オリンピックイブになる日でした。ニーハオウィルス騒ぎがなければ、今頃日本各地にテルテル坊主が吊るされて雨雲追い払う祈願していたんでしょうが、線状降水帯は九州付近をうろついているみたいですね。
先週末、たまたまスーパーで顔を合わせた81歳のオヤジさんと、オリンピック開かれていたらどうなってたんだろうな?なんて話をしたんです。
このオヤジさんの同級生が昭和39年の東京オリンピックの時に近代五種だった十種の選手で出場していて、晩年はこちらに戻ってきて土木作業員のようなことをしていたのですが、「スポーツ選手ってのは体を酷使するから長生きはしないやなぁ。」
日大文理学部で学んだ人だったので、今でこそ相撲とアメフト問題ですが、当時は水の覇者日大と呼ばれた水泳王国。オランウータンみたいな体型の人たちがぞろぞろいたそうです。「俺たちが頭でやることを体でやっちまう、基本的に種族の違う人たちっているんだぜ。」なんてことを話してました。
週明け、このオヤジさんが朝、布団の中でぽっくり亡くなっていて、今日はお通夜に行ってきました。息子さんが私の弟と同級生で年中遊びに来ていたのですが、みんなに「トンペイ」と呼ばれていたので、うっかり「トンペイ君。急なことで大変だったね。」と言ってしまってから、戸籍上の名前なんだっけ?
お通夜から帰ってきて夜はお寺の会議。夕食の用意をしてから会議に出かけたのですが、数年前から検討されてきたお寺の前の沢にかかる橋の普請事業のことで会議は踊り、帰ってきたのは10時過ぎでした。
誰が言いだすか「寄付金を募る」をめぐって静かな攻防が繰り広げられて、これはこれで一つのサスペンス。現実はズシリとのしかかるのは、寄付金について説明せねばならない役割と言うことで、これまた頭が痛い。
バブル崩壊よりもリーマンショックあたりからこうした景気の「気」の息の根を断たれた感がありますが、おまけにコロナ騒動とくれば泣き面に蜂。
ニーハオに賠償させろって言いたくなる。