№17韓国の元徴用工は、「私的権力」として存在する日本国家・政府は元より、韓国国家・政府に対して、戦争被害者としての彼らの損害賠償金の支払いを正当に請求できることに関して、私の語る「システム」論から
№17韓国の元徴用工は、「私的権力」として存在する日本国家・政府は元より、韓国国家・政府に対して、戦争被害者としての彼らの損害賠償金の支払いを正当に請求できることに関して、私の語る「システム」論から、改めて問い直すとき
*最近あの岡本太郎氏がよく口にしていた「芸術は爆発だ」ではないが、私も爆発ならぬ何かワクワク感を、私自身は感じている。おそらく読者は、「こいつはさらにおかしくなった、いかれてしまった」と呆れているのではなかろうか。それでも私は、これから先も、私の脳内が絶えず爆発する感を持ち続けたいのである。
**私が読者にお伝えしたいのは、私たちがこれまで日本国家とか日本政府を公的権力として位置づけ理解してきたのは、大きな間違いであったということである。換言すれば、それは明治以降、ずっと私的権力として存在していたということなのだ。ところが、私たちは、それにもかかわらず、私的権力を公的権力として信じ込まされてきたということだ。そこには、私の語る「システム」が大きくかかわっている。
「システム」の提供するあらゆる「教育」を介して、私たちはそのように飼育されてきたのだ。「システム」それ自体が他ならぬ巨大な私的権力によってつくり出されてきた私的権力として存在していることを、私たちは理解することが何よりも大事なことであるのだが、おそらく、これは想像する以上に困難であり、ほとんど不可能に違いなかろう。それゆえ、私のこのような物言いは、もはや常軌を逸した戯言としか思われないとしても、それは致し方ない。
***(最初に一言)の前に、すぐ上の*、**のくだりと前回までの記事内容と関連する話からしてみよう。
私たちは、何の疑いもなく、「国家」やそれに関連した「公的」儀式の前に、ほとんど決まって、「国」歌とされる「君が代」を、その式典に参加した一同は皆、起立して斉唱する。それは国家を、すなわち公的権力を想定しているから歌うのだろう。もし、それがただの私的権力を代表するものであれば、私たちにそこまで従わせる力はないはずだ。(本当は、ここで付言するのを控えたいのだが、現実というか現状は、私たちの多くがその私的権力を公的権力として受容しているように見えて、私には恐怖なのだ。)
君が代を歌わない、その前に起立しないことも含めて、これまでも教育現場では、いろいろともめていたのは、個人という「私」の存在に対する「公」的権力である国家という存在に対して、国家が単なる私的権力ではなく、公的権力として強制力を保持することのできる権力主体だとの前提があるからに他ならない。
だが、本当に、国家は私的権力とは異なる公的存在として、それこそ明治国家の誕生以降、存続していたのだろうか。それはただの私的権力であったのではあるまいか。私の語る「システム」論を前提とするならば、「システム」それ自体も、巨大な私的権力をその主導的担い手として位置しており、その「システム」によって国家・政府の公的権力の存在もつくられているということからすれば、たとえどれほど強大な権力の保持者だとしても、私的権力としての存在以上の者にはなれないはずなのだ。
それゆえ、私もそうなのだが、これまで幼稚園から小・中・高、そしてその後の人生において、いろいろな行事のたびに起立して君が代を斉唱していたことを思い出して、あれは何の真似であったのかと、今更ながら考えてしまうのだ。それこそ誰かに言われるままに、従って生きてきた代表的オメデタイ人ではないか、と。
ロシアの今のウクライナ侵攻だって、それこそ国民は、プーチンの戦争であるとしても、同時にまた、国家の戦争だとみているからこその話であり、それが私的権力による戦争であるならば、最初から、そっぽを向くに違いないはずなのだ。もっとも、そうさせないために、凄まじい圧力というか暴力が行使されるのだが。そこからすぐさま、私たち日本の明治以降の日清・日露戦争を振り返るとき、最初からおかしな「公」と「私」の関係を前提とした戦争であったことに気が付くのではあるまいか。
このように、私の脳内は沸々と何かが沸き立った状態となり、正直少し心身ともに参っているのだが、そこにまたまたお隣の兄弟国の韓国からの例の元徴用工のニュースが飛び込んできたから、沸々からもはやお陀仏状態だ。日本国家・政府は、そして日本の民間の私企業は侵略戦争責任を認めて、賠償支払いをすべしとの韓国の元徴用工の訴えが響くことで、公と私の関係に対する思いはさらに複雑となる。
彼ら徴用工は、日本国家を公的権力として位置づけ理解しているハズだ。それは自国の国家に対しても、またそのように理解しているだろう。このような公と私の関係を前提としたとき、同時にその関係の相互間の位置付け方と理解の仕方も、当然ながら、ままならないであろうことを踏まえるとき、ましてや「歴史認識」における最低限の共通理解すら、到底望めないのは推して知るべしだろう。付言すれば、これまで表明されてきた日本政府による歴史認識は、私の語る「システム」論を踏まえながら、批判的観点から再考察されるべきである。
ところで、今回の韓国政府から提示された徴用工問題の解決策(案)は、韓国政府が日本企業に代わって賠償金を支払うとの肩代わり策であるのだが、結局のところ、私的権力同士間でのある種の「たらい回し」策であり、それは、覇権システム内での無力な「私」と強力な「私」との私的権力抗争を前提とした中での、一つの「落としどころ」案である、と私はみている。換言すれば、どこまで行ったとしても、提示される解決策は、公的権力と「私」との謝罪・責任関係を前提とするものではないということである。
私の語る「システム」の提供する公的権力ではなく、それとは次元の異なる「おおやけ」の権力がつくり出されない限りは、たとえ、日本国家や政府が過去の戦争を反省して謝罪したとしても、それは覇権システム内での、私的権力関係を反映したものであることから、反省や謝罪は虚しいとしか言いようがない。勿論、それでも、何もしないよりはした方がいいとの声が必ず出てくるだろうが、これまた致し方ない。いずれにしても、私たちは覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される「システム」の「囚われ人」の存在でしかない。この点だけは自覚・自戒しておきたい。私の主張したいのは、この一点に集約されると言っても過言ではない。
(最後に一言)
今回記事は、もうこのくらいにしておきたい。(最初に一言)までたどり着けなかったのは残念だが、これからは、少しずつしか書けそうにないから、丁度良かったかもしれない。(続)
本来は、本当は、そうできたはずであり、今もなおその請求権は消滅してはいない。だが、それをさせない私たちの思考経路が存在しているのである。おかしなことだが、これまた「歴史叙述の神話」の産物である。私たち日本と日本人は、どういうわけなのか、従軍慰安婦や徴用工に対しての損害賠償の支払いの有無に関する論争にはかかわるのだが、韓国の普通の戦争体験者の国民に対しては、そのような意識すら持ち合わせていないのではあるまいか。逆に、それは韓国の普通の国民もまたそのような思いを抱いているのではあるまいか。
もし世界中の戦争被害者たちが、私の語る「システム」とその主導的利害関係者に、戦争の勝者も敗者も共に、戦争時における戦争に巻き込まれた戦争被害者としての損害賠償を請求することを、当然のこととしていたならば、おそらく「システム」は相当ましな存在に替わっていたに違いない。
ところがそれができないのだ。戦争の勝利国となった国民は、敗戦国の国家・政府に対する損害賠償の支払い請求にかかわったとしても、自国の国家・政府に対して、そうした賠償支払い請求を求めないのは、どうしてなのだろうか。
未だに歴史認識に関する一定レベルでの共通認識と理解が見いだせないままなのだ。それは当然と言えばそうであろう。個の韓国の元徴用工問題の背後にも、これまでのブログ記事での私の「システム」論で描く「システム」とその関係の歩みが深くかかわっているのである。私の強調点は、それゆえ、国家や国民の立場を離れて、「システム」を担い支持している「システム人」の立場から、歴史を捉え直すことが大事であるということである。そうした観点に私たちが立たない限りは、皮肉なことだが、「システム」を前提とした「ナショナリズム」の罠にかかったままで、そこから抜け出せないだろう。
今の日本の格差社会の真っただ中で漂流している日本国民には、過去の歴史問題に的確に向き合うことは容易でない。それは韓国もまた同様ではあるまいか。「システム」とその関係の歩みのどの段階において、あの戦争にまつわる歴史がつくられたのか。そして、日本に対する賠償請求は、1970年代以前の「システム」とそれ以降の「システム」の段階においては、それぞれの国家・政府と国民の立ち位置が異なることから、また日韓関係を取り巻く国際関係の変化も手伝って、さらに複雑なものとならざるを得ない。
ここで、1965年の日韓平和基本条約が締結された当時の日韓米の「システム」における位置関係を見てみよう。私のモデルの構造的観点からみるとき、{[A]→(×)[B]→×[C]}において、1965年当時の米はA人ヌ本はBにそして韓国はBの下位かCの上位に位置している。わかりやすくするために、ここでは韓国をCに含めておく。
私のモデルの通時的観点からみれば、Aの米国は[分厚い中間層の形成→民主主義の発展(高度化)]のⅢ期の前期から中期を経て工期の段階に位置している。Bの日本は、[経済発展→分厚い中間層の形成]の前期を経て中期の段階に位置している。そして韓国は、[権威主義的性格の政治→経済発展]の前期から中期の段階に位置している。これら米日韓の三か国間における覇権システムを前提とした中での経済発展と民主主義の発展の通時的レベルにおける関係は、当時のA、B、Cから構成される「システム」とその関係の歩みによって導かれた関係である。そうした枠の中で、日間平和基本条約の締結が促されたことに、私たちは目を向けるべきである。
それゆえ、あの戦争を巡る日本の韓国侵略に対する謝罪と賠償は、両国間の直接的対峙を基にした謝罪と賠償ではなく、むしろ「システム」の高度化実現のために、「システム」によって演出されたものであったと言えるだろう。その意味では、「システム」によってあの戦争へと導かれた日本と日本人が、韓国を侵略したことを踏まえるとき、ここでも歴史は皮肉を超えて残酷な仕打ちを、日本と韓国の両当事国に強いるのである。その際、米国は覇権国として、覇権システムの頂点に君臨していることから、「システム」の主導的利害関係者として、この条約締結にかかわったのである。
しかし、その後も紆余曲折を経て、2008年には韓国最高裁の判決により、個人の賠償支払い請求権まで否定されたのではないとされたことから、日本の侵略に伴いその犠牲者となった韓国の元従軍慰安婦や元徴用工による賠償支払い請求が繰り返されてきた。
その流れの中で、今回の韓国政府の決定に対して、いろいろな方面から指示や不支持の表明がなされている。私自身は、個人と国家の賠償請求要求とそれに対する対応は、それぞれ異なるものとして考えるべきとのスタンスをとっている。そこには、国民であるとしても、国家との一枚岩的存在として取り扱われることの危険性を、憂慮するからである。
国内法であれ国際法であれ、それらは私の語る「システム」とその関係の歩みにおける差別と排除の関係を正当化・合法化するものでしかないということを、先ずは確認しておきたいのである。