回顧展は、いよいよ第4回目。ほんとうはわたしは人物スナップがメインだとおもっているのだが、例の肖像権問題があって、かなり神経を使っている。田中長徳さんの本を読んでいたとき、日本とフランスが、この肖像権についてはうるさいという記事を見かけたことがあったが、はたしてどんなものだろう。つまらない「盗撮事件」を起こすような連中が撮っている写真と、カルチェ=ブレッソン、ロバート・フランク、ウィリアム・クライン、リー・フリードランナー、エリオット・アーウィットのスナップショットを混同するなんて、とんでもない!!
わが国では、土門拳、木村伊兵衛からはじまって、かの森山大道、荒木経惟へと、スナップショットの伝統は脈々と流れうずまいてきたのである。
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「草木図譜」がアルバムとして独立したのは、2011年2月14日。
しかし、それ以前から、木や花や草の写真は、折にふれて撮影してきた。
われわれ動物とは生存の戦略がまったくことなるこれらの生命は、被写体として捉えようとすると、なかなかに手強い。
いわゆるジャンル写真にするのではなく、野心としては「純文学」志向とでもいったらいいのか、キレイなだけの花写真から脱出したいという、ひそかなもくろみがあって「草木図譜」という、素っ気ないタイトルを選んである(^^;)(1)切り株の歳月
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この「夜への階段」が、mixiアルバムでスタートしたのは、2010年12月23日。
しかし、その前に「夜を歩く」という前哨戦があり、これは2010年10月28日の日付をもっている。
この日付がなにを意味しているかというと、わたしのところへ、LUMIX LX5がやってきたことと関係がある。
それまで昆虫写真ばかり撮影していた三毛ネコさんが、LX5を手に入れたことで、世界へ向けるまなざしが変わったのである。それまで使用していたニコンD80や、キヤノンIXY900ISとは違った写真が撮れることに、購入直後に気がついた。
そして「夜撮り」がはじまった。
(1)街道筋のたそがれ
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2011年は街撮りをはじめたこともあって、ほんとうによく写真を撮って歩いた。40年近い写歴を振り返ってみても、こんなに写しまくった一年はないかも知れない。フィルムカメラの時代に、写真集を作成しようとおもって、休暇のたび、渋谷や原宿、新宿へ通って、たくさんの写真を撮りまくった。そのピークは19996年あたり。撮りためたコンタクトをもとに、翌1997年に、モノクロ写真集「PERSONAL LIRATION」(個人的な関係)を、地元の新聞社から自費出版した。あれからはや15年が経過し、時代もわたしも、デジタル新時代の大きなうねりの真っ只中にいる。
あの時代には気負いがあったが、撮ってすぐにその場で画像が確認できるデジタルの気楽さによって、その種の「気負い」もうすらいでいる。
満足のいく写真が撮影できたときの悦びは、なにものにも代え難いものがある。すべての写真から、たとえば2011年のベスト5を決めるのは、わたし的にはとてもむずかしいと判断したので、ジャンル別に「私的ベスト5」を作成することにした。
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人はおそらく、こころの薄暗い奥底に、女性なら少女が、男性なら少年が住んでいる。普段生活に追われ、せかせかした日常を過ごしていると、それは深い忘却の淵に沈んでいる。ところが、なにかきっかけがあると、糸の切れた風船が空に舞い上がるように、あるいは、沼から水泡が浮上するように、表面へ姿をあらわす。幼児性ということばがあるが、これは、現実には否定的な意味合いで使われることが多い。「甘えがある。幼児性をひきずっているから、いつまでたっても独り立ちできない」というふうに。わたしがここでいう、少年性、少女性は、そういった価値判断はほとんどふくんでいない。たとえば、トップの一枚。
自転車に乗ったひとりの少年が、片足をコンクリートのポールにかけて、なにものかを待っている。
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そのころ時折出かける雑木林を歩いていたら、奇妙な植物と出会った。
上の写真がその「奇妙な植物」・・・タマゴタケ。
それまで、栽培したシイタケか、マツタケ、シメジやナメコくらいしか知らなかった三毛ネコさんは、ふと足を止めて、遊歩道のかたわらからニョキッと顔を出したタマゴダケにたちまち魅入られてしまった(@_@)
これは食べられるのか、食べられないのか・・・きのこに関する知識はかぎりなくゼロに近い。
まあ、証拠写真のつもりで、数カット撮影して、また遊歩道を歩いていくと、あっちにも、こっちにも、タマゴタケが自生している。
それをきっかけに、周辺を歩いてきのこを探してみた。
可愛らしい男の子のオチンチンみたいなやつがある(笑)。
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昨日は気ぜわしい一日だった。
1)わたしが孤独死第一号を心配していたWさんの、千葉県M市に住む老母から、朝一番に電話。「昨日、あれのところへいったら、部屋の中に倒れていたんだよ。だから、だから、次男のクルマで、こっち(千葉県M市)へつれて帰り、入院させた。かなり具合が悪くてねぇ。意識不明。助かるかどうか、まだなんともいえないそうだ。部屋の中はまだとっ散らかったままだけどよぅ、1月末までには、片づける。いろいろと世話になっちまって。ありがとうねぇ」やれやれ。やれやれ・・・。Wさんは60歳をすぎた、年金生活者。軽度の知的障害があり、とても一人暮らしにたえられる人ではなかった。朝から酒くさい臭いをさせ、部屋の中は、まさに芥溜め(=_=) わたしは甘っちょろいヒューマニストではないが、まあ、そこそこに、Wさんをアシストしてきたのだ。
深い、ふかいため息。孤独地獄の一丁目だか、二丁目から帰ってはきたが、はたして余命いくばくか・・・とおもうと、ため息しか出ない。 . . . 本文を読む
今日は近隣の行事があったので休みをとったが、まるで冷蔵庫の中にいるように寒い。
十分着ぶくれていったつもりだが、しばらくじっとしていたら、足先から冷えがよじのぼってきた。お天気はまずまず。日向に駐車しておいたので、クルマにもどったら中はホーカホカ(*^_^*)正午すぎに行事から解放され、近所の大衆食堂で、熱々のにこみうどんを食べたら、鼻水ぽたぽただった_(._.)_
日本列島が、強烈な寒波におおわれている。
雪国はことしは雪が多くてたいへんだなあ。雪下ろしなど経験がないし、寒がりの三毛ネコさんは、想像しただけで、ぶるぶる、ぶるぶる、ぶる(^^;)この寒さでは、腹巻きし、ホカロンでもしのばせておかないと、とてもカメラ散歩どころではない。・・・といいつつ、神社の庭園をのぞきにいったり、ビックカメラやキタムラで、新製品をチェックしたり。
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『武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当(あて)もなく歩くことによって始めて獲(え)られる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随処(ずいしょ)に吾らを満足さするものがある。これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野を除いて日本にこのような処がどこにあるか。』・・・国木田独歩「武蔵野」より
この一節は「武蔵野」のなかでも、とくに有名な一節で、よく引用される。“武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない”
その通り・・・だとわたしはおもう。
ほんとうの「街歩き」は、地図を捨てるところからはじまる。
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もうずいぶん長いあいだ、カメラ雑誌の愛読者をしている。
たまってしまった雑誌のバックナンバーは、雑誌をバラし、スクラップ帳に再編集する。かつて、4、5年分のバックナンバーを、10冊ばかりのクリアファイルに、ファイルしたことがあった。70年代の終わりころか、80年代のはじめころ、昔むかしの話である。わたしが愛読者をしてきたのは「アサヒカメラ」「日本カメラ」の二誌。「風景写真」「キャパCAPA」「デジタルカメラマガジン」にいくらか浮気したことがあったけれど、情報量の多さ、メカ記事の読み応えなどで、やっぱりこの二誌にもどっている。毎月20日は、カメラ雑誌の発売日。マイミクあっきいさんは、昨夜のうちに雑誌を手にし、内容チェックをすましてしまったようだけれど(^_^)/~
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