のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

牧之記念館

2024年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 娑婆の長期盆休みも終わりをつげ、都会に帰国する方々のクルマが多く見受けられました。

 昨夜は脱水症状で起きる痙攣にさいなまれ、麦茶チビチビ飲みながら水分補填していましたが、今日は無理せずに仕事を休むことにしました。とはいえ、家の中なんぞ暑くていられたもんじゃないから越後の国の塩沢に行って、鈴木牧之記念館で調べごとをしてきました。入館料500円だけど冷房が効いてる。

 鈴木牧之は天保年間に活躍した民俗学者で、南総里見八犬伝の滝沢馬琴などとも交流があった人物。「北越雪譜」は有名ですが、「秋山紀行」に関する資料がわりとないので、なのかヒントがないかな?と、ノート片手に記念館を歩き回りました。そんな中でこちらにもゆかりがありそうな意外な鈴木牧之よりも200年も前に存在した城主ですが、当時こちらも上杉領地でした。

 2月の雪まつりの会場がこの記念館の前の公園なのでよく来てはいるのですが、顔見知りと会うのでその日は無料開放されている記念館にはなかなか足を運べないでいました。塩沢紬の製法なんかもこの記念館に資料が展示されていて、苧麻(ちょま)の生産地などもわかりました。今度、塩沢紬記念館に行ってみよう。

 近くにある住吉神社にお参りしてきました。関西方面には多い住吉神社ですが、北に行くほど数が少ない神社で、群馬では前橋や高崎や太田など南部にしか見つけられない神社です。東北に行くと山形に住吉っていう有名な日本酒があるけれど、その影響なのか?我が家の界隈ではお酒の神社だと思い込んでいる人が多い。

 塩沢が関西文化圏と交流があったのだろうな、紬や縮などの反物を通じて。なんて思うっていますが、神社のいわれではもともとお諏訪様の神社で御神体が魚野川を流れてきて住吉神社になったのだとか。魚野川ったって30kmも行けば県境の山脈だぞ。どこから流したんだ?

 日本で一番神社が多いのが新潟県と聞いていますが、なんでこの神社が?と、謎が生まれる神社も多々あります。一之宮は海に近い弥彦神社ですね。この秋も菊祭りに行ってみよう。

 帰りに湯沢温泉の山の湯に行ってきました。腰痛にさいなまれているので、腰までつかってじっくり温めました。こちらの温泉では熱すぎてゆっくり入っていられない、昨日なんか湯船が46度で水で薄めて入ったけれど出てくるお湯がとんでもなく根性入れて熱かったのですぐに上の数センチがとんでもない熱さになってゆっくり入っていられない。なのでこうしてお出かけしての温泉は健康に良い!

 洗い場はあるけれどシャワーなんてない。本来温泉なんてこういうもので、余計な設備は無粋もの。昔の温泉なんて湯船の淵の盛り上がりさえなかったんですよ。この湯舟は比較的低い方ですけど、湯船のお湯と洗い場がほぼ一直線の温泉って多かったです。なぜなら、洗い場なんて必要なかったから。石鹸やシャンプーなんて使わなかったし、まれに隅っこで米にかで頭洗う人がいたかな?だから洗い場から湯船に逆流なんてことは考える必要もなかった。

 この山の湯に来る目的は温泉が出てくる口で、出てくるお湯を肩に当ててジンワリと温めることができます。こちらのお湯なんか60℃近いお湯がちょびちょび出ていますが、やけど間違いなし!

 なので脱水症状直前まで汗をかいて、待合室の販売機でドクターペッパーを飲みました。なんか、最近は本国のUSAではペプシを売り上げで抜いたのだとか。テキサスにいたとき、知人にドクターペッパーの営業マンがいましたが、コカ・コーラとは別会社なんですね。

 雷様のご意思に逆らって天気晴朗なれども仕事を休みましたが、おてんとうさまのおかげでいい骨休みになりました。今度は雨の日も働きますから雷様怒らないでね。

コメント
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