群馬県前橋市文京町3丁目26の独立した丘陵頂にあります。
広瀬川右岸の台地上です。
天川二子山公園内に保存されています。
「前橋二子山古墳」とか「前橋市1号墳」と呼ばれることもあります。
全長104m、 後円部径72m・高さ11m、 前方部先端幅76m・高さ9.5m 二段構築の前方後円墳です。
(右側が前方部)
(後円部)
(前方部)
墳丘の周りには幅35mの盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
その葺石を保護するため、薄く盛り土が施されています。
円筒埴輪や形象埴輪・人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は未調査につきはっきりしていませんが、横穴式石室と推定されています。
「朝倉・広瀬古墳群」を構成していて、その古墳群の西北端にあります。
昭和10年の調査時には約150基ほどの古墳が残っていたそうです。
大型の前方後円墳や前方後方墳、それに小規模の円墳からなっています。
古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。
昭和2年6月14日、国の史跡に指定されています。
広瀬川右岸の台地上です。
天川二子山公園内に保存されています。
「前橋二子山古墳」とか「前橋市1号墳」と呼ばれることもあります。
全長104m、 後円部径72m・高さ11m、 前方部先端幅76m・高さ9.5m 二段構築の前方後円墳です。
(右側が前方部)
(後円部)
(前方部)
墳丘の周りには幅35mの盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
その葺石を保護するため、薄く盛り土が施されています。
円筒埴輪や形象埴輪・人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部中央にある埋葬施設は未調査につきはっきりしていませんが、横穴式石室と推定されています。
「朝倉・広瀬古墳群」を構成していて、その古墳群の西北端にあります。
昭和10年の調査時には約150基ほどの古墳が残っていたそうです。
大型の前方後円墳や前方後方墳、それに小規模の円墳からなっています。
古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。
昭和2年6月14日、国の史跡に指定されています。
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