二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「ノア・ノア」ゴーギャン 前川堅市訳(岩波文庫)

2010年08月13日 | エッセイ・評論(海外)
ポール・ゴーギャンといえば、ポスト印象派の有力画家として、わが国でもたいへんよく知られている。中学生のころ、はじめて買った画集が、ゴッホ。そのころから、ゴーギャンの名とその作品は意識の薄暗がりにずっとひそんでいた。印象派では、ゴッホを筆頭に、モネやルノワールが好きになり、上野の西洋美術館まで、所蔵品を見にいった。大規模なルノワール展が、池袋の西武美術館であったときも見学に出かけ、買ってきた複製画を東京暮らしのアパートの壁にかけて愉しんでいた。

しかし、ゴーギャンは、わたしにとっては、そういう風には、感情移入しにくい画家だった。彼をモデルとしたといわれる小説に、サマセット・モーム「月と六ペンス」があるが、あれも高校生のころに本は買ったものの、いまにいたるまで、読んではいない。
なんとなくわかりにくい、なぞめいた画家・・・むろん、だれにとっても、そういう画家が、ひとりやふたりはいるだろう。
ボストン美術館に収蔵されている「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」(1897-1898年)も、わたしは無邪気には眺めることができない。

ヨーロッパ文明に絶望し、野生への憧れのなかで生み出された絵画は、クロワゾニズムといわれ、対象の質感、立体感、固有色などを否定し、輪郭線で囲んだ平坦な色面によって対象を構成するとともに、イメージを象徴として捉え、絵画上での平面的な単純化を目指すものであった。

この「ノア・ノア」は、タヒチ語で「かぐわしい香り」を意味するという。
しかし、彼がはじめタヒチに見たものは。
『パペエテの生活は、すぐ私には重荷になってきた。そこは依然としてヨーロッパであった。私が脱れてきたと信じているヨーロッパそのままなのだ。植民地風の軽佻な空気、滑稽にさえ思われる幼稚にして奇怪な模倣が、今もなお次第に悪化していく国なのだ。わたしがこんなに遠く、遙かにさがし求めてきたのは、こんなものではなかった』(本書10ページ)

その地に溶け込もうと考えたら、現地の女性と結婚するのが早道。彼はある女性から娘をもらいうける。そうして、タヒチでの生活がはじまり、彼は彼らしいやりかたで、その娘を愛するようになる。
旅行記というより、このあたりは、タヒチ人との生活記録であり、愛のくさぐさをかきとめた日記に近い。そこがおもしろいのである。
しかし、ゴーギャンは、この第1回のタヒチへの旅で、そこに骨をうめるつもりはなかった。フランスへ残してきた家族。そして、フランスの画壇において認められたいという野望。

フランスを出発するにあたって、彼のこころは涸渇し、精神は崩壊の寸前にあったようだ。妻子を捨ててまでタヒチに渡るとは、いくら芸術家の魂に憑かれた人間とはいえ、容易なことではなかったはず。
『消えた火を再びかきおこし、すっかり灰になった中から、もう一度火を燃やすのだ・・・』(本書14ページ)。
彼の事実上の妻となった現地の女チチが、彼に生命と分かちがたくむすびついた、野生の愛を教える。この島においては、金銭など、何の役にも立たないという生活が衝撃をもたらす。「金銭は、自然から生産される必需品を得るのになんの役にもたたない」と。
しかし、ここでまた貧困、病気に苦しめられ、現地妻にも逃げられてしまう。
彼はフランス社会に舞い戻ってくる。

本書は前半がとてもおもしろい。
自分はタヒチに溶け込み、そこで真の人間性を回復できる・・・と信じようと懸命になりながら、しばしば自信がゆらぎ、女に救われ、それからまたある日は疑心暗鬼にさいなまれる。

ノア・ノア・・・かぐわしい香り。それは生涯手が届かなかったにもかかわらず、「すぐそこ」にあった悩ましき幻影なのである。



評価:★★★☆(3.5)

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2 コメント

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Unknown (VIN)
2010-08-16 15:15:56
『ノア・ノア』おもしろそうですね。
ゴッホの評伝『炎の人ゴッホ』に登場するゴーギャンの人間性が興味深く評伝があれば読んでみたいと思っていました。
ゴッホが画家たちの共同の家「黄色い家」をアルルに作ったとき招きに応じてアルルに行った画家はゴーギャン1人だったというのをみてもゴーギャンのジプシー性を感じました。
2度目に行ったタヒチでの生活も不幸で悲惨な一生だったようですね。
でも死の2年ほど前に絵が売れ出したゴーギャンはゴッホやモディリアニよりまだ幸せだったかもしれませんね。
狷介・孤高 (syugen)
2010-08-19 13:36:39
VINさん、コメントありがとうで~す(^^)

VINさんに影響され、岩波の「月と六ペンス」を買ってきて読みはじめたのですが、
第1章から3章あたりまで、モームが長広舌をふるっているんですね(^^;)

あれでうんざりして、投げ出したままです。

狷介かつ孤高の画家。
ゴッホもゴーギャンも「我執」(古くさい表現ですが)の塊ですね。

「ノア・ノア」はかなり断片的なエッセイor日記なんです。ただ、ドキュメンタリーとしてのおもしろさはあります。

「月と六ペンス」はまだ持ち歩いています。
そのうち、読みます(笑)。

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