二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

決定版葛西善蔵論  ~YouTubeチャンネル

2024年05月31日 | 小説(国内)

https://www.youtube.com/watch?v=gmqNyuipogw

「何か分かりづらいチャンネル」
このタイトルが意味するものが、どうもわかりづらいが、番組としてみた場合、お見事というほかあるまい。
葛西善蔵の小説からの引用は、まことに的確。
この番組の制作者は何者だろう・・・と、気にかかって仕方ない(。-ω-)

葛西善蔵と嘉村礒多。
人間がいかに、どのように愚かしいかずばり、ずばり鮮やかに示す・・・その切り口。
いろいろな意味で、小説の背後には、本物の血が流れている。

私小説、ことにこの数か月“破滅型私小説”が、ぐりぐりと胸に突き刺さる。

《 山の上の部屋借りの寺へ高い石段を登り降りして三度々々ご飯を運び、晩は晩で十二時近くまで私の永い退屈な晩酌のお酌をさせられる――雨、風、雪――それは並大抵の辛抱ではなかつた。それが丁度まる三年續いた。まる三年前の十二月、彼女の二十歳の年だつたが、それがあと半月で二十四の春を迎へるのだつた。その三年の間、彼女は私の貧乏、病氣、癇癪、怒罵――あらゆるさうしたものを浴びせかけられて來た》青空文庫から引用

葛西は、しらばっくれているようだが、油断することなくおせいのことを見ている。葛西と出会ったのはおせいの運命であった。そのあと、何年ともにすごしたのか?
「おせい」は、「血を吐く」と同様、2~30枚にも足らないほど短い小説。しかし、丁寧に目配りされているし、一語一語の日本語が生きているのは見事。

《「あなたさへつれて行つて下さるなら、私はどこへだつて行くわ。お婿さんなんか私は要らないわ……」と、おせいはいつもの相手を疑はない調子で云つた。
「行かうよ。いつもの通りあの鞄を持つて、魔法壜を肩にさげて……」
 どこへ出かけるにも、おせいは私の藥を飮むための用意の魔法壜を肩にさげさせられた。さうした背丈の低い彼女の姿を、私は遠い郷里の山の中へ置いて、頭の中に描いて見た。》青空文庫から引用

19歳で葛西と出会い、24歳までつきあってきた。この葛西が描くおせいの姿は、読後忘れることができない。
彼女は正式な妻ではなく、“愛人”なのだ。
「血を吐く」では、おせいは妊娠5か月なのに、がたくり馬車で、葛西のいる中禅寺湖畔までやってきた。
「何か分かりづらいチャンネル」は、そのあたりを腑分けしてみせているのが、強く記憶に残る。
なぜだろう、なぜこんなに哀切なんだろう。本物の手ざわり。
つい・・・目頭が熱くなった。
鎌田慧さんの「椎の若葉に光あれ: 葛西善蔵の生涯」 (岩波現代文庫)は読んでおく必要があるだろう。

葛西善蔵の周囲を、伊藤整、平野謙などの批評家をふくめて、しばらくは目が離せないな。




※今回も青空文庫のお世話になりました。ありがとうございます。

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