二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

小谷野敦「私小説のすすめ」 ~ぶっちゃけ本音トークを再読する

2024年06月29日 | エッセイ(国内)

■小谷野敦「私小説のすすめ」平凡社新書2009年刊

以前にも読んでいるから“再読”となる。
《このいわば「志の低さ」に辟易する人も多いだろう。わたしは、どちらかといえば、この後者》
著者には失礼ながら、2010年1月6日のBlog「二草庵摘録」にこう感想を書いている。
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d6760d02256e271d34a15ea2f35902b3

さきごろスタンバイさせてある在庫をひっくり返しているうち、意図に反して出てきた。
半分ほど読んで、中絶したかな・・・と思っていた(^^? ) 人の記憶は、そのくらいあてにならないものであ~る。

付録のオビにつぎのような惹句がある。
《才能がなくても書ける。
それが私小説。
その魅力を説き、
「書きたい人」に勧める、
挑発的文学論!》

この惹句、たしかに“当たらずとも遠からず”である。
ついでに目次も写しておこう♬
第一章 私小説とは何か
第二章 私小説作家の精神
第三章 私小説批判について 中村光夫、田山花袋に敗れたり
第四章 現代の私小説批判 大塚英志の場合
第五章 私小説を書く覚悟

読書の傾向が日本に戻ってきて、近代文学を読みだしている。ここが高校時代からの本来のわたしのフィールドなのだ。
平成が了るまで仕事をしていたため、本だけは多少集めたものの、じっさいにはたいして読めなかった(;^ω^)

2010年1月と比べると、単に14年をへてきた、というだけじゃない立ち位置の変化は隠しようがない。
今回もし星印をつけるなら、3ではなく、4ということになるだろう。しかもかなり5に近い4。はっきりいって評価が上がったのである。率直にいっておもしろかった。
《才能がなくても書ける。それが私小説》と惹句にはあるが、私小説なら安易に書けるわけではなく、エンタメやフィクションの作家と比較すると、別な才能が必要なのである。

葛西善蔵や太宰治、最近の作家でいえば、車谷長吉、西村賢太などを思い浮かべてみるがいい。
本編「私小説のすすめ」は、2006年の刊行なので、車谷長吉、西村賢太は数か所にわたってかすめて過ぎる(笑)。まあ、批判の矢面に立たされているのは主として田山花袋(ついでながら戦後では島尾敏雄「死の棘」、檀一雄「火宅の人」)であるが、中村光夫や平野謙が何回となく酷評したため、文学史的にどうしても有名になってしまっている。
本書では私小説が小説のなかの“鬼っ子”であることを小谷野さんは十分に意識し、擁護のため、大々的に論陣を張っている。

この論陣の張り方が、小谷野さんの批評家としての藝である。思いがけずポストイットを大量に挟み込んでしまったが、それだけおもしろかったということ。ことに「第三章 私小説批判について 中村光夫、田山花袋に敗れたり」は読み応え十分で、数か所拍手したくなったほど。



小池昌代さんとの対談「この名作がわからない」(二見書房 2019年刊)も「文学の闇鍋」として簡単な感想をUPしている。
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/a98082e879dbc01d39bcd00ca1b2f35a

友人の一人にいわせると、わたしめは「名作」ということばに弱いのだそうである(*^。^*)ニャハハ

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