奈良県天理市別所町塚山393の丘陵端にあります。
「姫塚古墳」と呼ばれることもあります。
山の辺小学校のすぐ東側で、墳丘の周りは駐車場になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/83/0f763bc9f300d1fb7274994e88972526.jpg)
(右後円部、左前方部)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/dc/920b0fa8b24aebd38d8068a5bbeecc9b.jpg)
(前方部)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/ea/a8ca02a1f9af90b72fcd1acb3848d090.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/87/462c688beb24c3190beb6bd2032544b0.jpg)
(手前が後円部)
全長57m、 後円部径31m・高さ5.5m、 前方部先端幅43.5m・高さ5.5m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。
一部削平を受けていますが、まづまづ良好な状態で残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a5/51c2406c710e005b560a45b4c1bd05d6.jpg)
(後円部)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f6/f3efae79f7031455f1eb7b178fd2ba36.jpg)
(前方部)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/4f/e95d3be2505575ead63d6594446aec6d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e2/cacfaca06207087ac19c9f9357f31201.jpg)
(前方部)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/fc/c4ee034e50ef4f285ce968600fb7c8bc.jpg)
1973年(昭和48年)天理大学歴史研究会による測量調査が行われています。
墳丘の周りには幅11mの周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたものとみられます。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
主体部は前方部と後円部に計二つ確認されています。
前方部墳頂下約2mのところには刳抜式石棺が埋葬されていました。
後円部には組合式石棺が埋葬されていました。
いづれの石棺も直葬されていたようです。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
「姫塚古墳」と呼ばれることもあります。
山の辺小学校のすぐ東側で、墳丘の周りは駐車場になっています。
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(右後円部、左前方部)
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(前方部)
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(手前が後円部)
全長57m、 後円部径31m・高さ5.5m、 前方部先端幅43.5m・高さ5.5m 二段構築の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。
一部削平を受けていますが、まづまづ良好な状態で残っています。
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(後円部)
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(前方部)
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(前方部)
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1973年(昭和48年)天理大学歴史研究会による測量調査が行われています。
墳丘の周りには幅11mの周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたものとみられます。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
主体部は前方部と後円部に計二つ確認されています。
前方部墳頂下約2mのところには刳抜式石棺が埋葬されていました。
後円部には組合式石棺が埋葬されていました。
いづれの石棺も直葬されていたようです。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
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