今日で、一年間新聞に連載されていた高村薫の「21世紀の空海」が終わった。といっても、熱心な読者などでは全然なかったのだけれど、単行本化されたら購入したいと思っている。
今までの記事の中に、高村薫がハンセン病の方と対談したり、その納骨堂に赴くなど、宗教や人生の根本を探りだす探索をしているのを見て、「何てすごいんだろう」と感嘆したのも、くっきり覚えている。
さて、今回は高野山の管長さんとの対談で、いわば番外編にあたるもの。ここで、彼女が「空海という人物像をとらえようとしても、今一つうまくいかなかった感が残る」と言っているのだが、現代の混迷する社会状況の中では平安仏教の教えが望まれているのは確かだろう。「過酷な現実を見ると、信心のない者でももはや言葉の論理で、太刀打ちできないのを感じます。理屈を超えて、体中で悲しむこと、共感すること、受け入れること、向き合うことができるのは、宗教だけです」と高村薫が言えば、管長は「いのちがつながっているという思想は宗教にしかない。今こそ自然と一緒に生きる「共生」という平安仏教の考えを生かす時代だと思います」と答える。
宗教といえば難しく考えがちかもしれないが、すべてのものが等しく生きているという認識が、今、私達に必要なものなのだろう。
今までの記事の中に、高村薫がハンセン病の方と対談したり、その納骨堂に赴くなど、宗教や人生の根本を探りだす探索をしているのを見て、「何てすごいんだろう」と感嘆したのも、くっきり覚えている。
さて、今回は高野山の管長さんとの対談で、いわば番外編にあたるもの。ここで、彼女が「空海という人物像をとらえようとしても、今一つうまくいかなかった感が残る」と言っているのだが、現代の混迷する社会状況の中では平安仏教の教えが望まれているのは確かだろう。「過酷な現実を見ると、信心のない者でももはや言葉の論理で、太刀打ちできないのを感じます。理屈を超えて、体中で悲しむこと、共感すること、受け入れること、向き合うことができるのは、宗教だけです」と高村薫が言えば、管長は「いのちがつながっているという思想は宗教にしかない。今こそ自然と一緒に生きる「共生」という平安仏教の考えを生かす時代だと思います」と答える。
宗教といえば難しく考えがちかもしれないが、すべてのものが等しく生きているという認識が、今、私達に必要なものなのだろう。
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