長野県飯田市桐林3046の河岸段丘にあります。
「塚原1号墳」とも呼ばれています。
全長約73m、 後円部径41.5m・高さ6m、 前方部先端幅44.5m・高さ6.5m 二段構築の前方後円墳です。
飯田市内で2番目の大きさです。

(左側が後円部、右側が前方部)



(後円部)

(前方部)
墳丘の周りには二重の周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や蓋型埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は、竪穴式石室とみられています。

武具や馬具類が出土しています。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
この古墳の周りには、かって16基の古墳があったそうで「塚原古墳群」と呼ばれています。
現在は6基(二子塚古墳・内山塚古墳・塚原3号墳・鏡塚古墳・鎧塚古墳・黄金塚古墳)が残っています。
昭和43年11月19日、飯田市の史跡に指定されています。
史跡指定を受ける前は、墳丘上を含め周りは桑畑だったそうです。
平成28年10月3日、飯田古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。
「塚原1号墳」とも呼ばれています。
全長約73m、 後円部径41.5m・高さ6m、 前方部先端幅44.5m・高さ6.5m 二段構築の前方後円墳です。
飯田市内で2番目の大きさです。

(左側が後円部、右側が前方部)



(後円部)

(前方部)
墳丘の周りには二重の周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や蓋型埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は、竪穴式石室とみられています。

武具や馬具類が出土しています。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
この古墳の周りには、かって16基の古墳があったそうで「塚原古墳群」と呼ばれています。
現在は6基(二子塚古墳・内山塚古墳・塚原3号墳・鏡塚古墳・鎧塚古墳・黄金塚古墳)が残っています。
昭和43年11月19日、飯田市の史跡に指定されています。
史跡指定を受ける前は、墳丘上を含め周りは桑畑だったそうです。
平成28年10月3日、飯田古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。
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