虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

下妻物語 完 ヤンキーちゃんとロリータちゃんと殺人事件

2005年07月15日 | 
嶽本野ばら/小学館

 あの感動作、下妻物語続編。
 ちゃんと試験の点数は稼いでいるロリータの桃子が、体育オール見学が原因で留年。ヤンキーのイチゴは普通に成績不振で留年。卒業できなかった二人がほんとは無いはずの春休みに遭遇してしまった殺人事件で、なんとイチゴが容疑者になってしまいます。面白いからと警察に嘘つきまくって捜査を撹乱する桃子と、おろおろするイチゴ。そしてそんな二人の前に現れる未亡人になったイチゴの恩人、亜樹美さんと、亜樹美さんの亡くなった夫・竜二の友人セイジ。
 今度はミステリ仕立てながら、桃子の旅立ちまでの教養小説的な匂いにあふれてます。

 さすがに前作ほどのインパクトはないものの、最後の315~319ページに泣かされました。この数ページに泣かされるためにはこれだけのストーリーが必要だったわけです。
 自分の美意識を支えに、世の中に対して一人で昂然と生きていた桃子が、イチゴという一直線な友人の心に触れ、自分の大事なものを、感動を洋服という形で世界に問うために飛び立つ、「ダサくてクサくても、思い込んだ道を突っ走る」勇気を育てていくのです。そして世界へ関わるために、そこで自分の場所を得るために踏み出します。
「下妻に愛着なんかない」と言い切る桃子ですが、下妻かどうかではなく、イチゴのいるところが彼女にとってやはり拠り所です。

 前作からのトンチンカンな熟語・ことわざギャグも炸裂しています。イチゴの割れ鍋に閉じ蓋的な2度目の恋の相手、セイジさんにも笑わせていただきました。本当に物知らずで純粋なカップルで、桃子ちゃん、心を猿にして突っ込んであげないと、こんないたいけな二人では悪い人の食い物にされてしまいます。
「井の中の蛙」を「胃の中の買わず=胃袋の中にいたんじゃ何も買えない」もおかしかったですが、私、実は室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの…」を最初に朗読で聞いたものですから、「いどのかたえ」を正しく「異土の乞食」とは思わなくて(だって難しい言葉なんだもん)、「井戸のかたえ」だと思って、井戸のそばで商う「かたえ」という、明治時代の坂で車を押して駄賃を貰う人みたいな、かなり底辺の職業があるのかな?と思ってました。セイジさんとご同類かも。