のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

熊之助

2009年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 小学校の交通安全教室に行ってきました。低学年の児童が横断歩道を渡る勉強の手伝いでした。気がついたことですが、子供達が信号のどこを見ているのか?注目していたら、横断歩道の歩行者用の信号ではなく、自動車用の信号でした。横断するときも信号だけ見ていて右左を確認しないので、右折や左折の自動車があった場合には危険です。こうした問題点に気を使いながら1時間少々横断ほどの練習をしました。

090427a 小学校の裏には沼田城三代目城主の真田熊之助の墓があります。

 城主と言っても、3歳で城主になり、7歳で江戸で没してその遺骸がここに葬られたようです。

 何でこんなところ辺鄙なに葬られたのか?幼児死亡率の高かった時代とは言え、暗殺なのか、疫病なのか?それにしても小学校の裏に幼くして没した城主の墓とは、皮肉にも思えますが、子供達を守ってもらえれば・・・。

 この熊之助の兄弟で第5代沼田城主の真田伊賀守信直の時代に杉木茂左衛門の直訴事件が起こり、真田は領地お召し上げになり沼田から立ち退くことになります。

 池波正太郎の「まぼろしの城」は沼田城を舞台にした物語ですが、小説の中で「沼田」とは記されていないので、地元でもこのことを知らない人も多いようです。

090427  太平の世なら城主なんてものは神輿の上の飾り物のようなものなのか、江戸時代で安定してきたから3歳やそこらで城主もあり得たのでしょうが、何かあったと気に責任を取らされるのも城主。

 天皇家などもっとすごい例があり、後白河上皇の孫で第79代天皇の六条天皇など生後7ヶ月で即位し、在位2年8ヶ月で叔父の高倉天皇に皇位を譲り上皇となった人物で、誰が考えても4歳やそこらの子供に自分の意思が入っているとは思えません。

 脇がしっかりしていれば神輿の上などどうでもいいようなもので、ネコが社長だって会社は成り立つようなもの。脇にすれば神輿のうえが無能なほど思うようになるもので、ここまで至らないまでも、某国の官僚制度を見るおもいです。

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