「世界一ありふれた答え」 谷川直子 河出書房新社
二週間ほど前に読了して、とても感動した本。この気持ちをまとめておこうと思いながら、なかなか取りかかる暇がなく、時間だけがうかうかと通り過ぎてしまいました。
この著者の谷川直子という方――実は作家、高橋源一郎夫人だった女性で、何年か前遅咲きのデビューを飾ったというのに、寡聞にしてお名前も知らなかった……。
さて、この物語、どういうストーリーかというと、市会議員の妻として熱烈の頑張ってきた中年(四十歳と書いてある)女性が、離婚後ウツ病に。その治療のため、心理臨床のクリニックに通うのですが、そこで知り合ったのは、若きピアニストのトキオ。彼は、才能あふれる音楽家だったのですが、突然演奏の時だけ右手の指が動かなくなる病――ジストニアにかかってしまったのです。絶望したトキオもまた、ウツ病にかかったという訳だが、ここで未来が閉ざされてしまった二人の間に、奇妙なふれあいが起こる、というもの。
う~ん、私の個人的好みにかなう物語だし、読んでいて素晴らしく面白い。市会議員の妻という座にしがみついて、元夫への恨みが忘れられないヒロインも滑稽といってしまえばそうなのだけど、行く手に希望を見失った状態で、右往左往する様子は身につまされるものが。 そして、対するトキオのキャラクター造形が秀抜!
ちょっぴりひねくれていて、人をコントロールすることで欲求不満を解消しようとしたりするくせに、かなりの寂しがり屋。ここで彼も言っていますが、「プロの演奏家として、一日4~5時間、ピアノを弾くのが当たり前だったし、それが人生そのものだった」――こんな音楽家が、演奏もできなくなったとしたら、その絶望は想像するにあまりあるものがあります。
トキオの家に家政婦がわりに通ったりするヒロインは、徐々に立ち直りはじめます。それは、物事の、世界の真実がわかりはじめたから。つまり、トクベツな人間など誰一人としていないということ。誰もが、完璧な自分をめざそうとするのは、その実完璧な人間などいないということ。
この結論は、ヒロインのまゆこがトキオとピアノの連弾をする最終シーンで炸裂します。
まゆこは言います。「誰でもピアノを鳴らすことができるけれど、あなたのように鳴らすのはとても難しい。私の弾くアラベスクはあなたの弾くアラベスクとはまるで違う。その違いをあなたは生きてきたから、弾けなくなったことに我慢がならないんでしょう。 けれどあなたの価値はその違いにあるわけじゃない。違いはみんながほとんど同じだから生まれるの。
たとえば、ピアノを弾く人も弾かない人も、みんなが同じ骨を持っていることを思い出して。同じ骨を持ってみんなが生きている。あるいは死んでゆく。それだけで、十分に価値があることなの。 みんな取るに足りない存在で、私もトキオも取るに足りない存在で、でも生きているだけでそれだけで十分なの」
何という、至極当然の、そして突っ切った解答でしょう。 文章はとても平易で読みやすく、柔らかな筆致なのですが、こうした作品が書けるということ自体、著者の谷川さんは大きな葛藤をくぐりぬけてきた人なのではないかしら?
そして、トキオの到達した結論も、「オレは音楽に選ばれた人間なのだと思っていたけれど、オレなどいなくても音楽は世界に存在するんだ。いいかえたら、音楽は誰も必要としていないんだ。それが、やっとわかった」というもの。
絶望の果てに、ほのかで確かな灯りの見える、世界に新しい意味が見出せる物語。こういうのは、大好きです。 本の帯にも「今年最高の感動作」とありますが、私の今年度ベスト5には入る名作に間違いなし!