エッセイとは、何なのか?
日本語で言うと、『随筆』というのでしょうが、これがなかなかの曲者。
この間、エッセイなるものを書こうとしたのですが。はたと筆がとまってしまいました。
心に思うことや、日々の生活の中で感動したこと――それを書けばいいのだろうか? う~ん、悩む……。
「エッセイなんて誰でも書ける」という人がいますが、エッセイを書くというのは、一面とても怖いことではないのかな?
自分という人間の感受性や人間としての器の程度が、はっきり他人の目に映りそうだし。
話はここで横道にそれますが、私は作家のエッセイ集というものをまず読みません(例外は、曽野綾子と五木寛之。この二人のエッセイは。含蓄に富み、とても学ぶところがあるのです)。
ずっと以前、その頃ファンだったとても有名な作家のエッセイ本を読んだ時、そこに人を傷つけるような文章があるのを見、ショックを受けたことがあります。作家としての才能と人間性は別のもの――そう思って以来、好きな作家はその生身の人間があらわになるエッセイは読まず、文学作品だけ楽しむ方針にしましたが、これは間違っているでしょうか。
正直なところ、小説は面白いのに、エッセイはつまらないというもの書きも多いのかもしれません。
それでも、基本的にエッセイを読むのは好き。
エッセイストというプロの職業の人が書くものより、新聞の片隅に載っているフツーの人々の書くエッセイの方が、日々の心の陰影が感じられて、心に残る気がするのは、なぜ?
さあ、私も難しく考えることなく、エッセイを書くべし。
日本語で言うと、『随筆』というのでしょうが、これがなかなかの曲者。
この間、エッセイなるものを書こうとしたのですが。はたと筆がとまってしまいました。
心に思うことや、日々の生活の中で感動したこと――それを書けばいいのだろうか? う~ん、悩む……。
「エッセイなんて誰でも書ける」という人がいますが、エッセイを書くというのは、一面とても怖いことではないのかな?
自分という人間の感受性や人間としての器の程度が、はっきり他人の目に映りそうだし。
話はここで横道にそれますが、私は作家のエッセイ集というものをまず読みません(例外は、曽野綾子と五木寛之。この二人のエッセイは。含蓄に富み、とても学ぶところがあるのです)。
ずっと以前、その頃ファンだったとても有名な作家のエッセイ本を読んだ時、そこに人を傷つけるような文章があるのを見、ショックを受けたことがあります。作家としての才能と人間性は別のもの――そう思って以来、好きな作家はその生身の人間があらわになるエッセイは読まず、文学作品だけ楽しむ方針にしましたが、これは間違っているでしょうか。
正直なところ、小説は面白いのに、エッセイはつまらないというもの書きも多いのかもしれません。
それでも、基本的にエッセイを読むのは好き。
エッセイストというプロの職業の人が書くものより、新聞の片隅に載っているフツーの人々の書くエッセイの方が、日々の心の陰影が感じられて、心に残る気がするのは、なぜ?
さあ、私も難しく考えることなく、エッセイを書くべし。