本当は、今日はブログ更新しようと写真なども取り込んでいたんです。
でも、3時半過ぎ夫の姉からメールが入りました。
「先ほど、トモちゃんが静かに永眠されました。
苦しむことなく静かに眠るように穏やかに旅立ちました。私は朝から病院に行って、そばでずっと手を握りながら声をかけ続けていました。
今は何も力が入りません、メールでごめんなさい」と・・・
夫のいとこのトモちゃん、76歳でした。 ガンでした。 昨年の7月すい臓がんで全身に転移してることが分かり、余命半年と言われたのです。
このブログにもたびたび登場する、兄弟の様な関係でした
特に夫の姉とは、同じ市内に住んで居たこともあり、それぞれ姑を送ってからは頻繁に会って、洋裁、小物手芸、お琴などすべに長けてるトモちゃんと姉は意気投合して、姉妹以上の付き合いでした。
夫は末っ子ですが、両親を見た関係で、姉妹のいない私には義姉は本当の姉の様な頼りになる存在です。
ですから、こちらに移住してしばらくしたとき、義姉の家に遊びに行って、トモちゃんと再会した夫はトモちゃんにとっても、幼い時から知ってるいとこを通り越した弟のような付き合いをしてきました。
何でも歯に衣をきせずハキハキと物を言うトモちゃんは、62歳でご主人を突然亡くしたり、お嬢さんのお子さんを孫を幼い時に病気で亡くしたり、悲しいこと一杯あっても、クヨクヨしても一生なら、前向くしかないから!と、気丈に生きてきた人でした。
だから、たまにしか会わなくても、兄弟会って、夫の兄、義姉夫婦、私たち夫婦にトモちゃんも入っての兄弟会は、とても楽しくて、私にも頼りになるお姉さんのようでした。
思い出せばきりがなく楽しいことが浮かびます
でも、語りつくせぬ思いで今は胸がいっぱいです。
昨年その状態だと分かって、トモちゃんはがんに対する治療は一切断り、ただ痛みだけをコントロールする、出来るだけ家で過ごし、いよいよ動けなくなればホスピスに入ると、最後までの計画を立てました。
そして、それからがすごかった!
痛みのない時間に親しい友達(色々教えたりしてたので心から慕う友人知人の多い人でしたから)に手伝ってもらって、身辺整理を始めて、それこそ、洋服から靴、生活小物に至るまで最小限にして、銀行口座も家族にわかるように、そして自分に使える分をしっかりと別にして、、と・・
義姉は手伝いたくても彼女自身がヘルニアや重度の緑内障手術などを控えて、身動き取れず、電話のみがかなり長い時間ありました。
でね・・そのことが分かってしばらくしてトモちゃんから電話がありました。
色々と話しました。
その前の年の春、皆で河津桜見に行ったことも、その前の年は八ヶ岳まで行って素晴らしいバラ園に行った話も・・
トモちゃんは
「本当にありがとーねぇ・・兄弟でもないのに、皆の中に入れてもらって、私、幸せだったぁ・・たのしかったぁ・・」って・・
そして、「M君いるんでしょ?」と夫の名前を出したので夫の方に振り向いたら、意気地ない夫は話せなかったのでしょう、手を横に振るのです。
だから、それを伝えたらトモちゃん、カッカッカ・・と笑って、
「弱虫めぇ!!あぁぁはいはい分かりましたよ!! でも、ホント感謝してるから、言えるうちしか言えないから、伝えてね!」って。
でも、昨秋は、体も治癒した義姉がトモちゃんちに行って、食事して話てると私に電話があって、20分以上も話しました。
痛み止めが、かなりきつい痛み止めで、少し朦朧とするぐらいでも、だんだん正気になってくるって・・口が少し回らなくなってても、よくね‥楽しかったね・・って・・
それから8か月以上!
半年と言われても一年近く、頑張り、生き抜きました。
笑い声が耳に残ります。
ご主人と暮らした大きな家を息子さん家族に明け渡し、自分は一人3dkのマンション住まいをしながら、多くの人に囲まれながら、自由奔放に生きる!って
でも、その実、色々と悩み事や心配ごともあると一人っきりの部屋で精神的におかしくなりそうになるわよ‥って‥笑いながら話してくれてもいました。
寂しいです。
寂しくなりました
もう悲しみよりも辛さよりも寂しさだけが、今の私を支配しています。
大変だろうなぁと思いつつも、生きている、頑張ってると、思うだけで、力が湧きましたから。
何もしてあげられなかったけど、でもね・・
この間も義姉が行ったら
「もうねぇ…大変よぉ~~生きてるって、それだけで大変!!もうそろそろいいんだけどなぁ‥いやになるわよ・・・でもねぇ‥生きてるんだわよねぇ」って言ってたと・・
だから、今は本当に楽になれたんだから、トモちゃんには良かったと思うことにして…でも
やっぱり 寂しいなぁ・・
あの明るさをもらって、もう少ししたら、元気になります、私も!!
いい年した大人がねぇ・・全く持って童心に帰ってのバカはしゃぎをしてた兄弟会が懐かしく思い出されます。
コメントはお休みします
でも、3時半過ぎ夫の姉からメールが入りました。
「先ほど、トモちゃんが静かに永眠されました。
苦しむことなく静かに眠るように穏やかに旅立ちました。私は朝から病院に行って、そばでずっと手を握りながら声をかけ続けていました。
今は何も力が入りません、メールでごめんなさい」と・・・
夫のいとこのトモちゃん、76歳でした。 ガンでした。 昨年の7月すい臓がんで全身に転移してることが分かり、余命半年と言われたのです。
このブログにもたびたび登場する、兄弟の様な関係でした
特に夫の姉とは、同じ市内に住んで居たこともあり、それぞれ姑を送ってからは頻繁に会って、洋裁、小物手芸、お琴などすべに長けてるトモちゃんと姉は意気投合して、姉妹以上の付き合いでした。
夫は末っ子ですが、両親を見た関係で、姉妹のいない私には義姉は本当の姉の様な頼りになる存在です。
ですから、こちらに移住してしばらくしたとき、義姉の家に遊びに行って、トモちゃんと再会した夫はトモちゃんにとっても、幼い時から知ってるいとこを通り越した弟のような付き合いをしてきました。
何でも歯に衣をきせずハキハキと物を言うトモちゃんは、62歳でご主人を突然亡くしたり、お嬢さんのお子さんを孫を幼い時に病気で亡くしたり、悲しいこと一杯あっても、クヨクヨしても一生なら、前向くしかないから!と、気丈に生きてきた人でした。
だから、たまにしか会わなくても、兄弟会って、夫の兄、義姉夫婦、私たち夫婦にトモちゃんも入っての兄弟会は、とても楽しくて、私にも頼りになるお姉さんのようでした。
思い出せばきりがなく楽しいことが浮かびます
でも、語りつくせぬ思いで今は胸がいっぱいです。
昨年その状態だと分かって、トモちゃんはがんに対する治療は一切断り、ただ痛みだけをコントロールする、出来るだけ家で過ごし、いよいよ動けなくなればホスピスに入ると、最後までの計画を立てました。
そして、それからがすごかった!
痛みのない時間に親しい友達(色々教えたりしてたので心から慕う友人知人の多い人でしたから)に手伝ってもらって、身辺整理を始めて、それこそ、洋服から靴、生活小物に至るまで最小限にして、銀行口座も家族にわかるように、そして自分に使える分をしっかりと別にして、、と・・
義姉は手伝いたくても彼女自身がヘルニアや重度の緑内障手術などを控えて、身動き取れず、電話のみがかなり長い時間ありました。
でね・・そのことが分かってしばらくしてトモちゃんから電話がありました。
色々と話しました。
その前の年の春、皆で河津桜見に行ったことも、その前の年は八ヶ岳まで行って素晴らしいバラ園に行った話も・・
トモちゃんは
「本当にありがとーねぇ・・兄弟でもないのに、皆の中に入れてもらって、私、幸せだったぁ・・たのしかったぁ・・」って・・
そして、「M君いるんでしょ?」と夫の名前を出したので夫の方に振り向いたら、意気地ない夫は話せなかったのでしょう、手を横に振るのです。
だから、それを伝えたらトモちゃん、カッカッカ・・と笑って、
「弱虫めぇ!!あぁぁはいはい分かりましたよ!! でも、ホント感謝してるから、言えるうちしか言えないから、伝えてね!」って。
でも、昨秋は、体も治癒した義姉がトモちゃんちに行って、食事して話てると私に電話があって、20分以上も話しました。
痛み止めが、かなりきつい痛み止めで、少し朦朧とするぐらいでも、だんだん正気になってくるって・・口が少し回らなくなってても、よくね‥楽しかったね・・って・・
それから8か月以上!
半年と言われても一年近く、頑張り、生き抜きました。
笑い声が耳に残ります。
ご主人と暮らした大きな家を息子さん家族に明け渡し、自分は一人3dkのマンション住まいをしながら、多くの人に囲まれながら、自由奔放に生きる!って
でも、その実、色々と悩み事や心配ごともあると一人っきりの部屋で精神的におかしくなりそうになるわよ‥って‥笑いながら話してくれてもいました。
寂しいです。
寂しくなりました
もう悲しみよりも辛さよりも寂しさだけが、今の私を支配しています。
大変だろうなぁと思いつつも、生きている、頑張ってると、思うだけで、力が湧きましたから。
何もしてあげられなかったけど、でもね・・
この間も義姉が行ったら
「もうねぇ…大変よぉ~~生きてるって、それだけで大変!!もうそろそろいいんだけどなぁ‥いやになるわよ・・・でもねぇ‥生きてるんだわよねぇ」って言ってたと・・
だから、今は本当に楽になれたんだから、トモちゃんには良かったと思うことにして…でも
やっぱり 寂しいなぁ・・
あの明るさをもらって、もう少ししたら、元気になります、私も!!
いい年した大人がねぇ・・全く持って童心に帰ってのバカはしゃぎをしてた兄弟会が懐かしく思い出されます。
コメントはお休みします