滋賀県大津市膳所平尾町秋葉台にあります。
音羽山から延びる尾根の先端部です。
琵琶湖を見下ろす所にあり、湖上・陸上交通の要の地です。
この古墳の東側には、壬申の乱(672年)の最後の決戦場になった禾津岡(あわづのおか)があります。
全長122m、 後円部径70m・高さ13m、 前方部幅22.5m・高さ5.5m 前方部を東に向けた三段構築の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
円筒埴輪や形象埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
墳丘の西側と東側の調査で、周濠が確認されています。
滋賀県内で2番目の大きさです。
この古墳は、古墳時代前期の4世紀後半ころの築造と推定されています。
この古墳から南へ約200mほど離れた丘陵上に、陪塚と思われる小茶臼山古墳(円墳)があります。
また前方部には小さな祠の秋葉神社が建っており、古墳の周りは茶臼山公園になっています。
この古墳の特徴の一つに、前方部と後円部をつなぐ部分(くびれ部)がやや低くなっています。
大正10年3月3日、国の史跡に指定されています。
音羽山から延びる尾根の先端部です。
琵琶湖を見下ろす所にあり、湖上・陸上交通の要の地です。
この古墳の東側には、壬申の乱(672年)の最後の決戦場になった禾津岡(あわづのおか)があります。
全長122m、 後円部径70m・高さ13m、 前方部幅22.5m・高さ5.5m 前方部を東に向けた三段構築の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
円筒埴輪や形象埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
墳丘の西側と東側の調査で、周濠が確認されています。
滋賀県内で2番目の大きさです。
この古墳は、古墳時代前期の4世紀後半ころの築造と推定されています。
この古墳から南へ約200mほど離れた丘陵上に、陪塚と思われる小茶臼山古墳(円墳)があります。
また前方部には小さな祠の秋葉神社が建っており、古墳の周りは茶臼山公園になっています。
この古墳の特徴の一つに、前方部と後円部をつなぐ部分(くびれ部)がやや低くなっています。
大正10年3月3日、国の史跡に指定されています。
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