ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

作家の家

2014-10-02 19:10:05 | 本のレビュー

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作家の家--それは、一つの詩だ。現実と想像世界のあわいに存在する夢だ。そして、作家が、みずからの夢を具現するために、ひっそりと隠れ住む城でもある。

西村書店から出版された写真と文章からなる、この重厚な一冊・・・・実を言えば、購入したのは、もう7.8年近くも前になるかと思われるのだが、文章が高尚すぎてとっつきにくく(著者は、フランスやイタリアの「ヴォーグ」誌の編集長を務めたという)、きちんと目を通すこともなく、本棚の片隅で眠り続けていた、という経緯がある。

それを、数日前、ほんの気まぐれから頁をめくったとたん、世界的な作家たちの生きた空間が織りなす香気のようなものに、惹きつけられ、耽溺することに。 午後の日差しが窓ごしに長い影を机の上に描くのを感じながら、感覚的喜びにひたるのも、久しぶりのことだった。

さて、この書物に取り上げられている作家(世界的、とか文豪という形容詞がつくレベルの)は12人。けれど、名前や著作を知っていたのは、その半分ちょっと・・・というのだから、案外本を読んでいないのかもしれない。  ヴァージニア・ウルフ、ヴィタ・サクヴィル=ウェスト、マルグリット・ユルスナール、カーレン・ブリクセンといった20世紀を彩る綺羅星のごとき女流作家たちはもとより、ヘミングウェイ、ヘルマン・ヘッセ、ガブリエーレ・ダヌンツィオ、アルベルト・モラヴィアといった面々の名も見える。

ヴァージニアとヴィタには、個人的に興味があったので、最初に読むことに。「灯台へ」や「波」など、‘意識の流れ‘と呼ばれる手法を用いた緻密で、心理小説的な作品で知られるヴァージニア。彼女の暮らしたサセックス州のモンクス・ハウスは、その小説世界にも似たデリケートな風格を保っていると感じられた。 だが、この居心地の良い巣のような場所があってさえも、ヴァージニアは、精神の異常をなだめることはできなかったと思うと、何ともいえない気持ちになってしまう。天才としか呼びようがない、華麗な才能とひきかえにするかのように、ヴァージニアは、少女時代から精神的な混乱に悩まされ続けていた。 そして、ロンドン空襲が激しくなった第二次世界大戦中、自宅のそばを流れていた小川ウーズ川に身を投じて死んだのだった・・・夫レナード・ヴルフにあてた感動的な手紙を残したまま・・・。

さまざまな文豪の家が生前の家具や調度品が飾られたまま、読者の目に突き付けられているのだが、正直、「住み心地がよさそう」「素敵な家」と思うような場所は、ほとんどない。 そんな感想を語るには、一つ一つの家があまりに堂々としていて、作家たちのアトモスフィアや追憶に満ち満ちている。

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その中で、マルグリット・ユルスナールが住んだという北米のメイン州の島にある家は、本当に居心地がよさげにみえる。他の作家が19世紀生まれ、20世紀前半に活躍した人々が多いのにひきかえ、ユルスナールは1903年生まれ、1987年没という「近さ」ゆえかもしれない。 世界的な作家というより、ニューヨークの編集者が週末訪れる別荘のような、素朴で飾り気のない佇まい、簡素で上品なインテリア・・・だが、書斎の机の上には、古代ローマの頭像が置かれていて、この作家が古典・古代に膨大な知識を擁する人物であったことを思い起こさせる。北の海風に洗われ、荒々しい岩を佇立する海岸も見える島の家で、作家ははるか遠く、ローマの神殿や大理石の柱頭を見はるかしていたのだろうか。

二十年ぶりに、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」を読み返したくなった。このメイン州の家を見た後なら、作家が何故かくも古代ローマ期の皇帝の内面を深く掘り起こせる著作をものしたか、その創造の源泉にまで降りていけるかもしれない・・・。

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