べてこの辺りをまた徘徊してみよう。
以下の写真をクリックすると大きくなります。
↑いつもはひっそりとする行田公園の一角にある旧日本海軍無線電信所船橋送信所(海軍行田無線搭)のモニュメント
↑昭和40年代は初めまであった元送信所のアンテナ群(インターネットより)
↑船橋市山手の民家に残る旧海軍省と記された石柱
↑夏でも涼しいグリーン一杯の行田公園