古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

奈良県桜井市・箸墓古墳

2008-10-04 09:38:46 | Weblog
奈良県桜井市箸中箸塚山のJR桜井線・巻向駅の南にあります。
宮内庁が第7代高霊天皇皇女・倭迹迹日百襲衣姫(やまとととひももそひめ)、大市墓として管理しています。
全長280m、 後円部径157m・高さ22m、 前方部幅125m・高さ13m 五段構築のバチ形をした前方後円墳です。
全国で9番目の大きさです。
邪馬台国女王・卑弥呼の墓ではないかとの説がある、皆さんご存知のあまりにも有名な古墳です。
日本書紀に、「昼は人が作り、夜は神が作った。大坂山(二上山の北)の石を人々が列をなして手渡しで運んだ。」とあります。
墳丘には葺き石が施されています。
都月式特殊器台形埴輪、宮山式特殊器台埴輪、特殊壷形埴輪、壷形埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
墳丘の周りには幅約10mほどの周濠と、外堤が廻っています。
外堤から墳丘へ繋がる堤が、所々に付設されています。
周濠からは「布留0式」と呼ばれる土器が出土しています。
2001年11月30日、桜井市教育委員会は、「平成10年に行われた後円部南東部分の調査で、周濠から木製鐙(あぶみ)・・・乗馬の際、足を掛けるために使用する馬具の一種・・・が出土した」と発表しました。
これまでの定説を1世紀近くもさかのぼる、国内最古(4世紀初頭)の馬具だそうです。
2008年5月~7月、桜井市教育委員会が実施した、住宅建設に伴う前方部前面の水田調査で、大規模な周濠跡が見つかりました。
墳丘北側で検出されていた外濠が、南側でも確認されたことになります。
馬蹄形をした二重の周濠がこれでほぼ確定したそうです。
後の大王墓の原型となったことが裏づけされました。
この古墳の築造時期は、渡り堤や外堤から出土した土器のうち、3世紀後半の土器群(布留0式)が最も新しいことや、数次にわたる調査成果などから総合して、3世紀後半頃で間違いないとされています。
前方部左側の池越しに見る(この写真もそうですが...)のが一番きれいです。


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