のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

榛名山に行ってきました

2016年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 榛名山に行ってきました。

 一頃、漫画「イニシャルD」の影響でドリフト族がかっ飛び回ったり、もうちょっと前なら今頃の季節に山岳ベース事件の連合赤軍がアジトを作って、仲間を散々リンチ殺人して「そろそろここもやばい」と迦葉山ベースに移っていました。温かくてもこんな状態の寒さの中、す巻きにして外に放り出してしまえば凍死しても当たり前。

 この寒空の下連中は何をしていたのかと言うと「世界同時革命」のための軍事訓練で、毛沢東の「革命は銃口から」を旗頭に銃砲店で強奪してきた猟銃やライフルで人を殺す練習をしていたんですね。結果的に仲間を殺していただけで済みましたが、迦葉山、妙義山ベース事件から逃げた連中は浅間山荘立てこもりを行い、警察官に死傷者を出します。

 榛名山ベースで殺された8名は尾崎充男、小島和子、加藤能敬、寺岡恒一が京浜安保共闘、進藤隆三郎、遠山美枝子、行方正時、山崎順が赤軍派。生きていてもろくなものにならなかったので惜しむ気にはなれないけれど、一応犠牲者ですね。

 連合赤軍事件の前に大久保清の連続婦女暴行殺人事件があり、榛名山が死体遺棄の現場にもなり血なまぐさいイメージが私たちに植えつけられました。永田洋子が榛名山を選んだのも大久保事件があったからとも言われ、ゴミはゴミを呼ぶんですね。その事件の前に私たちの小学校のバス旅行でここに来ていたので、事件で地名が上がると同級生たちの間でいろいろ話題になりました。

 私たちが仕事に行った場所から少し奥に入った場所に山岳ベースのアジトがあったらしいのですが、雪が腰の深さまで積もっていて、途中で道もなくなっているので今は誰もいけないみたいです。

 榛名山は日当たりもよく柔らかな印象のいい山なんですが、こうした事件のことを思い出すと木の葉の落ちた雑木林も不気味に見えてしまいます。

 湖面が凍結してスケートリンクができる季節なのですが、今年は完全凍結するほどの氷はありません。やはり暖冬なんですね。

 榛名湖畔は「湖畔の宿」の舞台であったり、かつては竹下夢二が住んでいたこともあり、いつもは結構抒情的な気分で来ている山ですが、今回は時期が時期だったり、渋川から伊香保に向かう道の麓にあの連中のアジトがあったので気分を害しながら登ってきました。

 殺人集団もここから派生した部隊だったのですが、連中にすればトカゲのしっぽだったんですね。

 ゾルゲ事件の伊藤律が中国から戻ってきたのは1980年だった。空港で記者に取り囲まれ開口一番「皆さん、私を許してください。」と叫んでいたヨレヨレのじい様の姿が印象的でした。伊藤律は日本共産党書記長になった徳田球一とべったりくっついていたので、ゾルゲ事件に党が関わっていたことは明確ですが、伊藤律が帰国した時に「すでに除名済み」と言う理由で知らんぷりを通していました。徳田も党を追われ中国に逃げ込んで向うで死んでいます。

 伊藤律が帰国後しばらくは東京昭島市の病院に入院していたので見に行ったことがあります。警察が周囲を警護していましたが、どう見ても共産党関係者らしきおじさんおばさんも取り囲んで警察とにらみ合っていました。どこが「除名した」だ?と疑わしいことこの上ない。

 数年たったら「シールズ?そんなの関係ねぇ!オッパッピー!」とまた同じことをやらかすんですかね?

 思い切り冷え込んだので帰りに湖畔の温泉センターに行ってきました。

 今日は体のみならず心まで冷え込んだ一日になってしまいました。

 あの連中のおかげで。

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