虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

調べ学習にチャレンジ♪ と 「会話」の話

2018-08-12 22:06:24 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

わが子が小学生だった頃、もっとも大切にしていたのは、

ワークをさせることより、何かを教えるよりも、まずよく「会話をする」ことでした。

 

マンガを読んだり、テレビゲームをしたり……

子供たちは自由に過すことが多かったので、していることの質はどうか…?

というと実に怪しい時もありました。

 

しかし、子どもが、「どうかなぁ…」と思う遊びに傾倒しているときも、

その内容について親子で深い部分まで掘り下げて討論するようにすると、

それはそれで、子どもにとって、いい成長をもたらしてくれたように思います。

 

小学校中学年頃、娘の場合、きちんと机に向かうことも多かったのですが、

息子はとにかくゲームをすることが好きで、

今日のところは勉強には目をつむっておこう……という日も よくありました。

そこで、ワークをさせるかわりに、息子の大好きなゲームについて語り合ったり、

調べたりしました。

当時、私は、娘や息子の言葉をできるだけそのまま記録して残しておきたいという

思いがありました。そこで、日々の出来事や家族会議の様子を会話を中心に

書き残していました。(原稿用紙にして何百枚……。)

その頃は、あまり深く考えずしていたのですが、

今になると,その時期その時期の 心や知能の成長の記録として大切な宝物に

なっています。(乳幼児を育てている方も、写真だけでなく、おしゃべりも

記録しておいてあげてくださいね。)

 

それで、この調べ学習というのも、息子と私が、ひとつの疑問について会話を

膨らませていった過程の記録が中心になっています。

 

息子が小4の時の家族の会話です。家族でゲームをしているとき、

息子が、どうして将棋ばんは、9×9マスなのか?ということに疑問を持ちました。

 

息子 「チェスもオセロも8×8マスなのに、どうして…

将棋はなんで…9なんて2つに割れない中途半端なマス目をしているんだろう?

戦うとしたら、領土がきちんと半分ずつ分かれた方がいいんじゃないかな?

不思議だ。」

 

母「もしかして他の国の領土に侵入していくような戦い方をする人々と、

決闘場をもうけて戦ったとか?将棋がどうやって生まれたか知りたいわ。」

 

父「奇数っていうのは、覚えやすいからだよ。きっと。」

 

息子「覚えやすいって?」

 

父「将棋のこまの位置を暗記して、頭で動かすとき、偶数より奇数の方が

ごちゃごちゃになりにくいと思うよ。」

 

数日後 なにやらひらめいた息子。

 

息子「9は3で割り切れる数でしょ。自分の陣地、相手の陣地、中心の戦いの場が、

まったく同じになるんだよ。それから、オセロが64マスなのは、

こうじゃないかと思うんだ。

オセロは黒と白の多さで決着するから、マスは偶数でなくちゃいけない。

でも100マスでは多すぎる。

次に小さいマス(でちょうど良いのは…)は8×8の64なんだ。」

 

父「それは、おもしろいアイデアだ。」

 

母「本当によく思いついたね。うちの家族は、推測したり仮説を立てたりするのは

好きだけど……。そう、実験するのもすきだよね。

でも、きちんと理由をたしかめて、くわしく調べることはめったになかったでしょ。

今度、図書館を使った「調べる」学習賞コンクールっていうのがあるらしいから、

納得がいくまで調べてみない?」

 

息子「ぼくは、ずっと前からさいころがなぜ6までなのか、

トランプがどうして52枚なのかと不思議に思ってきたし、ゲームと数の秘密について、

もっと知りたくなった。チャレンジしてみるよ。」

 

…という会話からスタートした、調べ学習でした。

で、調べる段になって

息子「ぼくの考えは仮説だから、本当のことをしらべてみなくちゃってお母さんは

言うけど、本にのってることも仮説の場合があるんでしょ。

いろんな人が、いろんな別の仮説を立てている場合とか…。

大昔のことなんて実際見た人いないんだもん。」

 

母「でも、思いつきの仮説とたくさんの事実にもとづく仮説は、別物よ。」

 

息子「ぼくさ、さいころってだれがつくったか不明だと思うよ。

昔の人が、石ころころがして表とか裏とかしていて、自然にさいころになったのかも。

だから、本当に作った人とかいるのかな?」

つづく。

こんな風に、小学校時代は、勉強させるより、

いっしょに会話を楽しむことが多かったです♪今になると、

かなりプラスになっている気がします。

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調べ学習のヒントになるかと思うので、少し続きを書きますね。

息子といっしょに調べ学習をする時、私たちは、本を見て表にまとめるのではなくて、

最初に「表の枠」を作って、あとから本を調べながら整理していきました。

そうすると、表に空白ができて、きれいに仕上げることは、できません。

いくら調べても、資料がないことも多いからです。

しかし、その空白が好奇心を刺激し、たくさんの本に接する機会を作ってくれました。

もしこれが、すぐれた資料をただ整理し、要約する形でまとめていたら、

調べが、わくわくする体験にならなかったのではないでしょうか?

はじめに、インドの象棋(しょう棋は、インドで生まれたそう。

ただ、日本では象に乗って戦う習慣がないので当て字の将がつかわれたのだとか。)

チェス

中国象棋

日本の将棋

のマスの数、図、ルール、ルーツ、特徴について、表にまとめました。

そこで、息子が驚いたのは、9×9マスは、

日本人が考えたとばかり思っていたのに、

子ども用の中国象棋で7×9マスの写真を見つけたことでした。

息子との会話の中で、

東洋的な考え方から、マスに奇数のアイデアがもたらされたのではないか?

という新しい仮説が生まれました。東洋の過去の「家」制度からいっても、

チェスのように女王が戦場に出てくるゲームは受け入れられなかったのでしょうか?

つまり、チェスのようなゲームから、女王が除かれて 奇数になったのか……??

そう考えるうち、何時代に将棋や囲碁が日本に入ってきて、

どのように遊ばれていたかを調べないと、こんがらがってきました。

そこで、息子は、はじめて「歴史年表作り」にチャレンジしました。

そうして進んだ調べ学習は、さいころのなぞに取りかかり始めたとき

最高にわくわくするものになりました。


当時の息子の作文です。
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「さいころのすごいなぞ」 4年○組○○○○
図書館でとりよせてもらった本は大人向けの専門の本だった。
けれどびっくりするような写真がいっぱい載っていて、ぼくは夢中になった。
一番驚いたのは、紀元前8世紀のアッシリアのさいころ。
他の資料では、ずっと、後になっても、
ぼうの形や動物の骨のさいころを使っているのに、
なぜかこんな昔に立方体のさいころが。
おまけに絵のさいころじゃなくて、今とおなじ玉の数を
あらわしている。写真をじっと見ていたら、横の面に大きな穴のようなものが見える。
なんだろう。
「この数なんだろう。」とお母さんが言ったので、
ぼくは急いで自分のさいころを持ってきて、
面と面をくらべてみた。
4のはずだ。
でも、穴はひとつみたいだけど。
「昔のサイコロは、今とおなじ玉の位置とは限らないよ。」と
お姉ちゃんが言った。
ぼくは、さいころのなぞを考えるのが、おもしろくておもしろくて、
こういうことを調べる学者さんになりたい、
と思ったくらいだった。
でも前からなりたかったゲームをつくる人になる夢も捨てがたい
ので、「将来はゲームをつくる人になって、参考のために、
そのなぞを調べたりする人になりたい。」と言った。
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うちの息子は、何をするにも、たらたらぐずぐすする性格で、
宿題に取りかかるのも、明日の準備をするのも、とにかくあとまわし…。
ねころがってゲームの攻略本を何時間も眺めていたり、
休みになると食事に帰るのも忘れて遊びほうけていたりしました。
1つくらいは習い事をさせたいと思っていたのですが、小学校の6年間、
頑固に拒絶して、何もせず……。
それでも、こうした作業をいっしょにしてみると、
そうした子の中に広がるイマジネーション溢れる世界に触れたような
心地がしました。
それぞれの子に、それぞれの個性……わが子もその通りです。
 

 

おでかけ先の電車のなかで楽しめる 静かな遊び♪

2018-08-12 22:01:23 | 通常レッスン
コメント欄で次のような質問をいただきました。

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夏休み、電車や車に乗る機会が増えます。
長距離になると、やはり退屈になるようです。
         (5歳息子、3歳娘)
電車だと1番前の車両に乗って運転席を見たり、パンフレットをみて話をしたりします。
車だと、時速何キロかあてるゲーム、トンネルが何キロあるかゲーム、しりとり、歌をうたったりしていますが、「こんなことをしたら楽しいよ」というアイディアがありましたら、教えてください。
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電車や車のなかで、言葉遊びばかりだと退屈してくるときがありますよね。
子どもはやはり、目で見たものから
強い刺激を受けて、喜びを得ます。
周囲に迷惑にならない形で、創作遊びをする方法を紹介しますね。

ハンカチタオルと輪ゴムで折り紙遊びをするのです。

ハンカチタオルは適度な分厚さがあるので、
くるくるまるめるだけで、ねんど遊びをしているとうな
楽しさが味わえるのです。

そのままくるくる巻けば、『巻き寿司』

半分に折ってからくるくる巻いて、輪ゴムでとめれば、
『カップケーキ』

三角に折っていけば、サンドイッチができます。

「お出かけだから、お弁当作ろうね」と言いながらいろいろ作ってみるのも
楽しいです。
もちろん、ハンカチで作るといえば定番の『バナナ』なども、
皮をむくシーンで、子どもは大喜びです。

キャンディーの包み紙や、ティッシュを丸めたものを、
小さなお人形に見立てると、

ハンカチのお部屋や広場で、かくれんぼ遊びをしたり、(端を折り返して
隠れる場所を作ります)
ハンカチの中央に作ったくぼみに落として、
落とし穴に落ちた子を助ける物語などして遊べます。
ハンカチをゆすると、波がおきて、海になります。

ゆびで、ハンカチをくるくるかきまわす真似をすれば、『洗濯機』
取り出して。干して~とまねっこでする遊びも楽しいです。

できるだけ小声で、周囲に迷惑をかけないように、
ゆったり遊ぶのも、
子どもにすれば、ワクワクして楽しい経験です。

一枚のハンカチタオルにどのような可能性があるのか、
子どもといっしょに探求してみてくださいね。

輪ゴムはなくても良いのですが、輪ゴムがひとつあるだけで、人形やぬいぐるみのくびれになったり、ケーキをとめることができたり、
すごく重宝しますよ。

やどかり用迷路

2018-08-12 13:03:51 | 通常レッスン

小3の★くん、☆くんと、おかやどかりの能力を測るための実験方法について

話あいました。

生き物ですから、できるだけ負担がない形で、

どんな能力を持っているのか調べる方法はないかと意見を出し合っていたら、

★くんが「迷路を作って、脱出できるか調べてみたい」と言いました。

わたしはやどかりと光の関係を調べたかったのですが、それはまたの機会に。

 

★くん、☆くんのふたりで写真のような迷路を、こしらえていました。

入り口から出口までぐるっとひとまわりしなくてはならない上、だんだん状の障害物もありますから、

「これはいくらなんでも無理じゃないの?」と

まさか完走するやどかりがいるとは誰も思わないまま、

3匹のやどかりを入り口に置いて、外からふさぎました。

 

すると、しばらく丸まっていたやどかりは、次第に活発に動き出して、迷路の中へと入っていきました。

そして曲がり角も障害物も何のその、数分で出口に現れました。

途中で引き返したやどかりは1匹だけで、後の2匹はらくらく完走。

 

やどかりたち、高い壁に上るときは、、何段かに重なってお互いを踏み台にして乗り越えるんですよ。

能力、高いですね。

 


「20円損するかどうか」の推理対決の結果

2018-08-10 20:08:27 | 子どもたちの発見

スカイプで、娘から

自由研究ゴーゴーって番組が虹色教室(笑)

と画像付きでコメントがきました。

 http://amass.jp/107340/

 

ユースホステルで夕食を食べ終わった時のこと。4年生のAくんが、

食堂内の自動販売機に貼られたこんな張り紙を見つけました。

「10円玉のつり銭が切れておりますって言っても、

本当に1枚もないってことじゃなくて、

もうすぐ10円がなくなりかけているから、できるだけ10円玉を使って

購入してくださいって意味じゃないかな?」

そんなことを話していました。

 

というのも、その日の算数のレッスンで、

「13日から18日までの間は何日あるでしょう?」

という問題で、ここでいう間は、13日と18日というふたつの日の間にある

14,15,16,17日の4日のことを指しているのではなくて、

13日と18日も含まれているという話題が出て、「間という言葉があったって、

その言葉が何を表しているのかしっかり読み取らなくちゃならないね」

と話しをしたところなので、

「切れております」って言葉を言葉通りに受け取っちゃいけないぞ、と考えていたのです。

「でもさ、自動販売機の10円の絵の下のランプがついてるよ。これって、

10円玉がなくなったってことだよね」とAくん。

 

すると、3年生のBくんが目をまんまるにして、

「ええーっ、じゃぁ、200円を入れて、

130円のジュースのボタンを押したら、70円も損するってこと??」

と声をあげました。

「えええー!!それって大損じゃん!」と他の子らも騒ぎ出しました。

それを聞いたわたしが、

「どうなるのか知りたいよね。うーん、それなら、先生が

今回は特別150円出すから、20円のおつりが出てくるのか、

出てこないか試してみよう」と提案すると、みんな大はしゃぎでした。

 

20円を損するかもしれないという世紀の一瞬を見逃しては

なるものかと子どもたちがぞろぞろ集まりました。

 そこで、推理対決。

「つり銭がない、ということは、つまりつり銭が少なくなっているという意味で、

20円は出てくる」という子。

「文字通りつり銭は出ないので、20円、損する」という子。

「ジュースは買えずに、100円玉と50円玉が、そのまま、おつりのところに

出てくるんじゃないかな」という私。

「先生、この世紀の一瞬を見逃したらだめだから、

カメラカメラ!部屋に取りに行こうよ」とAくんにうながされ、

カメラをとってきて、ついに、150円を投入しました。

 

すると!!!

もう、一同が唖然とするような結果となりました。

 

なんと、自動販売機が、100円玉と50円玉が投入されたことを認識し、

つり銭のいらない100円のドリンクのボタンだけが光り、

130円のドリンクのボタンの光が消えたのです。

「自動販売機かしこい!」

「自動販売機えらい!」と一同大喝采。

それは大盛り上がりで、「10円と50円をどうやって見分けているんだろう?

重さじゃないかな?中に量りがあって、重さで、

お金の何が入ったのかわかるんじゃないかな?」と

話しあっていました。

 

子どもたちがアクアビーズで氷の結晶の分子模型を作りました。

 

炭酸ナトリウムの結晶を作りました。


「子どものころにどんなふうに育てられたかが、その後の人生を決めている」という言葉 3

2018-08-10 11:57:51 | 子育て しつけ

過去記事です。

 

小1の子たちの作品。「カップ式のジュースの自動販売機」

3人で協力して作っていました。

 

『学びの物語の保育実践』 (大宮勇雄 ひとなる書房)

という著書で次のような

興味深い話を目にしました。

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アメリカのキャロル・ドウェックが「学びに対する内発的な意欲」の姿を明らかにする

ためにこんな実験をしました。

4歳児に4題のパズルを解かせ、最初の3題は

4歳児には難しい全員解答不能となるものにし、

最後の1問は全員が解ける結果になる

ようにしたそうです。

 

それが終了した後で、やったパズルのなかでどれか一題を自由に選んで

もう一度解答するように促します。

すると、解けなかったパズルを選ぶ子と

全員が解けたパズルを選んだ子にほぼ半々に分かれる結果になりました。

 

次にそれぞれの子になぜそのパズルを選んだのか理由をたずねました。

 

すでに解答できたパズルを選んだ子は、「簡単」「できるから」「失敗しないから」といい、

むずかしいパズルを選んだ子らは「くやしい」「こっちの方がおもしろい」「時間があれば今度はできるはず」

などと答えたのだとか。

 

こうした選び方には困難な課題や解決法がわからない事態に対する

各人の立ち向かい方の傾向が現れているとドウェックは言います。

 

簡単なパズルを選んだ子どもの場合は、「正答できるという結果」を求めて

行動しているので、こうした立ち向かい方を「結果志向」と名づけています。

 

他方、後者の子らは困難や不確かなことに挑戦することそれ自体が

おもしろいこと、価値あることと考えています。

人間は一段難しいことにチャレンジするなかで、はじめてさまざまなことを学んでいくものですから、

このような子らは知らないうちに「学びと成長」に向けて行動しようとする

能動性が育っているといえます。

この立ち向かい方を「学び志向」と名づけます。

このふたつの志向はだれしも持っているでしょうし、どちらも必要でしょう。

 

しかし、学び成長する機会、すなわち難題や新しい事態に直面したときに

「結果」と「チャレンジすること」のどちらに重きをおいて行動をきめるかは個人差があり、

それが普段の行動に影響を与えているようです。

ドウェックが、難しい問題を解くときにどんな気持ちか話しながらやってもらう実験では、

結果志向の子は「とても解けそうもない」と悲観的な見通しを口にすることが多く、

学び志向の子は「きっと解けるよ」と楽観的な見通しを持っていたそうです。

                  『学びの物語の保育実践』 (大宮勇雄 ひとなる書房)の一部を少し短くさせていただいて引用しています。

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「結果志向」は、大人が子どもを褒めたり、失敗を責めたりする

「評価的対応」をすることから生じるようです。

 

「結果志向」の子は、友達が小さな失敗をすると、強く非難し、

「学び志向」の子は、友達の失敗を目にすると、その原因と解決法をその子と

いっしょに考える行動を選ぶのだとか。

 

その部分を読んで、虹色教室でグループレッスンを受けている子らは

「圧倒的に学び志向の子らが多いな」とも感じました。

 

行き当たりばったりで適当にやってきた自分の子育てを振り返ると、ひとつひとつの選択は

よかったのか悪かったのかいまだに答えがでないものがほとんどです。

その都度、とりあえず親として悩んだり迷ったりしたものの、

甘いのかゆるいのか、

結局全てにおいて、子ども任せ、本人の心が求めるものに

譲ることになっていました。

 

そうしてみて感じるのは、子どもを大人の評価に染めずに

本人の選択や判断を信頼してさえいれば、

「学びと成長」に向けて行動しようとする

能動性だけは飛びぬけてしっかり育ってくるということです。

「学び志向」とは、子どもが本来持っている自然なあり方なのだろうな、と思います。

 

『賢者の石』のなかでコリン・ウィルソンがこんなことをおっしゃっています。

 

「進化しようとする人だけが進化するということは真実なのである。」

「人間を自由ならしめているのは、人間を上へ上へと駆りたて、したがって、人間が選択をせまられたときに

理由を提供してくれる進化要求にほかならない。」

 

子どもの成長過程では、冒険心がものすごく高まって、

「困難や不確かなことに挑戦することそれ自体がおもしろいこと、価値あること」 

という思いが暴走してしまうような時期もあります。

以前、書いた『子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの?』という記事で

親としての覚悟を突きつけられた綱渡りでもするような心地で乗り越えた出来事を書いています。

 

この記事を読んだことがないという方は

どうぞ読んでくださいね。

 

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ずいぶん前になるけれど、「大学受験」を中心とする日本の教育システムの問題を指摘して、

「大学の格差を無くして受験を廃止すると、日本の教育問題の多くが解決する」
とおっしゃっている方と、議論をしたことがあります。
当時も今も、私は賛成でもなく反対でもなくどっちつかずのままです。

この教育システムの問題は身にしみてわかるし、
確かに、日本の学校が入りやすく出にくい大学になって、
子ども時代を塾通いと受験の準備に費やしてしまう子たちが減るのは魅力的ではあります。

でも現実には、生徒が集まらなかった大学が消えたり、
大学を卒業できずに困る人がたくさん出たり、一時期の混乱ではすみそうもないので、経済的な面で実現は難しい気がするのです。

わが家は、
「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 
そんなはずない。早い時期から受験準備に明け暮れて、
友だち付き合いや読書や
やりたいことが十分できないなんて、もっての他!」と、

どんなに周囲が受験に過熱していても、親子ともどもマイペースに過してきました。

うちの子たちは、受験テクニックとか受験対策なんてそっちのけで、
「目の前に山があるから登る。どうせ登るなら高い山がいい」という感覚で、
受験を体験してきました。

その結果、子どもたちの成長ぶりを見て、どの受験に対しても、
「合格しようがしまいが、やってよかった!受験勉強は苦しい面や、頭をぶつけることも多かったけど、がんばったなりの成果は得た。」という感想を抱きました。

だったら受験賛成派では?

と思った方もいますよね。

それが、やっぱり今も、賛成か反対かどっちつかずなのです。
というのも、
「受験が良い体験になった!子どもが成長した!」と、心底思えるのも、
わが家が、変わり者家庭だから……

つまり受験生のいる家庭とすると、かなりの小数派の『適当で楽天的で自由な』受験生活をさせてきたからとも言えるからなのです。

青色発光ダイオードの発明発見で世界中にその名を知られるカルフォルニア大学サンタバーバラ校の教授の中村修二氏は、
日本再生の条件で一番ネックは「大学受験」で、これを廃止すべきであるとおっしゃっています。

日本の大学受験は、「超難関ウルトラクイズ」そのもので、完全丸暗記の詰め込み勉強が不可欠。そんな将来に役に立た
ないクイズに合格するために、最も夢が多く、頭が柔軟な貴重な中学、高校時代を、無駄に過ごしていると指摘し、
このままでは世界に負けてしまうと危惧しているのです。

中村修二氏のおっしゃっていること、とてもよくわかるのです。

うちの子たちは、中学でも高校でも、呆れるほど無駄に見える時間をいっぱい過していて、旅行に行ったり、友だちと集まってゲーム制作したり、音楽に没頭したり、姉弟で麻雀に熱中したり、読書に熱中したり、絵ばかり描いていたり、料理したり、討論したり、映画を見たり、バイトしたり……そんな態度で難関校を目指すなんて、ふざけているの? と思われるような学生生活を続けてきました。
(本人たちにすると、受験勉強は受験勉強で全力を注ぎ込んでたので、
周囲を驚かすほど偏差値を急上昇させることはできたのですが……。)

その時期その時期は、「明日試験でしょ?」とヒヤヒヤしているのですが、
後になって振り返ると、勉強じゃなくてそういう無駄の中でこそ、いろんなことに感動して、自分でやってみて、自分がどんな人間か、何がしたいのかを理解しているのです。
人と人の間で揉まれて、精神的に大きく成長しているのです。
そうして、自分が将来やりたい夢をつかみ、それをやりぬくための技術やパワーを溜めているのがわかったのです。

子どもたちと話していると、それぞれが自分の人生を真剣に生きようとしている独立したひとりの人へと、この時期の体験を通じて成長しているのが
わかるのです。

でも、だからこの時期は受験なんかなくして、自由に青春を謳歌させた方がいいとも思えないのは、
娘にしても、息子にしても、
自分の計画する力や知力や根気や、だめだったとき持ち直す力を総動員して使っていかなくてはならない『受験』という
厚い壁は、
「社会に出る前のこの時期、経験しておいて本当によかった」と思えるものでもあったからです。

何度も崖から突き落とされて、自力で這い上がっていくような経験が、
外の世界で多少のことにへこたれずに、
自分の夢を追っていくためのベースとなってくれるはず……と、
受験の失敗も、それなりにありがたがってもいるのです。
(合格は、なおありがたいですけど)

ここまで書いても、受験に対する思いは、スパッとひとことで表しにくいのですが、目の前の受験に親の方がのめりこみそうなときは、
「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの?」
と自分に問いかけています。

↓過去記事から、息子の中学入試体験と、受験を通して身についたものについて
紹介させていただきます。
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わが家の事情で何ですが……
子どもが幼い頃は、経済的に何の悩みもなくのほほんと生活していたのですが、バブル崩壊のあおりを受けて、ダンナがリストラにあい、
その後は、自営業で、食べていくのがやっとの暮らしをしていました。

そこに6年生に進級しようという息子の「私立中学に行きたい」があったもんですから、まさに晴天の霹靂で、
「お母さんは入学金を何とかしてあげるから、あなたは勉強を自分で何とかしなさい」と、本屋に連れて行って、受験したいという学校の赤本……選ばせると灘中の赤本だったのですが……を購入して、後は本人任せにするしかなかったのです。
それで、私は郵便局のパートで、晩の10時をまわって帰宅する生活がはじまり、
息子はというと、それまで学習習慣がないもんですから、
やったりやらなかったりではあるものの、灘中の赤本と格闘していました。

それまで私立の勉強をしたことがない子にいきなり灘中の赤本は無茶なようですが、
当時はあまりに中学入試の知識がなかったので、
「まずどういう受験問題が出ているか研究して、
それから必要な参考書なり問題集なりを探しに行こう」という順序で
入試と関わるしか、
何から手をつけたらよいのか想像もできなかったのです。

それと私にとって一番興味があったのは、受験に合格するかどうかではなく、
初めて自分からこういうことがしてみたい!と言い出した息子が、

途中で投げ出さずに、どこまでがんばれるのかな? ということと、

どんな順序で、どんな風に勉強していくのかな? ということだったんです。

自分なりに方法を模索するのか、何か私に頼んでくるのか、息子の出方を見る前に、私が先まわりしてレールを敷くのはおかしな気もしたので、
少し様子を見ることにしたのです。


灘中の赤本は、最初、あまりに難しくて親の私にもちんぷんかんぷんでした。
どれを見ても公立の高校入試の問題よりもはるかに難解でした。
ただ最初に赤本を買ったおかげで、
市販の中学入試用の問題集を何冊仕上げたところで、それだけでは
これらの問題を解けそうにないことだけはわかりました。

うちの息子というのは、「難しさ」に魅了される子です。
勉強自体は、6年生になるそのときまで、きちんとしたことがなかったものの、
物を作るときは、それを作ることは不可能でしょう……というものに惹かれて、紙1枚で何がなんでも作りたいものを作ってしまおうとするし、
パソコンでもテレビゲームでも友だちとの遊びでも、どこから手をつけたらよいのかわからないような
難しさを感じさせる場面でこそ、燃えるタイプなのです。

それで、受験がしたいというので本屋に連れて行ったときも、
何冊か過去問に目を通させると、
これはどれもどうやったら解けるのか見当もつかないないな……のオンパレード
だった灘中の赤本にすっかりのぼせてしまって、
息子の頭の中は、
受験するのはここ以外考えられない~というモードになってしまったのです。

そんな適当な理由でスタートした受験勉強ですが、
小学校に受験校に送るための資料をお願いしに行くと、
そんな無茶な……それはやめた方がいい……と、強く反対され、
しまいには算数専門の教師が怒り出す始末でした。
また、息子が軽い気持ちで友だちに受験することを話したため、
子どもを有名な受験塾に通わしている親が、そんな受験がどれほど
とんでもないことか……
まず自分の子の通っている塾で何位くらいにいるのか確認しなさいよ……
と外部の子用のテストの案内を持ってきました。

息子はといえば、「不可能」とか「難しい」とか「無理」とかいう言葉が無性に好きで、それに強烈にそそられるタイプですから、
そうして外から圧力がかかるほど、
火に油を注ぐのと同じで、
「絶対、灘中に行くんだ。この本全部できるようになるよ」と言って、
ひとりで過去問に目を通していました。

その頃は、中学入試というのがどういうものか、何が出るのか、何から手をつけていいものかさっぱりわからなかったため、
息子は公式も何も知らない状態で、灘の過去問を
問題の文面の情報から導けそうなものを自己流に膨らませて、
何とか答えまで持ち込もうと四苦八苦していました。
そうするうちに、シンプルに考えていけば解けるタイプの問題は
自力で答えが出せるし、
難しいものも答えを見れば、納得できるという状態にはなってきました。

そのあたりで、再度、本屋に行くと、
日能研やサピックスの出している問題集や、
『中学への算数』という雑誌
などを選んでいました。

私も、そうした問題に目を通すうち、すっかり中学入試問題の面白さに
心を奪われて……今の虹色教室も
その時期火がついた「私の中学入試問題オタク」な趣味の延長線上にある
のですが、
その年はとにかく掛け持ちでいくつもバイトやパートをしているので、
時間に追われていました。
ですから、外で遊びほうけてたり、テレビゲーム三昧したりしながらも、
何とか飽きることなく続けている息子の受験勉強の進行を
傍らからチラチラ覗き見るだけでした。
灘中の赤本と格闘していた息子が、
過去問を解くだけでは、らちが明かないので、
参考書や問題集を何冊か買ってこなくちゃ……と言い出したときには、

ざっと自分で数年分の受験問題に目を通していたため、

どのような問題が、どのような配分で出題されているのか、
確実に点に結びつきそうな分野は何か、
何をどれくらいの量、訓練したら良さそうか、
自分の強みがいかせそうな部分はどこかといったことを、

全体を俯瞰した位置から見渡せていたようです。

そのおかげで、最も得点に結びつきそうで、自分の強みをいかせそうなものの
ランキングが
自分のイメージの世界にできていたようです。

パートから帰宅後、息子の勉強を見てあげようとは思うものの、
灘中の問題は、当時の私には「何を手がかりとしたらよいのかさっぱり~」なものも多くて、
結局、息子からの勉強についての分析や経過の報告に
耳を傾けるだけでした。

息子は、最初に過去問で全体像をつかんでいたので、
最重要課題から順番に手をつけていってました。
こうした全体像を先につかんだり、自分にとって重要なことから、手をつけていく習慣は、
ボードゲームや工作など、好きな遊びに熱中するなかで、
息子が身体で覚えた勘です。
おかげで、短時間ながら、
着実に力をついてはいました。

ネックは時間。
計算が遅いし、ミスが多いところは一朝一夕には
なおらず、時間内に解ききることが入試の際まで、一番の課題となっていました。
実際、灘中の受験準備に一年ではあまりに厳しく、
「最低ラインギリギリだろうけど……
けっこう良い線までいってるんじゃないかな?
当日調子が良ければいけるかも?」
と期待したのもむなしく、結果は不合格。

ついでに受けた中高一貫校は、風邪による腹痛で、試験を途中までしか受けられなかったものの、合格していました。
この私学も関西ではとても人気が高くて、近辺の子たちも、ここの学校を目指して早くから受験塾に通い出すのです。
ですから、ラッキーと言えば、ラッキーで、
息子の受験計画の進め方は、まずまずだったんじゃないかな?とも
思われました。

最初から、合格できそうな学校を狙わず、自分の力を超えたチャレンジをした
ことで、不合格の痛手は負ったものの良いこともありました。
中学に入学してから、姉が数検を受ける際、
息子も同じ準2級(高1レベル)受けたがって、
2週間ほど姉の教科書を借りて勉強しただけで、
1次の計算技能、2次の数理技能のどちらも合格していたのです。
1年間、自分なりに、もがきながらがんばった受験勉強は、
息子の中に何かを残してくれていたようなのです。

数学への感性はもちろんなのですが、
「こういう結果を得たい」と思ったときに、

「結論から」「全体から」「単純に」考えて取り掛かって、
短期間にどうやって自分の思うような結果を導き出すか、
うまく段取りして、やり遂げる力が
受験を通して身についたようなのです。

 

喉元過ぎると熱さを忘れるものですが、 
息子の受験では高校に上るときも、かなり苦しい受験を体験しました。
息子の場合、灘には落ちたものの地元の中高一貫校に通っていたので、
入試なしで自動的に高校に上れることになっていました。
そこの高校の偏差値は70ありますし(高校から入るのは難しい学校なのです)、先生方はみな親切で教育熱心でした。それに、快活で気持ちの優しい友だちに囲まれて全てが順風満帆でしたから、
親の私は、学費の捻出でこそ悩みはしましたが、
まさかこのタイミングで受験に遭遇するとは思ってもみませんでした。

それは中3の夏のこと。
ある日、息子が意気揚々と学校から帰ってきました。
何でも、学校の先生から、すごくよい情報を聞いてきたというのです。
「うちは中高一貫校だから、高校入試は無理ってあきらめていたんだけど、
できるらしいんだ。今から半年くらいしかないけど、がんばって勉強するから、もう一度、灘を受けさせてよ」
唐突にそう切り出されて、
驚いたものの反対する理由もないので、
「それなら、がんばりなさい」とだけ伝えました。
当時、息子がいきなり受験を決意した理由は、
授業時間が長くて宿題が多い学校のシステムに、「過保護すぎる!もっと自由な校風の学校に移りたい」という不満を抱いていたことと、
単に、自分の全力をぶつけるチャレンジがしてみたいと思っていたからのようです。
確かにこの学校、宿題の量が半端じゃなかったのですが、
授業は長いし、通学に時間はかかるし、大量の宿題を済ませてから、高校受験の勉強するのは、あまりにも無茶な話のようにも見えました。
学校の定期考査や小テストの勉強もさぼるわけにはいきません。

とにかく勉強したくても時間がないのです。
それでも、寸暇を惜しんで猛勉強する息子の姿を見るうちに、
私は、どこまでがんばれるのかしっかり見届けたいという気持ちになっていました。

しばらくして、息子が先生から聞いたという情報は、ひと昔前のことか他校のことで、実際には、息子の通う中高一貫校は外部の受験をいっさい認めていなないことがわかりました。

自分の勘違いがわかった後も、いったんお尻に火がついて受験勉強に燃え出した息子は、何が何でも受験したいからと先生方を説得しはじめました。

先生方は、どんなことがあってもそれは許されないからと息子を説得し続けていました。
親の私も何度も学校に出向いて話し合いが続きました。
最初は、頭から反対していたダンナは、
どんな状況になっても必死で勉強し続ける息子の姿を見るうちに、しまいには折れていました。

そして、
「どうしても他校を受験したいというのであれば、いったんうちの学校を自主退学して、公立に転校して、そこから受験しなおしてください。
でも、うちの学校は、内申点はつけることができないので、転校先の中学でつけてもらってください」と告げられました。
文で書くと冷たく見えるのですが、この学校の先生はかなり生徒思いで、
親身になって息子の相談に乗り、本当に受験が決まると、心から応援してくれていました。

そうして、中高一貫校を自主退学して、地元の公立中にいったん編入しました。

「中3から、荒れていると噂されている地元の公立中に編入して大丈夫なんだろうか?」と気を揉みましたが、
息子は平気で、久ぶりに会う小学校のときの友だちとの再会を楽しんでいました。

公立に戻るのは、思った以上に大変で、公立中の教頭から……そんなわがままは許されないし、子どもの人生が無茶苦茶になる、
内申点はいっさいあげられないから、もしその灘がダメだったときは、かなり偏差値の低い高校を受験してもらう!
と親の私がガミガミ叱られ通しでした。

私の方も、息子の言うままにこんな無茶な受験をさせて、みんなに迷惑をかけて、これは甘やかしだろうか?
子どもの意志を尊重するといったって、もし失敗したら息子のこれからの人生を間違った方向に進ませるかもしれない……。

わがままとして息子の決意を押さえつけた方がいいのか、それとも人生の急所としてしっかり関わった方がいいのか……?
悩み苦しみました。

「受けてもいいよ」と言った時点で、
親としては、その結果に責任を持つことを覚悟しました。
苦しいときは腹をすえて、乗り越えようと考えていました。
でも実際には、これほどまでに覚悟が必要だったとは思いもしなかったし、
困難が連続して降りかかってきたときは、振り返らずにただまっすぐ進むしかありませんでした。

とにかく勉強に全力投球して臨んだ受験ですが、灘高も落ちてしまいました。
本気で受験勉強に励んでいたので、安穏と中高一貫校で過していたときより何倍も学力はついていたのですが、運は別物です。
中途の編入で内申点がゼロになるからと、学校からは偏差値が4、50の公立校を勧められました。
「それならそれで、その学校に通って独学で京大受験(息子は京大の自由な校風に憧れているのです)をするよ」と言っていた息子ですが、
運良く後期入試で、
以前通っていた中高一貫校と同レベルの学校の特進クラスに入学することができました。このときは、本当に救われた気持でした。

この受験ばかりは、親の私も大いに勉強になりました。

「親の選択で子どもがどんな困難に遭遇しても、
そのとき、誰かに責任転嫁したり、子どもを責めたり、
弱気になったり、絶望したりせずに、
しっかり腹をすえて、その現実にぶつかっていくなら、
結果がどうなっても必ず子どもの成長となる」と、身を持って知ったのです。

自分の受験を振り返って、息子はこんな言葉をつぶやきました。
「中学の友だちと離れ離れになったから、その大切さがわかったんだ。離れていても、ずっと親しい友だちでいれることもわかったし。
それに、こっちの学校でできた友だちも、すごく気が合うから、ふたつの学校に仲の良い友だちがいるのはうれしいよ。
あっちの中学は、宿題が多いといったって、先生たちはとっても甘くって、生徒たちが好きでしょうがないんだ。勉強法はぼくには合わなかったけど、中学は大好きだったよ。いつもとても大事にされていたからさ、優しい良い先生ばかりだよ。ダライ・ラマにも会えたし。(ダライ・ラマは理事長と親しいそうで、お忍びで中学に見えたことがあったのです。)
今の学校はかなりシビアだからね。
あそこにずっといたら、友だちとワイワイするのが楽しくて、いつまでも本気を出さずに甘えていたかもしれないから、やっぱり受験して良かったと思うんだ。ぼくは、どっちの学校も経験できて本当に良かった。
お父さんとお母さんには、ずいぶんお金を使わせちゃったから、がんばって働いてちゃんと返すよ。
ぼくは社会に出たら、中途半端では終わらないよ。」

めでたしめでたし……と思っている間に大学受験なので、子育てって、息つく暇がありません。
まぁ「子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? そんなはずない……しっかり自分の人生と向き合って生きていく子に育てたらそれで十分」と、自分で自分に言い聞かせています。

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「子どものころにどんなふうに育てられたかが、その後の人生を決めている」という言葉 2

2018-08-09 07:54:54 | 日々思うこと 雑感

前回、「娘や息子から心に響いた本やら音楽やら絵画(映画やゲームまで)なんかを

紹介してもらうことがよくあります。」と書きました。

 

先日、息子のアイポッドタッチから流れている不思議なピアノ曲が気になったので

それについてたずねました。

 

「ニコライカプースチンだよ」と答えた息子は

ネットで検索した楽譜を示して、「やたら鍵盤をたたきた い人だよね。ほら、超絶技巧系の……!」と言って笑いました。

 

「確かに目が痛くなりそうな楽譜ね。指も!」

その譜面には、もし日本人が弾くとしたら親指と人差し指を広げるための手術を受けなくちゃならないのでは?……と

余計な心配をしてしまうほど、途方もない速度で鍵盤の上へ下へと移動する音符が

描かれていました。

 

音量を上げて「ニコライカプースチン」の演奏に耳を傾けていると、

何ともいえない美しいメロディーだとは思うけれど、どう表現したらいいのか

言葉が見つかりませんでした。

 

それで、「この曲のどんなところが好きなの?どこがいいと思う?」とたずねて、

感想まで息子の言葉を当てにすることに。

 

「一時期、ピアノソロにはまってさんざんいろんな曲を聴いてたんだけど、

しまいにソロの限界みたいなものを感じるようになってさ。

そんな時にニコライ・カプースチンのソロの演奏を聞いて、新たな境地を見せてもらったような衝撃を受けたんだ。

ジャズ要素が入ってるから、音楽の構造がさ、音の流れをつかみかけたかなと思うたびにいい意味で予想を裏切られて、

くずしているイメージを感じさせずにくずれていってさ、とにかく転調の進み方が面白いんだ。」とのこと。

 

息子は大の音楽好きで、暇さえあればピアノやギターやシンセサイザーの演奏を聴いたり、

電子ピアノを弾いたりしています。

そんな姿を見ると、やはりピアノを習わせてあげたらよかったのか、

本人が頑として習い事に乗り気じゃなかったんだから

わたしが後悔することでもないのかと

いまだに迷いが残っています。

 

自己流に勝手に鍵盤をたたいて覚えた息子のピアノの腕前と、

3歳のヤマハに始まって中学3年までの十数年間、先生について

みっちりピアノを習っていたわたしの腕前は、ほぼ同レベル。

今は息子の方が楽器に触れる回数が多い分少し上です。

 

私自身はピアノ教室でまぁまぁ進みがいい方で、

周囲を見渡しても先生の教わったからといって

ピアニストのように流暢に演奏する子もいなかったことを考えると、

最終的には習っても習わなくてもいっしょで、レッスン費用と時間の節約になったと

軽く捉えていていいものか、

やはり「このひとつだけは」と正しい訓練を受けさせてあげたら

生まれ持った音楽好きの資質に磨きをかけることができたのかもしれないなどともやもや考えて、

わが子のこととなると歯切れが悪いです。

 

でも、子どもが成長するにつれて、もし「○○をやらせていたらこんな結果を得ていたかもしれない」という皮算用と、

「結局、子どもの自由に選択させて、○○をやらせずに終わった」という事態を比べると、

何かをさせないということは、ゼロでもマイナスでもなくて、

「その子にとって重要な別の何か」をガッチリ伸ばす時間になっていたことを実感してもいるのです。

習い事ゼロで過ごしていた小学校時代に、たっぷりある時間を利用して

紙工作したり、RPGツクールやハイパーカードでゲームを作ったり、映画もどきをを撮影してみたり……

とにかく好奇心に火がともったら、とことん熱中して作り倒す日々があったから、

6年生になると自分から受験勉強に熱中したのだろうし、

今、将来したいことを思い描くことができているのでしょうから。

 

受験勉強にしても本人に勝手にやらせずに

塾なり家庭教師なりを利用するか

せめて親のわたしがもう少し手助けしてあげれば

もっと効率的に成功路線に乗れていたのかもしれないけれど、

そうしなかったことは、それはそれで、受験自体には不利だったとしても、

自発性とか意欲とか責任感とか打たれ強さとか持続力いった

精神的な資質を高めてくれたのは間違いないのです。

 

子どもの好きなようにさせてきて

失敗も遠回りもたくさんあったかもしれないけれど、

そうした遠回りは生きることを楽しむ能力と

自ら進んで自分を高め続ける持続力をつけてくれたな、

とわが子たちの成長していく姿に心から満足してもいるのです。

 

好きなことを応援するのは大事でも、必ずしも才能を見つけ出して

 より早期からよりよい教育を施すのがいいとは限らなくて、

そうしないことから得る恩恵は、わが子を将来の夢に導いてくれるようにも思えるのです。

何でもかんでもすべて伸ばしきるのではなくて、

伸ばさなかったことによってできる枠組みが、他の才能を熟成させて、

自分がやりたいことややるべきこと、やり遂げたいことを

際立たせたり、自分の運命を形作ってくれたりもするのです。

 

息子にしても音楽や絵が好きでたまらないけれど

技能としては訓練をつんでいないことがかえって

どんな既存のレールにも乗ることがないだけに、

自分が本当にやりたいことにはしっかり活かしていけるようなところがあるのです。

 

将来、自分がクリエイターとして何かを作っていきたいと夢想するときに、

他人の評価や注目でいじられていれていない

そうしたものひとつひとつへの強い愛情を取り入れて統合させながら

最も自分が得意とするものを主に据えて「こういうことがしていきたい」「ああいうことがしていきたい」

と本当にやりたいオリジナルの道を探っていくことができているのです。

 

そんなことを考えるうちに、

親は前回のリストにあったように、

「なりたいものには何でもなれるし、そのなりたいものが何であっても

変わらず愛しているし、選択も尊重するよ」

「夢を実現する具体的な方法を見つける手助けをするよ」

「興味の対象が毎日のようにころころ変わったって真剣に聞くよ。

興味があるなら何でも試してごらん」

「思い通りいかないときは、文句や不平を言いたくなるものよ。そんな日もあるよ」

「困ったときにはいつでも助けるよ。

あなたの成功はどんな小さなことだってうれしいわ」

といったちょっとゆるめの能天気なエールを送り続けるだけで十分なのかな

と思えてくるのです。

 


「子どものころにどんなふうに育てられたかが、その後の人生を決めている」という言葉 1

2018-08-09 07:53:53 | 子育て しつけ

娘や息子から心に響いた本やら音楽やら絵画(映画やゲームまで)なんかを

紹介してもらうことがよくあります。

 

子どもが大きくなってくると、親のわたしが聞いたことも見たこともないような……おそらく紹介してもらわなければ一生触れることも

なかったようなものに惹きつけられて、

自分の世界をどんどん広げていってる様に不思議な感動を覚えることが多々あります。

 

一方でわたしが紹介したものが、

娘や息子の「一番きれいな~」とか「最高~」という言葉で

口にのぼるのを耳にすると、親子ってやっぱり感性や好みが

似ているところがあるのかな~とうれしい気持ちになります。

 

娘は「美しさ」に敏感な子。

美術館によく足を運んでいて、

わたしにはピンとこないような古美術品や書のようなものからも、

その芸術的な価値を直接汲み取って、深く感じ入っています。

 

そんな娘がこれまで読んだ本のなかで最高傑作として

ヘッセの『デミアン』を挙げるのを聞いて、

最初はちょっと驚き、

後からは、妙に納得しました。

 

なぜ驚いたのかというと、『デミアン』は、

「若い頃夢中になった一冊」としてわたしが娘に薦めた本だったから。

 

娘の鑑識眼は本人のなかにある揺るぎない感性から来ていて、

他人が良いというから良いと思うタイプではないのです。

 

後から妙に納得したのは、

ヘッセの言葉の選び方とストーリー展開の仕方は

「美しさ」という点で完成度が高いからなぁ、とも、

娘は古い新しいにかかわらず「美しさ」に敏感だからなぁ、とも思えたからです。

 

先日、「同じような文を何度も目にしたことがあると思うけど」と前置きして、

娘が本のあるページを差し出しました。

『書きだすことから始めよう』という本の『アインシュタインはどうやってアインシュタインになったか』という章。

 

同じ種も、養分豊かな土地で水と太陽を浴びてスクスク育てば、

自信も規律も忍耐力もなしに、自然に花開き、

日陰や乾いた地で育つと必死に成長しようとしても弱々しい姿になるという話。

 

つまり天才と一般人の違いは、育つ環境にあって、

子どものころにどんなふうに育てられたかが、その後の人生を決めているとのこと。

 

ここで扱われている天才という言葉は

「世間的に大きな成功を収めた特別な才能を発揮した人」というより、

「自分の人生を心から愛してまっとうした人」という色合いが濃いようでした。

 

娘の興味を引いたのは、

「どうしたら天才になれるのか」というハウツーではなく

そのように人生を愛している人たちが育った環境として紹介されていた内容のようでした。

 

娘はこれから社会に出て、どのように生きていこうかと考えを巡らせる

時期にいますから、

この本の言葉は、自分のなかの大人の部分が、

夢を描く子どもの部分に

どのように対応すればいいのかを教えてくれるものなのでしょう。

 

また自分が自分に対して、

気長に根気よくつきあっていかなくてはならないことを学んでいるのかもしれません。

 

わたしも自分のこと、娘や息子のこと、教室に通ってくれている子どもたちのことを

思いながらそのページにあった『天才が育つ理想の環境』のリストに目を通しました。

 

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『天才が育つ理想の環境』

 

●才能を尊重し、大切に伸ばしてくれる。

 

●なりたいものには何でもなれるし、そのなりたいものが何であっても

変わらず愛しているし、選択も尊重すると常に応援してもらえる。

 

●好きなことを見つけられるようサポートし、夢を実現する具体的な方法を教えてくれる。

 

●興味の対象が毎日のようにころころ変わっても、毎回まじめに聞いてもらえる。興味の

対象をすべて試してみる機会が与えられる。

 

●物事が思い通りいかないとき、文句や不平を言っても受け入れられる。そして

「いやならやめなさい」と叱るのではなく、理解を示してくれる。

 

●困った事態に陥っても、叱らずに助けてもらえる。

小さな成功でも、両親をはじめ周囲の人々が心から喜んでくれる。

 

(『書きだすことから始めよう』 バーバラ・シェア  アニー・ゴットリーブ著 Discover)

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現実の世界は厳しいところで、自分がなりたいと思ったものに

誰しもなれるわけではないのはひとつの事実です。

 

自分で天才を目指すにしろ、わが子を天才に育てあげようと目論むにしても、

おこがましくて口にするのもちょっとなぁ、という感じはします。

 

けれども、景気の悪化や就職難を目の当たりにして

将来に自分独自の夢を描くことすら躊躇してしまう若い子たちを見るのは辛いです。

 

人生は長いし、その長い道のりを世界にひとりだけの唯一無二の自分として

生きていくのですから、

自分の心を常に明るい方角に向かせてくれるような

オリジナルの夢を自分も持ち続けたいし、

子どもたちにも持っていてほしいです。

 

わざわざ天才なんて言葉を使わなくてもいいけど、人に生まれたからには、

生まれ持った自分の力を磨けるところまで磨いて、使いきりたいものです。

 

「店頭に並ぶ際、より高い値段をつけてもらうこと」をゴールにするような

人生なんて、やっぱりつまらない。

 

世間の人からは低く見積もられたって構わないから

自分らしさを見失いたくありません。

 

わが子たちににしても、社会のあり様に不平をこぼすよりも

自分の夢を胸のなかで大きく膨らませてほしいし、

一歩一歩前に進むための

ささやかな努力を楽しめるような朗らかさや知恵を持ってほしいです。

 

そのために親は何をすればいいのかというと、

やはり先の『書きだすことから始めよう』 で挙げられていたリストが重要なのでしょうか。

 

まず親自身が地に足をつけて自分をしっかり生きている上での話しでしょうが、

子どもがさまざまなことを試して、

たくさん失敗し、何度も選びなおし、何度でも1からスタートし、自分の弱さを受け入れる過程をしっかりサポートしていきたい、

 

どんな小さな成功もその子自身の心が選んだものなら祝福したい、

と感じました。

 

以前、「天才」という言葉について、あれこれ思うことを記事にしたことがありますから、貼っておきますね。

 

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<「天才」という言葉>

「天才」という言葉、日本ではタブーのように扱われている部分がありますね。

「英才」や「秀才」や「できる子」は目指せる、作れるけれど、
「天才」は生まれつきのもの
誰もが目指してはいけないもの
子どもが天才であってほしいと願うなんて、ずうずうしいにもほどがある…

そんな声をたびたび耳にします。
でも、私は、英才とか秀才とかできる子って言う言葉が、
あんまり好きではないんですよね。
受験戦争や競争社会という小さな枠のなかで
勝ち抜いていけるか…ていう
大人側からの期待や願望から生まれているような気がするからです。

そして「天才」は…というと、レオナルド・ダ・ウ゛ィンチとかアインシュタインのように、
学ぶことを愛してやまず
人生を自分の思うままに生き抜いたイメージ

が、大らか~で好きなんですよ。

「天才」とは、一般常識や他人の期待に振り回されずに、
「自分」の興味と夢を満喫して生きられる人でしょうし
幸運にも「天職」と呼べる仕事と出会えた人なのでしょう。
私は、周囲に認められるか、
その時代から「天才」という言葉を授けられるかは別にして、
子供たちには どの子にも天才のようにいきいきと生きいって欲しいなぁと思っています。あくまでも願望ですが…。

「天才を作る時間~どれぐらいあればいいのか」の記事のなかでは、
天才を作るのは、☆あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則という記事のリンクが貼られていました。

そこで「天才」が作られる法則としているのが、

1,10000時間を費やせる努力と情熱。開始年齢はあまり関係ないらしい。

2,時代と才能が一致するタイミング

なのだとか…。

1の10000時間を費やせる努力と情熱。

と言うと、エジソンの
「天才は1%のひらめきと99%の汗」という言葉が浮かびます。

本当は、エジソン自身はピピピッとひらめくことを
重視していたらしく、

(1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならないというニュアンスでこの言葉を発言したらしいのですが…。)

竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても挫折せずに努力し続けたエジソンの姿は、
英才くん、秀才くん、できるくんからすれば、「実験オタク」や、単なる「バカ」なのかも知れません。
天才を作る時間が10000時間という話の真偽の程はどうであれ、

「何かが好きでたまらないこと」
「心底、ひとつのことに夢中になって打ち込めること」
「誰かのためにでなく、自分で自分の人生を切り開いていること」

が天才の必須条件のようです。

2の、運…

私はこれは、偶然の産物ではなく、
宇宙とうまくシンクロできているかどうか…
SQ(精神的知能の略)…意味や価値という問題を提起して解決する能力を
人生のなかで十分高める事ができたかどうかに関わっているのだろうと
思っています。
SQを高めて行くことが、自分を個性的な人生へと導き、天職と出会わさせるのだと感じるからです。

SQとは、
広い豊かな視野に立ち、自分の行動や人生に意味を見出す能力のことです。
数あるなかから、より意味のある行動路線や
人生の道を選ぶための能力です。

「SQ 魂の知能指数」によると…

IQなら、コンピューターも高いです。
EQ(こころの知能指数)は、動物達も高いです。周囲の状況を察知する能力にたけ、過たずにそのルールに従うことができるのです。
しかし、コンピューターも動物も、
なぜそのルールがあるのかも、なぜそういう状況になっているかも
問うことがありません。

SQを持っている人間は、ルールや状況を変えることができます。
限界と遊び、識別し、道徳観を持ち、厳しいルールを理解と同情で
やわらげることができます。
同情や理解が限界に達したら、限界だと悟る事ができます。


IQは、脳内の「直列的な神経配線」にもとづいているそうです。
EQは、「連想を引き起こす神経配線」にもとづいているそうです。

SQは、脳全体のデーターを統一する神経の共振にもとづいているそうです。


「天才」という言葉から、ずいぶん脱線していますが…

SQテスト
柔軟である能力(積極的かつ自発的に適応できる能力)
高度な自己認識
苦しみに立ち向かい、苦しみを利用する能力
苦しみに立ち向かい、苦しみを乗り越える能力
夢や価値に触発される資質
不必要な危害を他人に加えたくないという気持ち
多岐にわたるものごとのあいだに関連性を見る傾向
「なぜ?」とか「もし何々だったらどうなる?」という質問をし、
゛根源的な”答をもとめる顕著な傾向
心理学者が、゛場独立性”と呼ぶものであること。つまり、因習に逆らう器量を持っていること。

↑のテストがたくさん当てはまるというSQの高い人は
世間の評価はどうであれ「天才」と言えるのかも知れません。 

 


発想→試す→失敗→考える→工夫→振り返る

2018-08-09 07:27:57 | こんなこと、やってみたい!

4歳の●くん。教室にあったトースターのおもちゃのレバー部分に

電車のおもちゃを乗せて、四苦八苦していました。

トースターのパンが飛び出すしかけを利用して

電車を持ち上げたかったようです。

でも思うようにいきません。

そこでレバーに厚紙を貼り付けて

長い電車が転げ落ちないように工夫してみました。

が、ボタンを押しても電車はびくともしません。

「重過ぎるんだね。重いと持ち上がらないね」そんなことを話しあった後で、

●くんは折り紙の作品や小物など厚紙の上に乗せてボタンを押していました。

簡単に上に持ち上がります。ぴょんと飛びあがるものもあります。

 

どれくらいの重さまでなら持ち上がるのでしょう?

 

「ポーンと飛び跳ねる」というような面白い動きはどんなものを乗せたときに

起こるのでしょう。

 

自分で気づいたアイデアについて、探求するのは面白いですね。

 

いたずらのように見えることも、

 

発想→試す→失敗→考える→工夫→振り返る

 

という手順をしっかり踏んで、子どもが言葉を使って自分の発見や考えを

メタな視点から眺めることができるように手助けしてあげたいと考えています。

 

↓は年長さんの男の子と作った

紙コップにコーヒーが注がれるタイプの自動販売機。

コーヒー、湯、ミルクが

それぞれ別の投入口から注がれるようになっているところがポイントです。

紙コップのそこに筒状の何かを取り付ける方法をマスターするだけで

いろいろと面白いものが作れそうですね。


Yホステルの怪談

2018-08-08 20:33:07 | 日々思うこと 雑感

ユースホステルでのお泊りレッスンに行ってきました。

子どもたちには、安全のために他の泊り客も使っているトイレを使わせず、

教室で借りている和室にあるトイレを

使うように言っています。その(恐ろしさのかけらもない)トイレでの話。

「先生、トイレの戸をトントンって叩いたら、戸の向こうで、わははって笑い声がした

けど、開けたら、誰もいなかったよ」とAちゃん。

「ほんとうなの?それは怖いわ!」というと、

Aちゃん以外の子たちも、口々に、部屋の天井からボンッて音がしたけど、

誰もいないの、絶対、このユースホステルおばけがいるよ」

「わたしは不審者見つけたよ!」(おそらくただ食堂の前で、食事の

時間を待っていた人です。

と大興奮で報告してくれました。

「そんな恐ろしいことがあるなんて!まるでユースホステルの怪談だわ!

次に泊まる子たちに新聞にして教えてあげないと。

あっ、でも、怖くてトイレに行けなくなる子がいたら困るな~。

眠れなくなる子がいたらどうしよう?」というと、

「それなら、お守りを作ってあげたらいい」

「おばけがいなくなる呪文を書いておいてあげるよ」と目をきらきら

させながら言っていました。

それからみんなせっせと新聞作り。

力作です。

夜に眠れなくなる子の心配もしてくれています。

「おばけはこないで」という紙の入ったお守り袋も作ってくれました。

Aちゃん作のおばけのポップアップ絵本。

 

Aちゃんの弟くんとお友達は、懐中電灯でおばけを作って大喜び。

いっしょに参加してくださっていたBちゃんのおばあちゃんがホオカムリをして

現れると、

3歳の弟君たちまでが、「どろぼうだ!!」と叫んで、キャーキャーはしゃいでいました。

今の子にも「ホオカムリ=どろぼう」が通用するとわかりびっくり!!

 

 

 


欠点の中で輝くかけがえのない個性と才能

2018-08-03 18:46:08 | 子どもたちの発見

小学1年生のAくんは、工作が大好きな男の子です。

ただ、「こういうものが作りたい」という自分の中の「好き」に対する思いが強く、

色、形、感触などありとあらゆる部分にこだわる完璧主義が災いして

制作過程は亀の歩み。

これではどう見積もっても、3日はかかる、という作り方をするのもざらです。

年長の頃は、ワニや大蛇を実物大に作るだけじゃなくて、

皮の質感をそっくりに作るのにそれは苦労していました。

 

最近のAくんのブームは、ポケモンです。

「ゼクロムが作りたいから、パソコンで画像を検索して!」と頼まれたので、

パソコンで画像を検索して、印刷することにしました。

いざ、画像を探し出すと、Aくんは、「これは向きがちがう」「これは色がおかしい」

「これはあんまりよくない」と延々と選び続けて、いっこうに作る作業に進めませんでいした。

あんまり何度もそれを繰り返すので、その都度、パソコンの操作方法を教えていると、

Aくんはその作業をすっかり覚えてしまって、

「マニューラ画像って検索して。それから、このタグの画像で開くって押して!

そう、そして、印刷を選んで!」

とわたしの背後から指示を与えるほどになっていました。

 ようやく画像を選び終えると、

今度は粘土の色付けです。教室では指が汚れにくい着色法として、水性ペンを

使って粘土に色を練りこむのが主流です。それが、Aくん、どうしてもそれだと思うような

ゼクロムの色が作れないというので、結局、絵具の黒や緑を使って手をどろどろにして

色付けました。

そしてようやく形作り。

本物そっくりに作るには、パーツごとに分解して、それらを合体してこしらえなくて

はなりませんでした。

羽根の部分は、対称になるし、刃物のような鋭敏さがいるというので、ハサミを使って細かく

細工をほどこしました。

対称に作るのが難しかったので、わたしから方法を習うのですが、そこで

時間をかなりのロスしてしまいました。そして、針金をニッパーで切って

差し込む際、「針金が飛び出るよ」とAくんが言うので、先を

まげて入れることに。

そうして羽根、身体、手、手のカバーと作っていくのですが、粘土が足りなくなって、

また1から色の作り直し。その工程のひとつも手抜きしません。

結局、算数のレッスン時間ぎりぎりまでかかって、

パーツの半分を作り終えただけで終わりました。

本来なら、あまりに完璧主義に陥って、延々と画像を選んでいたり、

いつまでも粘土の色作りをしていたり

する時に、時間配分についてアドバイスしておくのも

大事だと思うんです。

他の子にならそうしたかもしれません。

結局、この日は仕上がらず、家で続きをすることになりました。

 

でも、わたしはAくんに対しては、したいようにさせました。

選びたいだけ選ばせ、

満足いくまで色混ぜもさせていました。

なぜかというと、Aくんは、

ただ、優柔不断に「決まらない」から、長い時間、画像選びをしていたのでなくて、

どこがまずくてどこがいいのか言葉にしながら、

非常に洗練されたセンスで、一番良いものを選んでいましたから。

 

それに粘土の色を作り出す時も、色に対する確かな判断力を見せていました。

Aくんには完璧にしたい自分の気持ちを全うしきるほどの粘り強さがありましたし、

針金を扱ったり、難しい道具の扱いを習うことも嫌がらない学ぶ姿勢がありました。

それは、Aくんならではの個性であり強みです。

 

ですから、そうした個性的な強みを十分に発揮させてあげることは、

時間内に作る以上に重要なことだと感じたのです。

 それで、親御さんには、

「Aくんの気持ちはわかるけど、この場所では、好きなようにできないの、

時間内にできあがるようにしなさい、ひとつのことにいつまでもこだわらずさっさとしなさい、と、

追い立てて作業させる場や時間の方が圧倒的に多いと思うんです。

集団の場でしたら、そうしたことは、ぐずぐずしている、遅い、未完成、といった

マイナスにしかとらえられなかったり、より良い方法というのを

指導されることもあるはずです。

ですから、虹色教室では、Aくんらしさを

魅力的ですばらしいものと感じているということが伝わるようにしたいんです。

Aくんが自分の長所を現実の世界に出してみて、認められる、それをいい思い出として

記憶に残らせてあげたいんです」と話しました。

 

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下の写真はユースで小学3年生のCくんが作っていた巨大な体の一部です。

この作品、かなり巨大なもので、腰から下を作った時点で、親御さんが持参していた

粘土を何袋も使っていました。

Cくんの粘土の消費量があまりにすごいので、親御さんが、自分の作りたいもののために

材料がどのくらいいるかということも、ちょっと頭の隅に置いて

作っていくようにとアドバイスしていていました。

確かに、あったらあるだけ使い果たす、それでも足りないというような

豪快な材料の使い方をされたら、用意する側はたまったものじゃないですし、

自分の行動をメタな視点で眺める力も身に着けてほしいと思うのは当然です。

もし他の子であったら、「いくらなんでも粘土の使い過ぎです」と注意するところ、

Cくんに関しては、使いたいだけ使わせてあげて、作りたいものを限界まで

作らせてあげてはどうかと感じました。

幼稚園の頃から、Cくんがデュプロで作る駅や建物は、

非常に独創的で完成度が高いものでした。

線路を作るにしても、傍らにゴムを通した電信柱をどこまでも配置して

圧倒するような風景をこしらえていました。

工作では、段ボールを使って、さまざまな細工をこらしたビー玉転がしを作ったり、

箱やストローでおしゃれな建築物やモニュメントを作ることもありました。

 

そんなAくんに創作指導によって小さくまとまってほしくない、

枠からはみだすほどのエネルギッシュなものを生み出してほしい、そんな思いがあるので、

物の無駄使いくらいはむしろ応援してあげたい、と思ったのです。

あなたの作品に、あなたというものを感じました、

子ども時代のひとこまに、そんなメッセージを残したいと感じたのです。

 

 学校のような集団の場やフランチャイズの教育の場だと、

そこで教育されることによって、個性的な良い面を平凡なものへと整えられていく、

矯正されていく、ということもあると思うんです。

だから、子どもと個人的に出会える場では、

(集団の場での教育はさまざまな恩恵を得れることは認める傍ら)

そうした集団ゆえのしょうがなさから、

子どもの個を守ってあげるような関わり方をしてあげたいと思っているんです。

 

↑ 太陽系の見本と、粘土で作った惑星。