超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

感動には毒がある

2009-01-29 06:24:40 | Weblog
美しいものには毒がある。
この世は善悪といった対偶でできている。

感動や幸福にも毒がある。
夢や希望にも毒や害がある。
これが理解されていなかった。

感動や幸福を追って、出来た地獄である。

感動や幸福は、悪魔のお菓子であった。
これを食うと人は畜生・鬼畜・餓鬼になる。
それは地獄で暮らすことだった。

   *。
人類皆、豊かさを求めて畜生・鬼畜・餓鬼になった。

欲望が発振し、
人間性が破壊され、安心・安定・安全がなくなった。

これが地獄である。

*。
高偏差値エリートは、悪魔の上級代理人だった。

彼らに国家を託したのだからたまったもんではない。
世界が地獄になった。

エリートは光源氏現象だった。

紫式部はいっている、普通が一番です。
これ程高級なものはない。

*。
高偏差値は、低級を高級にする錬金術だった。

エリートは現代の王侯貴族だ。
彼らは戦争と犯罪で食っている。

彼らの仕事は犯罪と戦争だ。

    *。
感動と癒しには毒がある。

草履伝説こそは、
人を焼き尽くし、殺しつくし、奪い尽くすウィルスだった。

草履伝説で、人は奴隷や家畜にされた。
肉食権力奴隷に、彼らに食われる草食奴隷がいる。

権力も無力も奴隷にした草履伝説だ。

*。
成功と幸福ばかりか、
感動と癒しにも毒と害がある。

  *。
これを知って死って新しい時代が始まった。

こう見ると、登校拒否とフリーターは奴隷と家畜からの脱出だった。

彼らは国家や産業の奴隷となると、魂がなくなることを知っていた。

*。
魂を守るには、奴隷にならないことだ。

そして感動や癒しの奴隷や家畜にならないことだ。

*。
感動や癒しの奴隷にならない。

これが現代の生き方だ。

   *。
感動産業は、個々の主体の差異を消し去って、
人をモノ化し、記号化し、
人を感動産業の歯車や部品に変えた。

感動産業に取り込まれた人は、
最早葛藤を覚えることなく、
自分自身の脱人間化を、
人間的なことだと思って、
幸福や感動と思って、楽しく消費するのだ。

*。
ここに感動も幸福も、戦争や犯罪や狂気やテロも、
社会の機能となり、
テロリストにも成功者にも、
同じ喜びと幸せをもって、
人間の自己実現として、
幸福や感動をもって行動する。

ここにテロとサクセスの境界があいまい化し、
善悪は消滅し、
何事も暖かい幸福となった。

幸福と犯罪の共存、いや同一化が達成された!

*。
一体何やってんだろう。

Goedelの不完全性定理違反をやっていた。
ナッシュの均衡理論の否定をやった。

欲望の発振 それを止められる日本文化

2009-01-29 05:34:07 | Weblog
足るを知る、
腹八分目、
これが負帰還である。

現代文明は欲望を発振させ、足ることをを知らなくした。

これが巨大大GDPの仕組みであった。

*。
人々の快楽を最大化する戦略が必ず存在する。
それは欲望を発振させ、
即ち、人と世界を破壊する戦略である。

ナッシュの均衡理論で書いた。

  *。
消費文明は、何もないところに過激消費を生み出した。

欲望を発振させた訳だ。
人の生活は、負帰還の時に安定する。

即ち、足るを知ることができる。

*。
腹八分目は、負帰還の掛かった本能や生活だ。

発振文明には安定がない。
犯罪や戦争に精神障害を発振させた。

欲望だけを発振させたのでなく、
生活自体を発振させた。

それは生活の安心・安定・安全を破壊した。

   *。
きれいな花には毒がある。
これは対偶性だ。

豊かな生活には、害がある。
これも対偶性だ。

*。
ワーキング・プアは国家のリストカット現象だ。

ここに流れる国家の血であるが、
一人称衝動はこれを国家の血と認識できない。

国家の役立たずを殺していると思うのだ。

*。
お上日本では、国家に国民が入っていない。

国民のいない国家、これは妄想だ。

一人称衝動はこれを認識できない。
一人称衝動は妄想を生きていることが分かる。

だから美しい日本を容易に作れる。
それがリストカットであることを知らない。

*。
ここでアメリカもまた一人称衝動を生きていることが分かる。

日本の影響かもしれない。
即ち、日本はアメリカを制圧した。

  *。
美しい日本や他虐史観は、
三人称客観意識には妄想であることが分かる。

だが主張しているものは分からない。
分からないからできることがあることが分かる。

*。
妄想は反対するものを異物排除しないと成立しない。

それは世界から自らを異物排除させることだ。

大日本帝国は世界を異物排除して、世界から異物排除された。

即ち、他人を殺して、死刑にされて、自殺させて貰う。

*。
これは自殺であって自殺でない。
自殺でなくて自殺である。

これが一人称衝動意識だ。

その特質は、絶対矛盾の自己同一化だ。

それをうまく使うと、
アメリカに平和憲法を作らせ、日本を守らせることが出来た。

   *。
ところがアメリカは世界にモノを作らせ、
これを消費することを楽しませた貰った。

有色人種の皆さんのために、消費して上げました。

*。
即ち、有色人種の皆さんのために、皆さんを殺してあげました。
即ち、アメリカのために、死んで上げました。

これは対偶である。

*。
これは三人称客観意識にも理解できない。

いや日本が関わってくると、世界が狂ってくるといったらいいのではないか。

   *。
この日本と世界の関係をよく使うと、
世界は最適化される。

日本は世界の逆向きだから、
これで調和振動は作れるし、
世界に最適化を出来る。

即ち、日本は世界の負帰還装置となり、
世界を能の世界に出来る。

ここの人類をキラキラ出来る。

*。
日本はどうしようもない国だが、
だから世界を変えることが出来る。

**。
今日もまた我がスナイパーは的をぶち抜いた。
神に栄光あらんことを。

漢字は呪能を主人公とする幽霊劇である

2009-01-28 07:52:05 | Weblog
白川静氏は漢字は呪能が作ったといった。
漢字の原因に呪能があるという。

正に呪の能である。
即ち、漢字は呪能による幽霊劇だとなる。

すると日本字は、言霊を主人公とする幽霊劇だといえる。

*。
この言い方を使えば、
日本文化は魂を主人公とする幽霊劇だといえる。

現世をホログラムとし、
それを感性や知性でホログラフィーとし、
そこに作られるイマジネーションにキラキラを作る。
これが日本劇場だとなる。

*。
マレビトを主人公とする幽霊劇場が日本文化だともいえる。

日本文化は能の舞台であり、
これを世界に拡大することが出来る。

*。
平和憲法をアメリカに作らせ、
日本ばかりかアジアを守らせる。

このようなメカニズムは理論理性に出来ることでなく、
柔道や忍術を含む仕組みとしての能、
ここに人類を存在せしめる。

これで理性空間を脱し、
人間を人間在らしめることが出来よう。

     *。
こう考えると、お上日本は、能舞台のハードであるセットと考えられる。

舞台道具が国家を主体とする。
その異常さをお上にどう認識させたらいいのか。

正に日本は幽霊劇がゾンビ劇となっている。
日本を壊す幽霊、
これが法治国家日本の主人公であり、
それが日本を襲っている。

*。
日本幽霊劇場を悪用して、化け物劇場した。
しかも人を平然と殺す悪霊劇場になっている。

立身出世、いい学校いい会社、
これが日本を悪霊劇場とした。

これは人の心ではなかった。

西欧を入れ、秀吉システムは更に劣悪化した。

*。
秀吉は草履伝説で、日本人の心を悪霊に支配させた。

感動に書き込まれた悪、
これを一人称衝動は分離排除できない。

これを相殺するには、世界貢献でこれをご破算に繰り込むことだ。
即ち、世界を幽霊劇場とすることだ。
これで悪霊劇場を脱出できる。

犯罪と戦争は満たされない心の刺激と充足である

2009-01-28 06:51:53 | Weblog
アメリカ現象は、
世界一の豊かさを求めた結果、
満たされることのない心が生まれ、
それを刺激と充足で満たそうとした。

ここに孤独と寂寥感、無力感と喪失感が恒常化し、
それを刺激し充足することが、
犯罪と戦争の自己否定と自己破壊であった。

これを自己責任・自助努力・自己管理といった。
これが自己実現の真相であった訳だ。

   *。
ここに豊かさは人が求めるものではないことが分かる。

成功や幸福の追求は、自己否定であり、自己破壊であった。

頭に血が上って、何やってんだか分かんなくなった。
これは欲情現象といえるだろう。

欲情を発振させ、人と現実の安定性を放棄した。

*。
不安定現象は、犯罪や戦争や精神の貧困として現れる。

即ち、精神を不安定にしないことが人の存在の前提だ。

*。
国家秩序とか豊かさは、精神を貧困にする原因だった。

それが自己否定・自己破壊・自己抹殺であった訳だ。
これが人間性の否定であった。

*。
ここに人間の存在構造が認識された。

成功とか幸福、感動や癒しは、人間性の自己否定であった。

   *。
この認識に立つと、
村上春樹文学は、強盗殺人文学である。
村上春樹文学は、慰安婦文学である。

こういう文章が作れる。
断っておくが、この文章から文学なる言葉を削除した責任は本ブログにはない。

*。
社会や人間性をバイパスした感動と癒しは、
世界や人間を排除した閉ループであり、
これはゾンビである。

感動と癒しは、世界や人間を含むプロセスに成り立たなくてはいけない。
人が殺されないようにする仕掛けを内蔵していなくてはならない。

この仕掛けを内蔵しない文学や芸能は、
強盗殺人である。
それ自体略奪と殺戮となる。

村上春樹文学には、殺人のメカニズムの克服がない。
従って強盗殺人の共犯や司令塔となる。

*。
これが構造理性による認識だ。

すると仏教儒教は、強盗殺人である。
仏教儒教は慰安婦である。

こういう文章が成立する。
東洋はこの袋小路に落ちてしまった。

これでは西欧の車輪の下だ。

人間人類の存在構造 人を主人公とする幽霊劇

2009-01-28 05:54:05 | Weblog
仏教は心のゼロの発見であった。
人の心をゼロに収束することだ。

この時、世界は消える。
世界をゼロに収束した訳だから。

従って世界のない世界を作った。
ここに現世は畜生に委ねることとなった。

*。
するとキリスト教は、無限大から人の世界を見ることだ。

ダビンチ画法の、消点から現実を見ることだ。

ここのにゼロがない。

   *。
この両者の違いを知った現代日本は、
ゼロと無限大を含む意識体系を作れることになった。

だがそれは既にあった紫式部思想だ。
それは人間を主人公とする幽霊芸といえる。

*。
リアリティの舞台で、メタフィジークの幽霊劇を演じる。
このコンプレックスから、
リアリティとメタフィジークの裂け目に、
キラキラが出ればいい訳だ。

キラキラは刹那であり、それは日常に成立する。
キラキラはいつも得られることではない。

*。
これが人間人類の存在構造だ。

金権ファシズム

2009-01-28 05:14:53 | Weblog
金融経済は金権ファシズムであった。
その地下バイアスに白人帝国主義があった。

権力も無力も熱狂的に服従した金権ファシズムであった。

*。
大衆の熱狂的服従は、
社会と自己の破壊が共振する時成立する。

何故なら、人間は根底に破壊と殺人衝動を持ち、
民族によってその存在深度に違いはあっても、
誰でも持っているからだ。

*。
破壊と殺意を共振させることが、ファシズムである。
それには人々に共通の目標が必要だ。

  *。
金融経済は、経済ではなく、金権ファシズムであった。

ファシズムは自己否定であり、
目標に集中することは、
その目標に自分自身も入っているから。

自分を含む世界の破壊、
即ち、自分の中に自分を敵とする自分を作り、
これは殲滅する生き方がファシズムだ。

成功することは、自分を殺すことだ。

*。
これは国家や民族が妄想型統合失調症を発症することだ。

これは国家や民族が、ガンを作って生きることだ。

*。
従って、自己否定は自己破壊に終わる。

それを自己責任・自助努力・自己管理といった。

このトリックは西欧理性に解けない。
構造理性だけが認識対応する。

   *。
自己責任・自助努力・自己管理の対偶は、自己否定と自己破壊である。

自由と正義の対偶は、略奪を殺戮であり、
それは自己否定と自己破壊と等価同型である。

*。
自由と正義は、
自己責任・自助努力・自己管理に成立し、
それは自己否定・自己破壊・自己抹殺である。

即ち、自分を含む世界のガンであった。
その意識は妄想型統合失調症であり、
反対の殺戮に成り立ち、
それは自己破壊である。


**。
今日もまた我がスナイパーは的と撃ち抜いた。
神に栄光のあらんことを。

人を罰せるか 人が生きることの真相

2009-01-27 09:23:12 | Weblog
思弁空間や感情では人を罰することが出来る。

現実でこれを行うとどうなるか。
人を罰するには、司法や警察が必要になる。
すると司法や警察の論理で動くことになる。

*。
現在世界が認識したことは、
人を罰するために刑務所に入れる。

それが長期であるほど、
犯罪しか出来ない人にしてしまうことだ。

その人は出所すると犯罪を行う。
即ち、犯罪を罰することは犯罪をやらせることになる。

これがが制裁だろうか。

*。
犯罪者を罰して、社会が犯罪者に罰せられる。

   *。
即ち思考空間での処理は、現実に否定される。

即ち、理念を主人公とする幽霊劇が現実で行われる。
理念の幽霊が至る所に現れる。

国家が犯罪集団となった。

*。
成功と幸福の追求は、強盗殺人の快楽でしかなかった。

理想を現実に実行すると、
理想と全くかけ離れた幽霊が現れた。

そこの人間は消滅する。

   *。
人間の一生をキラキラするにはどうしたらいいのか。

やっと問題が問題になってきた。

現状では人は無理やり消滅させられる。
成功者も失敗者も殺される。
納得できない死に方をさせられる。

*。
人は理想や豊かさに殺される。

現実に満たされることがない。

*。
問題は現実にキラキラする生き方をしたいのだ。

つまり現世の運動に不動点を作りたい。

この例が多田富雄氏だ。
脳梗塞になって、人の生きることの精髄を結晶した。
人間の本質が結晶した。

これが出来る社会が本物の社会だ。
人が生きることは能を演技することだ。

源氏物語の叡智 自由貿易は自由貿易の否定である

2009-01-27 09:20:41 | Weblog
自由貿易は強者を肥えさせ、弱者を貧困に落とす。
即ち、自由貿易は貿易を発振させた。

人類の正しい将来の会合地点に向けて、
フィードフォーワードした。

弱者が殺されても、自由貿易が維持される。
あらゆる権力が弱者を無視していることが分かる。

この不安定こそが、犯罪と戦争の正体である。

即ち、自由貿易はテロリストであった。

*。
ここには弱者による負帰還がない。

即ち自由貿易に安定はない。

   *。
強者の利益は、弱者を屠る。

これが自由貿易の正体である。
あらゆる権力は弱者に立っていない。

これが世界の不安定さだ。

*。
即ち、自由と正義は弱肉強食のトートロジーであった。
即ち、自由と正義は、略奪と殺戮であった。

即ち、自由と正義は自由と正義の否定であった。
即ち、自由貿易は自由貿易の否定であった。

これが通ることは権力支配である。

  *。
自由と正義は現実に権力を製造販売消費するシステムであった。

自由と正義は、人間を労働力商品化し、
弱者を商品化、即ち記号化し、
現実を強者支配とし、
強者をテロリストととし、
弱者の消費と楽しむ。

強者による弱者の狐狩りやウサギ狩りシステムとなった。

なんと弱者も消費されることを楽しむ。

*。
自由と正義産業は、人間性を除去し、
人を消費商品化し、
強者も弱者も最早葛藤を覚えることなく、
自己破壊を人間を生きることとし、
感動と癒しをもって楽しむのだ。

  *。
だが構造理性を持って読むと、これは当然のことだ。

自由と正義の対偶は、破壊と殺戮だからだ。

自由と正義はカオスの初期条件であった。

*。
平穏と静謐がカオスを避ける初期条件だ。

これは昔の人は知っていた。

*。
紫式部は普通がいいといった。

光源氏をやってはいけないといった。
光源氏こそはカオスだった。
彼は現世に消されたしまった。

*。
自由と正義は光源氏だった。

これこそがカオス設定の初期条件だ。

源氏物語は構造理性から読んでも問題がない。

思考空間と現実空間

2009-01-27 06:28:32 | Weblog
自由と正義なる理想を言葉として作る。

これを現実に実行すると、喧嘩闘争となる。
思考空間と言語空間、
それと現実は違うからだ。

*。
現実は善悪などの対偶で出来ている。
つまりダイポールである。

だが言語空間の自由と正義はダイポールではない。
モノポールである。

自由と正義を現世に入れようとしても、拒否される。
理想は現実では消点である訳だ。

即ち、現実に存在しないものを、目標にする。

     *。
神は善悪を作った。

人はそれをある程度自由に組み合わせ出来る。

*。
現代世界は権力が現実を取り仕切る構造だ。

これを変えることも出来る。

*。
初めは自由と正義の世界を作ろうとした。

しかしやるほどに自由と正義は変質した。

今や略奪と殺戮の現世となった。

*。
何故だ。
自由と正義の実現には、
その反対成分を排除しなければならない。

その排除力は自由と正義でなく、唯の暴力だ。

暴力を用いて自由と正義を実現する。
それは自由や正義ではない。

  *。
何が起きたのだろう。

言葉としての自由と正義は、現実と関係なく思考空間に成立した。

これが現実に負荷すると、正しい暴力となる。

それは暴力であって暴力ではない。
では何だ。

決定不能証明不能に陥る。

*。
ナッシュ流に言うと、
正義の実現は、破壊である、となる。

ここに思弁と現実の差異が認識される。

即ち、思考と現実の間の負帰還が存在する。

この最適化こそ人の仕事であることが認識される。

  *。
神は善悪を作った。
人の仕事はその最適化である。

*。
現在は権力の都合のいいように行われている。

これを最適化するのは、無力が力を付けねばならない。

即ち、権力天動説から無力地動説へ。
爆発力から安定性へ。

地球社会は大移動中である。
これが21世紀事件の真相だ。

地球社会はゴミ屋敷である

2009-01-27 05:36:58 | Weblog
お上日本はゴミ屋敷である。
ダム、道路、鉄道、公共インフラ、原発、
そして年金、健保、失業保険、
そうそう税金、天下り、わたり、
公害、無実犯人、医療殺人、薬害殺人…。

お上日本はゴミ屋敷である。
政権党と役人はゴミ天国に暮らす。

*。
お上日本はゴミを製造販売消費して成り立つ。

税金をお上の所得・欲望・消費に製造販売消費する。

司法や警察もこの共同共謀正犯であり、
最高裁の日本人は0.2なる判決で、
ゴミ国会作られた。

ここでゴミは金に錬金され、
国民の税金は国民のゴミとなる。

*。
お上日本はゴミを製造販売消費する。

国民は黙ってみているしかない。

文句を言えば、司法と警察に袋叩きされる。
いやここにマスコミ・言論界・学界が入っている。

   *。
お上が生きるために国民を死に廃棄する。

これが秀吉システムだ。

*。
秀吉の草履伝説に、
国民は泣いて喜び、
秀吉システムに自ら進んで自己を献上する。

感動と癒しに仕込まれた秀吉ウィルス、
これが国民を奴隷や家畜する。

*。
秀吉システムは世界を制覇した。

だが秀吉がいない。
アメリカが自動的に秀吉になった。
そして世界はお上世界となった。

   *。
遂に地球社会はゴミ屋敷となった。

金と権力を、成功と幸福と上書きし、
民主主義議会と資本主義市場に入力すると、
強者を生きさせるために、
弱者を死に廃棄する秀吉プログラムが自動的に演算される。

*。
勝てば官軍、負ければ賊軍。

権力を取ったものが、
自動的に世界を制覇する。

権力こそゴミ屋敷の正体だ。

権力とは、弱者を殺して食う組織である。

これが地球社会ゴミ屋敷の正体だ。

  *。
ここから脱出することは、
人々が権力に依存せず、
権力にしがみつかず、
権力に取り入らなくなることだ。

市民の権力からの自立こそ、ゴミ屋敷からの脱出だ。

*。
自我の成立こそが、ゴミ屋敷を作った。

今ゴミ屋敷からの脱出戦が始まった。

*。
法治国家産業文明、
これは新自由主義グローバリゼーションに進化した。

即ち、地球がゴミ屋敷となった。

*。
自由と正義の対偶は、殺人と破壊であり、
それがゴミ屋敷の正体だった。

権力はゴミを食って生きるゾンビだった。

     *。
ファウスト博士の新自由主義、
フランケンシュタインのグローバリゼーションとなった。

*。
強者は悪の華となり、弱者は死の舞踏を踊る。

新自由主義グローバリゼーションは天罰神罰仏罰だった。

権力は畜生・鬼畜・餓鬼となった。