二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

街がキラキラ輝いていたころ ~90年代の原宿そして前橋

2015年06月28日 | Blog & Photo
わたしはこれまで二度、ストリートが異様な輝きにつつまれた時代を知っている。
はじめは70年安保闘争をはさむ数年間、二度目は90年代の後半5-6年間である。
若者たちの造反。
それが新カルチャーとして、周囲によきにつけ、悪しきにつけ、大きな影響を及ぼした時代だった。
しかし、それらは大雑把にいって、政治的な保守層や公序良俗を旗印としたおとな文化に、次第に窒息させられていった。
ストリートは既知の退屈な光に満たされ、エネルギッシュな、創造力をもった若者たちはどこかへと消えてしまった。わたしは彼らに「悪」があったとは思わない。あったとしても、たいした悪ではなかった。圧殺された若者文化は地下にもぐり、眼に見えにくい形に姿を変え、オタク文化が栄えるようになっていった。

わたしがカメラをもって立ち向かったのは、90年代の原宿。
関越道を突っ走って、新宿まで走り、そこから渋谷、原宿へと通った。そんな撮影行が、4-5年はつづいたろう。

はじめは前橋。
七夕祭りや前橋祭りともなると、ロックンローラーを踊るお兄ちゃん、お姉ちゃんで、中心街がにぎわった。





むろん、高崎でも同じ。
大人たちは遠巻きにしながら、野次馬として愉しんでいた。
なぜそうなったのだろう?
やがて催しは届け出制となり、ローラー族はイベントから締め出しを食らうようになった。
そして旧態依然たるじいちゃん、ばあちゃんの盆踊り大会や、歌謡ショーばかりという、金太郎飴みたいなものだけが開催されるようになった。









こちらは原宿。
ホコ天ではコスプレ族が目立ちはじめ、わたしのようなおっさんカメラマンが、彼ら彼女らの「追っかけ」をやっていた。
わたしはそういう熱心な追っかけではなかったけれど、写真集をつくる目的で、原宿通いをした。デジタルカメラは発売にはなっていたけれど、まだ初歩的な記録装置にすぎなかった。わたしがはじめてフジのデジカメを買って主として仕事でつかうようになったのは、2002年か3年のことと記憶している。

だから、趣味としての写真はリバーサルで撮影し、フィルムスキャナでスキャンしていた。
すでに15年20年が経過しているので、「全体に公開」としても、被写体となって下さった方々にご迷惑がかかるようなことはあるまいとおもう。


写真にキャプションはつけない。
説明のいらないものばかり・・・だと、わたしはおもっている。
ああ、すごいな。キレイだな。カッコいいな、セクシーだな・・・「褒め称える」ために、わたしは写真を撮っている。
キラキラ光る夢のカケラが舞っていた解放区は消えてしまった。この若者たちは、いまどこで、なにをしているのだろう。

まだストックがかなりあるから、いずれ気が向いたら、第二弾をスキャンUPしよう。



※mixiアルバム「Reversalスキャン 1995~2001年」はこちら♪
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000096033724&owner_id=4279073
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