虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

西鶴の笑い

2005年07月28日 | 
「大阪物語」を見てつい西鶴を読み出しました。
 俳諧にも多才・多作を持って知られる西鶴ですので、落語みたいなのや、今昔物語みたいなの、「耳袋」みたいなの、好色ものと本当にたくさんです。そしてその多くに笑いがあり、それが見事に成功しているのは西鶴ならではの天才だと思います。

 市井の金にまつわる悲喜劇…落語でも大晦日の掛取りとの攻防が一大テーマでありますが、それ以上にキツイ、主に悲劇なんだけれどどこか滑稽さをぬぐえない、「日本永代蔵」「当世胸算用」「万の文反古」などは、その悲喜劇のなかの人間のエゴイズムを残酷なまでにあっさりくっきり描いています。「大阪物語」の感想で触れましたが、西鶴は
”「好き」というにはちょっと気持ちに差しさわりがあるけど、しょっちゅう読んで”
しまうのです。特に後期になればなるほど、そのペシミスティックな滑稽さに磨きがかかるように思うのですが。
 
有名なものをいくつか。
・脱力系の笑い
「傘の御託宣」(西鶴諸国噺)
 観音様の参詣者のための貸し傘が飛ばされ、なぜかご神体扱いされて拝まれているうちに性根が入って国中のゴキブリを退治しろの、美しい娘を差し出せのと言いはじめる。娘たちがあんなご神体では身体が持たないと悲しむので、ある後家さんが「私が身代わりに」と申し出る。
 後家さんは、一晩中待っていたが、傘のお出ましはなく、朝になって腹を立てた後家さんはご神体を「この見掛け倒しが」と散々に引き破ってしまった。(下ネタですいません)

・声も出ない、顔がひきつるような滑稽
「京にも思ふやうなることなし」(万の文反古)
 嫉妬深い妻に愛想つかして京に逃げた夫が、仙台に残った妻に送る、何とか離縁しようという文。
 この時代でもそれほどあっさりとは離縁できなかったんでしょうか。既に何度も離縁状を送っているのに承知しないのを納得させるために、男のそれまでの妻遍歴を延々と書き綴る。17年で23人の妻をとっかえひっかえ、そのたびに彼自身もその人生も削られていくような羽目に陥る。それをまあ、淡々と語らせることで浮かび上がる彼自身のふがいなさ、性格の悪さ。
 期待はずれの妻たちの生態もおかしいが、懲りない男にも、声出して笑うには男ならずとも背中にひやりという部分が多すぎる。そしてその期に及んで、離縁しない妻と、女は同じなんて達観もせず絶対離縁しようとする男の意地みたいなものに、馬鹿馬鹿しいと思いつつその滑稽さには笑でなくため息が出るよう。

 そんなわけで、たまには西鶴みたいなのも面白いですよ。文庫や古典全集でわりに手軽に読めますので、お暇な時にでもいかがですか。