奈良県北葛城郡広陵町安部道入の丘陵上にあります。
西谷公園内です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/70/e67145101a16022c6ee1a349eea26a32.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/02/8aaa1df475503fc9066f34b9a1c71a76.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f0/0621ea6c8be586f02a5e2a7d7a9f9945.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/97/93f741d18d3834df825940c632c1fb25.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/fc/07f29f8456398789571eb07f2fb1f044.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b2/e7d2337b551d19b2873379dfe8d8a590.jpg)
全長42m、 後円部径25m・高さ4m、 前方部先端幅20m・高さ2m の前方後円墳です。
葺石は施されていなかったようです。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1971年に調査が行われていて、後円部頂にある埋葬施設には木棺が直葬されていたそうです。
木棺の西小口で集水され、石組暗渠で南側のくびれ部に排水するようになっていたそうです。
硬玉製勾玉、金環、鉄槍、ヤリガンナ、鑿、紡錘車、須恵器 などが出土しています。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
広陵町の史跡に指定されています。
西谷公園の道路を隔てた南西側すぐの9号児童公園内には、円墳・4号墳~6号墳が保存されていて、これらを含め安部山古墳群を構成しています。
西谷公園内です。
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全長42m、 後円部径25m・高さ4m、 前方部先端幅20m・高さ2m の前方後円墳です。
葺石は施されていなかったようです。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1971年に調査が行われていて、後円部頂にある埋葬施設には木棺が直葬されていたそうです。
木棺の西小口で集水され、石組暗渠で南側のくびれ部に排水するようになっていたそうです。
硬玉製勾玉、金環、鉄槍、ヤリガンナ、鑿、紡錘車、須恵器 などが出土しています。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
広陵町の史跡に指定されています。
西谷公園の道路を隔てた南西側すぐの9号児童公園内には、円墳・4号墳~6号墳が保存されていて、これらを含め安部山古墳群を構成しています。
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