二草庵摘録

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破滅型私小説の極北 その1 ~葛西善蔵「血を吐く」をめぐって

2024年05月28日 | 小説(国内)
   (「子をつれて 他八篇」谷崎精二解説 1952年刊)


上の岩波文庫(旧版)の表紙裏に、こういうコピーがある。
《貧窮と病苦の人間破産状況のなかに漂う詩情と飄逸味》
よくある葛西善蔵評といえる。
ついこのあいだ、「湖畔手記」の続編とみられている「血を吐く」を何気なく読んでいたら、つぎのような場面と遭遇し、あっけにとられ、心の底が冷えびえと疼いた。
400字詰めで20ページ前後のごく短い短篇である。

まず、つぎの冒頭が出色の出来。葛西善蔵の真の才能がキラキラ輝いている。

《おせいが、山へ來たのは、十月二十一日だつた。中禪寺からの、夕方の馬車で着いたのだつた。その日も自分は朝から酒を飮んで、午前と午後の二囘の中禪寺からの郵便の配達を待つたが、當てにしてゐる電報爲替が來ないので、氣を腐らしては、醉ひつぶれて蒲團にもぐつてゐたのだつた。
「東京から女の人が見えました」斯う女中に喚び起されて、
「さう……?」と云つて、自分は澁い顏をして蒲團の上に起きあがつた。
 おせいは今朝の四時に上野を發つて、日光から馬返しまで電車、そこから二里の山路を中禪寺までのぼり、そしてあのひどいガタ馬車に三里から搖られて來たわけだつた。自分は彼女の無鐵砲を叱責した。おせいはふだん着の木綿袷に擦り切れた銘仙の羽織――と云つて他によそ行き一着ありはしないのだが――そんな見すぼらしい身なりに姙娠五ヶ月の身體をつゝんでゐるのだつた。》青空文庫より引用

この出だし、おもわず舌を巻いてしまうほど、うまいですよね、いかがでしょう?
つづけて、つぎのシーン。

《それからの五日間、自分は朝から飯も食はずに酒を飮み、睡むり、そしてまだ醉のさめ切らないうちに湯に飛び込んで來ては、また飮み出す――そんなことを繰返してゐたのだつた。
 が、たうとう、おせいが來た翌々日、自分はまた朝から酒を飮んで、夕方、飮食物共だつたが、洗面器にほとんど三杯――殊に最後の一杯は、腐つた魚の腸のやうなものを、何の疼痛も感ぜずにドク/\と吐いてしまつた。その晩はほとんど昏睡状態だつた。夕方からの霰が、翌日は大吹雪になつてゐた。膏藥か松脂のやうな血便が、三四日續いた。それが止んだ自分にポカリとまゐるのではないかと云ふ氣もされたが、しかし無意識のうちに搜してゐたのかも知れない死場所としては、この山の湖畔はわるくないと思つた。田舍の妻子、おせいの腹の子のことで、おせいに遺言した。》(青空文庫より引用)

いわずもがなだが、あえて書けば、
《洗面器にほとんど三杯――殊に最後の一杯は、腐つた魚の腸のやうなものを、何の疼痛も感ぜずにドク/\と吐いてしまつた。》というあたり、自分のことなのに、よくもまあ、冷静に書けたものだとあきれた。

《「血を吐く」は「湖畔手記」の続編とも見られるべき短篇だが、作者のくだくだしい感想や、述懐が記されてなく、謂わば毒を吐き切った後の様なすがすがしい心境から素直な叙述を進めたもので、短いながら出来栄えからいうと「湖畔手記」に劣らない作品である。
(一部略)
五日間、朝から飯も食はずに酒を飲み続け、到頭血を吐いて倒れた葛西は、無意識の中に探してゐたかも知れない死場所として此の湖畔も悪くないと思ひ、ほほゑましい気持から合わせた眼瞼が熱くなるのを覚える。葛西は本当にあの時、あのまま死んでもよいと思ったのであらう、作者の和やかな諦観がこの作品の印象を清めている。》(本書220ページ)

谷崎精二は谷崎潤一郎の弟で、「奇蹟」の同人、迷惑をかけられた側である。
このころは社会保険も生活保護もなかったし、第一葛西は定職にすらついていない。

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