宮崎県西都市三宅東立野の台地上にあります。
前方部を南に向けています。
全長57.3m、 後円部径32.7m・高さ3.5m、 前方部幅17.5m・高さ2.2m の前方後円墳です。
前方部が二段、後円部が三段に造られています。
前方部が曲線的に広がる特徴を持ち、箸墓古墳型と言われています。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。
平成11年から12年にかけて墳丘の発掘調査が行われています。
くびれ部付近から壷形土器が出土、この土器の形からこの古墳が4世紀初頭の古墳であることが判明しました。
後円部主体部上に置かれていたと考えられています。
墳頂部からは、他にも甕、高杯などが出土しています。
壷形埴輪も出土しています。
西都原古墳群で、調査された(時期が確認された)前方後円墳では最古のものです。
ただこれより古い古墳がまだ他にもあると言われています。
発掘調査に先だって、墳丘および周辺の地中レーダー探査が行われています。
後円部中央付近では、埋葬施設と思われる長さ5~6m、幅2~3mに及ぶ反応がありました。
竪穴式石室と思われています。
墳丘の周辺では、周溝と思われる反応もありました。
現在古墳は、発掘調査時の状態で保存されています。
表面は特殊な樹脂で、葺き石が転落しないように処理されています。
築造当時は、墳丘斜面全体が葺き石で覆われていたと考えられています。
周溝は、地中レーダー探査データをもとに、鍵穴型の周溝として復元されています。
古墳はどこからでも観察できます。
95号墳と99号墳、そしてこの100号墳が丁度三角形の位置に配置されています。
そばには説明板もあります。一部そこから引用させていただきました。
(発掘調査時の後円部葺き石)
前方部を南に向けています。
全長57.3m、 後円部径32.7m・高さ3.5m、 前方部幅17.5m・高さ2.2m の前方後円墳です。
前方部が二段、後円部が三段に造られています。
前方部が曲線的に広がる特徴を持ち、箸墓古墳型と言われています。
墳丘には葺き石が施されています。
造り出しはありません。
平成11年から12年にかけて墳丘の発掘調査が行われています。
くびれ部付近から壷形土器が出土、この土器の形からこの古墳が4世紀初頭の古墳であることが判明しました。
後円部主体部上に置かれていたと考えられています。
墳頂部からは、他にも甕、高杯などが出土しています。
壷形埴輪も出土しています。
西都原古墳群で、調査された(時期が確認された)前方後円墳では最古のものです。
ただこれより古い古墳がまだ他にもあると言われています。
発掘調査に先だって、墳丘および周辺の地中レーダー探査が行われています。
後円部中央付近では、埋葬施設と思われる長さ5~6m、幅2~3mに及ぶ反応がありました。
竪穴式石室と思われています。
墳丘の周辺では、周溝と思われる反応もありました。
現在古墳は、発掘調査時の状態で保存されています。
表面は特殊な樹脂で、葺き石が転落しないように処理されています。
築造当時は、墳丘斜面全体が葺き石で覆われていたと考えられています。
周溝は、地中レーダー探査データをもとに、鍵穴型の周溝として復元されています。
古墳はどこからでも観察できます。
95号墳と99号墳、そしてこの100号墳が丁度三角形の位置に配置されています。
そばには説明板もあります。一部そこから引用させていただきました。
(発掘調査時の後円部葺き石)
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