そんなに遠いところじゃないのにぼくにとってははじめて通る商店街を抜けて石造りの小さな橋を渡る。一台か二台のカメラを手にして あるいは首からぶらさげて。いったいなにを探しているのかわからないから仮に「昭和ロマン探訪」などといってみる。しかし・・・しかし ほんとうにそうなんだろうか?そんなもの訪ね歩いてなにになる?という思いが ぎざぎざした黒い形象をともなってこみあげてきたり緑色の巨象が横たわっているのが見えると錯覚したり尖った乳房をゆらして とても健康的な裸の少女がすれ違っていったり「止まれ!」の標識が点滅しながらまぶたの裏側にもぐりこんできたり佐野にある松葉食堂を出て見あげた空を現世を生きるものの悲しみがおおっていたり。
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ある朝目を覚まして庭に出ると空いちめんにうろこ雲がひろがっていた。
ああ もうそんな季節なのか・・・と思いながらきびしい残暑に地上の景物が茹だっている中を歩く。ぐたぐたと連続する真夏日。もうずいぶん長いあいだ雨が降らないため 花をつけたサルスベリや夏野菜がくたびれはててうらめしげに空を見あげている・・・のをぼくは見る。風土は ぼくのずっと外側にある皮膚なのだね。秋のはじまりをつげるうろこ雲の列島。さあ笑ってみよう 愉しいから笑うのではなく笑うから愉しいのだとわかるだろう。追憶の礫(つぶて)のように 小さな鳥の一群が横切ってゆく。その向こうのうろこ雲。
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いつも重たいネタが多いので、たまには軽くいってみよう♪このワンちゃんとは、数週間前、利根の河川敷を散歩していて、すれ違った。飼主は60代なかばくらいのおっさん。二匹をつれて河川敷でクサリを解いて、遊ばせていた。飼主からはずっと遅れ、道端でくんくん臭いを嗅ぎながらやってきて、こんなふうにして、Mikenekoさんと出会った。そして、振り返った。「おまえ、カッコいいぞ! いい犬だなあ」といったら、
こんな表情に。あれれ、これって、どう見ても笑っている(^_^)/~いつだったか、藤原新也さんとか、椎名誠さんが、笑う犬と出会ったエッセイをどこかに書いていた。人のよさ(犬のよさ)が、見たもののこころを、ふっと和ませる。こういう犬がいるのですねぇ。
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先日の「mixiはなぜつぶやきを優先するのか?」という日記に、たくさんのマイミクさんが意見を寄せてくれたのは、うれしい“誤算”だった。
しかも、コメントとして、読み応えのある、充実した内容なので、わたしも本気モード!つぶやきにフィルターをかけられる(非表示にする)ことや、つぶやきが、1ヶ月程度で消えてしまうことなど、今後mixiをやっていく上で、とてもとても大切な情報。わたしはここを写真や日記のいわば「保管庫」として使っているので、「つぶやき」が主体になることは、ありえないなあ・・・と、再認識。父親は十年日記をつけていて、あと2、3年で、その二冊目が終わろうとしている。書き込みのスペースは5行程度。大事なことだけを、記録していく。すると・・・たとえば、今日8月28日の10年間が、一望で把握できるすぐれもの。
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利根の河川敷を歩きながら萩のくれないの 花笑みと出会う。ヤマトやツバメなど地味なシジミチョウが吸蜜に訪れている。人間に生まれるのはなくそこいらの小さなシジミチョウに生まれていたらどうなんだろう?
「中下利根川において、秋彼岸のころ、鮭ののぼらんとするに先だちて、
白蛾おびただしく群し、上流に向かひて飛ぶ。日出でてのち死し水面布の如し。此(かく)の如き時は当年の漁(すなどり)多きを卜(ぼく)して盛んに漁具を備ふ」・・・という本の数行に迷いこみ 白蛾というものの名固有名詞に釘付けになっている。“はくが”って どんな蛾だろう?
数ページすすんでは またもとにもどる。
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このあいだ、あるマイミクさんへのレスを書いていて、「mixiはなぜつぶやきを優先するのか?」という疑問に対し、理由らしきものが思い浮かんだので、ちょっと皆さんのご意見をうかがってみたくなった。『mixiがなぜツイッター化したか、ずっと疑問におもっていたんです。それが今日、わかったのです(笑)。それは、たとえば、2人が2000字の長いながい日記を書くより、40人が100字つぶやくほうが、広告宣伝効率が高いからです。・・・というのが、わたしの推測ですが、どんなものでしょう』
マイミクさんの中でノリのいい方は、一日何本も、つぶやきを投稿しておられるけれど、mixiはきっと「にんまり」しているだろう。
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なぜこんな故事をもちだしたかというと、わたし自身が、これとよく似た経験をしたから。いや、正確にいえば、少し違うのだけれど(^^;)なかなかぴったりな四文字熟語や故事が思いだせないので、羮に懲りて膾を吹く・・・で代用しておく(笑)。ここ一週間あまり、BOOK OFFの棚に、ピリオド楽器系の人たちのレコードが置いてあるのが眼についた。そのうち、二枚を、ふとした気まぐれで買って帰り、一昨日、昨日で聴いたところ、これが予想外におもしろかった。それは、フランス・ブリュッヘンが率いる18世紀オーケストラのCD。ベートーヴェンのほうは、シンフォニー7番8番がカップリングされ、モーツァルトのほう . . . 本文を読む
この引用は、「新編名曲名盤300」につけられた、吉井亜彦さんのコメント。「当フルトヴェングラー盤」というのは、文中にもあるように、
シューマン交響曲第4番ニ短調のことである。“オーケストラの低弦が示す、どこまでも沈潜していき、深い意味を探りあてようとするすごさ”という表現にとても感心したので、冒頭に掲げた。誤解がないようにつけくわえておけば、わたしは楽器はなにも扱えないし、高校の音楽の授業程度の教育レベルだから、20年たっても、30年たってもステップアップできない初級者であり、無知蒙昧の徒だと考えている。しかし、いつのまにか、クラシック音楽CDがたまって、現在350~400枚といったところ。図書館から借りてきて、聴くこともある。そうしていつも、mixiの日記、gooブログにその感動を綴ろうと、悪戦苦闘するのだが、あまりうまくいったためしがない(^^;)
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こあいだ、日陰にできた小さな水たまりで、スズメやセキレイが水浴するのを観察できた。この連日の猛暑に辟易しているのは、われわれ人間だけではあるまい。ネコのテンちゃんも、植え込みの奥――湿気の多い、ほの暗い避暑地にこもりっぱなし。OTOUSAN BIKEに乗って撮影にいそしむという計画は、いまのところ無期延期で、エアコンが故障しているわたしのパソコン部屋は、現在33℃、湿度55%。汗がにじむ肌に、微風が心地いい・・というと、やせ我慢かな、だよなあ(^_^)/~とはいえ、この連日の猛暑がなければ、この時期、あらためてクーベリックやデュ・プレに出会えたかどうか?「禍転じて福となす」ん? ちと違うかなあ。今日はこのあと一本だけ仕事があるが、そのあと二連休を予定している。
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今日はジャクリーヌ・デュ・プレについて、ほんの少し書いておこう。
わたしはじつは、彼女のチェロによって、この楽器の真の表現力に目覚めた無知蒙昧の徒である。カザルスや、ロストロポーヴィチや、ヨーヨー・マも、それぞれにすごい天才なのだろうが、感動の質がまるで違う。彼女のチェロの魅力を、どんなことばで表現したらいいのだろう。そこで考えついたのが「呻吟する魂のしらべ」ということばだった。テクニックだけなら、デュ・プレ以上の演奏者はほかにいるだろうが、音が出てくる場所というのか・・・胸の奥底のようなところからしぼり出されるしらべの重みがまるで違うのである。なぜこんなことを書く気になったかというと、これまたYouTubeで、つぎのような動画を発見し、食い入るように見つめ、耳をすました、その結果である(^^;)
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