ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

怪奇小説集 

2022-01-11 15:34:17 | 本のレビュー

遠藤周作「怪奇小説集」を読む(角川文庫刊)

中学時代、熱烈なファンだったのに、まったく読まなくなっていた遠藤周作と何十年ぶりかで再会を果たした本書――とても、とても面白かった!!

今更ながらに、遠藤周作がどんなに素晴らしい作家かということに気づかされてしまった。ああ、どうして読まなくなってしまっていたんだろう?(深く、後悔する私)

  

表紙もシュールだが、実を言うと、この本が始めて書かれたのは、1960年代。ずっと昔のものなのに、少しも古びていない! 今なお生き生きと躍動している。 そして、文章が実に、実に素晴らしいのだ。情緒が感じられ、人間というものの深みをとらえ尽くし、しかも息をつかせぬ面白さである。私は、もともと怪奇小説の類が好きで、それなりに読んできたつもりだが、今流行りのホラー作家など足元にも及ばぬほど、濃くて深い(小池真理子とか、小野不由美とか)。

収められている短編は、全部で15編なのだが、そのどれもが傑作で、希代のストーリーテラーぶりに唸らされながら読了。作者が若い頃、留学していたフランスの地方都市ルーアンで出会った怪異譚(これは、本当のこと? それとも、狐狸庵先生独自のホラ話?)など、雰囲気たっぷりで読んでいるこちらにも、1950年代のルーアンのもの寂しいような街並みと、そこに佇む古ぼけたパン屋の姿が浮かび上がってきた。いまだに謎として取り上げられている元国鉄総裁の下山事件を取り上げたり、戦争当時いじめた下士官と戦後、諏訪に向かう電車の中で再会し、彼から昆虫にまつわる、手ひどいしかえしを受けたり……一篇、一篇がバラエティに富んでいる。

個人的に、思いっきり笑ってしまったのは、正統な怪異譚とは言えない「甦ったドラキュラ」。狐狸庵先生を彷彿とさせる主人公のところに、劇団員の青年が、怪奇バーに、モンスターの扮装をして客をこわがらせるバイトについたという話をする。

ところが、そこにドラキュラの扮装をしていたバイト仲間の青年が、薄気味悪く、妖しい。端正な顔をしているのだが、やたら色が白く、唇も赤いのも不気味だ。この話をしてくれた青年も嫌々ながら、彼と組んで働くのだが、どうもこのドラキュラの挙動がおかしい。バーにやって来た若い女性の首元に近づき、長いことそのままの姿勢でいる。そして、その後、彼女たちは気分が悪くなってしまうという事件があいつぐ。

劇団員は、「この男は、本当にドラキュラなのではないか?」と疑うのだが、真相はあっけないところに落ち着く。

ここは、こんな風に結末づけられている。

『岡谷の仕業だって……どうしてわかるんです」

私は茫然としている竹田にかわって主任にたずねた。

『どうしてですって、その男はここで働いている時、ドラキュラの扮装を「しては、客席におられる女性にきたならしいことを言って、気分を悪くさせていたからです」

『きたならしいこと? どんなことです?』

『それはたとえば……』主任は当惑したように言葉を切ったが『それはたとえば……あなたはウンチのついたパンツをはいている、とかあなたは今、スカベをしただろうと言うようなことです」』

『はァ……』

『女性のお客様は……それだけで気分がお悪くなって……友だちにも言えず……あまり下品な言葉ですから……それが奴のつけめだったのです』」

このくだりに、笑ってしまった。さすが、狐狸庵先生のジョーク。こんなユーモアものやエッセイだけでなく、純文学面でもすごかった。「沈黙」が、なぜ、ノーベル文学賞にならなかったのかがわからないくらいである。大江健三郎よりも、遠藤周作の方がノーベル賞に値すると思うのだけど。


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