虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「算数なんて必要ないんだってことを先生に説得する」とYくん

2018-08-20 23:23:54 | 算数

いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 3

の続きは近いうちに書きますね。

明日からユースです。

明日のユースでのレッスンを楽しみにしてくれているYくんが、

「明日か、ついに!いえーい!」と楽しみにする一方で、

「算数もあるからね」ととお母さんに言われると、

「算数なんて必要ないんだってことをなおみ先生に説得する」

と言っていたそうです。

「毎度いちいち怒って抵抗しながらやってるので、今回もやると思います」という

お母さんの弁。

Yくんは最近、教室に参加しはじめたばかりの男の子です。

アマゾンに探検に行くことを夢見ています。

そこで、虹色教室で算数をする必要があることを、

Yくんにブログ経由で説得することにしました。

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Yくんへ

虹色教室で算数をする理由は、虹色教室では算数の中に隠れている

「面白さの秘密」を見つけ出すところだからです。

それは、Yくんが行きたくてたまらないアマゾンの奥地に隠された秘宝と同じような

貴重なものです。

それを手に入れれば、これからYくんが算数と会うたびに、

ちょっとずつ好きになっていくかもしれないという魔法のお宝です。

これから先、めちゃくちゃつまんなくてたまらない算数とおつきあいする時間が、

その秘宝さえ手に入れたら、

もしかしてめちゃくちゃ面白い時間になるかもしれないんです。

そうすればYくんが大嫌いな退屈で無駄な時間が、

たのしいわくわくする時間に魔法のように変化するかもしれないでしょう?

だから、算数の勉強が、ワニに食べられたり、毒へびにまきつかれたりするより

うんざりするつまらないことだと思うかもしれませんが、

そんな試練にめげず、算数の秘宝をいっしょに探しに行ってください。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 <4>

2018-08-20 23:14:32 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

先日、初めて教室に来た4歳の男の子に

「棚の上のものを勝手に取ったら危ないよ。取りたいものがあったら、

先生に言ってね」と注意したところ、すっかりむくれてしまいました。

自分の服についているひもの先をつまんで、そうっとそうっとこちらに近づいてきて、

注射器でちくんと刺す真似なんでしょうけど、それをわたしの腕に押しつけてきました。

顔は「先生をこらしめてやるぞ」と真剣そのものなのですが、

ひもの先は丸いし、押しつけるといっても、そろりそろりとこちらが

気づかないくらいの力の入れよう。

あまりにも攻撃力がない武器に、あきれるやらおかしいやら……。

 

その話を教室に来た少し大きな子たちに話すと、

「先生が4歳の子にやっつけられた」と大受けで、

この男の子は「先生をこてんぱにやっつけた(子どもたちの言葉)武勇伝の持ち主」

として、話の上ですっかり人気者になっていました。

いろいろな年代の子らと、この話題で盛り上がっていたとき、

その反応にハッとする瞬間が何度かありました。

 

普段からちょっと緊張が強いAくんのお姉ちゃんのBちゃんが、

この話を小耳にはさむやいなや、「えっ?悪い子の話?Aのこと?」とたずねました。

内容ははっきり聞こえなかったけれど、

「ええー!先生、やっつけられたの?」「うわぁ、わっるー」という友だちの相槌を

聞いて、Aくんの話だと思ったようです。

 

Aくんはひねくれた性格でも乱暴でもなく、むしろ情に厚くて人懐っこい性質です。

でも、感覚が過敏だったり、力加減を調節するのが苦手だったりするので、

おふざけのつもりで始めた行為がついエスカレートしがちで、

対人面での失敗が多いのです。

Aくん、Bちゃんのお母さんは決して子どもを悪い子扱いする方ではありません。

これまでも子どもたちのことを、悪く言うのを聞いたことがないほどです。

でも、「悪い子の噂」と聞いて、Bちゃんの口に即座にAくんの名前があがったのは、

常に「Aくんが悪さをして注意を受けるかも……」というピリピリした思いが

胸の中にあるからなのかもしれません。

当のAくんは、Bちゃんに「えっ?悪い子の話?Aのこと?」と言われても、

「何でぼくが?」と言い返すわけでもなく、

「ちがうちがう。この間、先生が、おそろしくこわーい目にあったのよ。

実は全然、こわくないんだけどね。ほら、パーカーのフードの部分をキューッとしぼる

部分についているようなひもがあるでしょ。その先っぽは、とんがってもいないし、

固くもなくて……」というこちらの話に引きこまれて熱心に耳を傾けたあとで、

照れたように静かに笑っていました。

 

緊張の強い子たちが、「何か悪さをしてやろう」とか「腹立ちまぎれに八つ当たりしてやれ」とばかりに、

自分の意思で動いた結果、叱られることは稀なのかもしれません。

たいてい、気づいた時には叱られていて、

叱られて初めて自分のしでかしたことに茫然と

してしまうという子がほとんどなのでしょう。

 

高まっていく不安にがんじがらめになって泣き叫んだり、

フリーズしたまま頑なに活動に参加しようとしなかったり、

テンションが上がってつい調子に乗り過ぎたりした揚句、

身近な人をイライラさせたり、がっかりさせたり、爆発させたりする

(緊張の強い子たちにとって日常茶飯事の)出来事は、

周囲の予想以上に子どもの自己肯定感を下げたり、

自分と世界への信頼感を失わさせているのかもしれません。

 

そのせいか、「悪さ」や「いたずら」や「嘘」や「汚いこと」といったダークな話題に敏感で、

先の4歳の子の武勇伝の話をした時ように、タブーとなっている事柄を

ユーモアを交えて、自由に言葉にできる雰囲気があると、

何ともいえないうれしそうな笑顔を浮かべたり、

緊張を緩めてホッとしたような安堵の表情を見せたり、

いきいきと目を輝かせて話に乗ってきたりします。

遊びの世界でも、安全な枠を設けながら、

「これまでこうした失敗を繰り返して、傷ついたことがあるんだろうな」といったことを

自由にアウトプットできるようにしていると、

ちょっと派目をはずしているな……という状態から、

だんだん内省的で落ち着いた状態に変化していって、周囲に打ち解けていきます。

そんな折に、ポロッと口にする言葉から、

「この子は自分はものすごく悪い子だと思い込んでいたんだな」とか、

「自分を信用できなくなっているんだな」と気づくことがあります。

大人が思わず眉をひそめたくなるような『タブー』となっているものや

『悪』と認識されているものと安全な形で関わることが、

緊張が強くてなかなか周囲と打ち解けるのが難しい子を

外の世界との関係へと誘い出すのを、何度も目にしています。

それは、他の人の思いやルールを受け入れることにもつながります。

 

また、周囲はもちろん、自分自身も震え上がらせてしまうような攻撃性を

アウトプットしてしまったり、

「許されないかもしれない」と感じるほどのことをやってしまったりして、

叱られるには叱られたし、泣けるだけ泣いたりしたあとで、

大人のちょっとしたことで揺るがない強さや、

地に足がついたどっしりした姿を肌で感じたときや、

大人がさまざまな視点で物事を眺めていることや、

子どもが思っているより広い視野で考えていることに気づくときも、

子どもは固い殻を破って、自ら外へ歩み出てくるようです。

 

そうしたプロセスを、経験的にはよく知っているし、わかってもいるけれど、

うまく説明できないもどかしさに苦しんでいました。

そこで、助けを求めるように河合隼雄先生の『子どもと悪』を読み返しました。

 

河合先生が、「悪の問題を論じるのに、最初に『悪と創造』を論じるのは、

思いきったことのように感じられるかも知れない」と前置きした上で、

冒頭から、悪と創造の関係について語っておられます。

著書の一部を短くまとめて紹介しますね。

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悪には、文化差のようなものが存在して、個人差を強調しすぎるきらいがある

アメリカでは、子どもが他と異なる意見を言おうとするのを教師も応援しているし、

しっかり他人と同調すると「悪」の烙印を押されそうでもあります。

一方、日本においては、創造性が悪に接近して受け止められる度合いが高いのです。

「いい子」を育てようと、教育熱心な社会では、

子どもが創造的であり個性的であろうとすることが、悪と見なされることも

多々あります。

 

創造性は想像によって支えられていて、想像する力なしに創造はできません。

創造につながっているような想像というのは、表層的なものではなく、

自分の存在全体と関わってくるものです。

想像のレベルが深くなってくると、平素は抑圧している内容が含まれ出すので、

悪とかかわってくることもあります。

 

悪は大変な破壊性を持っているものだし、理屈抜きに許されない悪があるのも確かです。

しかし、悪とは一筋縄でいかないもので、排除すればいいというものでもありません。

教師や親が悪を排除することによって「よい子」をつくろうと焦ると、

結局は大きい悪を招き寄せることになってしまうのです。

 

悪は不思議な両義性を持っています。

それを端的に示す例が、「悪と創造性」ということになります。

悪は取り返しのつかない破壊力を持つ一方で、未知のものを秘め、活力に満ち、

古い秩序を解体して、新しいものを生み出そうとする力にもつながっています。

 

                    『子どもと悪』河合隼雄/岩波書店

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緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 <3>

2018-08-20 20:58:00 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

こんなことを書きました。

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そんなときに、外からは、雰囲気が悪くなっていく中で

これといったことをするでなく、後味が悪いまま時間が過ぎていったように見えても、

緊張が強いその子とわたしの心と心は、それまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感することがあります。

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突然のアクシデントに気を取られているときも

子どもの出す「小さなサイン」に気づくことの大切さをいつも感じています。

 

「気づく」なんて、外からはわからないほど地味な行為ではあります。

でも、子どもとの信頼の絆は、「気づく」というささいな行為の重なりの上に

築かれていくのを実感しています。

 

「小さなサイン」には、こんなものがあります。

 

一緒に活動するのを頑なに拒絶している子が、ずいぶん後になって

ほかの子らのしていたことを真似ようとしたり、

ほかの子の遊び道具に触れていたりすることがよくあります。

そうした姿から、「だんだんほかの子のすることに興味が生まれてきている」

「好奇心が動き出している」という子どもの気持ちに気づくことがあります。

そんな時期に、集団への活動に参加することを無理強いすると逆効果です。

自分から集団に入っていきにくい段階の子には、その子のところへ

ほかの子に来てもらうのもひとつの方法です。

それより、後から遊びを真似ようとしている子のもとに、ほかの子を呼んで、

「どうやってするの?教えてちょうだい」と頼んだり、

遊びが成り立つように取り持って人との関わりの成功体験を積ませていきます。

こんなとき、ユーモアがとても役立ちます。

ちょっとしたことをきっかけにいっしょにゲラゲラ笑う経験をすると、

緊張の強い子たちも関わり方のコツをつかんでいきます。

 

残酷なことを口にしたり、遊び方が乱暴でお友だちを驚かせてしまうような子には、

子どもと子どもの間に入って、大人が適度なクッション材になるようにしています。

緊張が強い子たちがお友だちと関わり始めた時、ちょっとしたことで攻撃的に相手を

ののしったり、おふざけのつもりや、思い通りにいかない場面の仕返しに、

相手に手をあげることがあります。

繰り返すので反省がないように見えても、感情がコントロールできないことを

その子自身が一番気にしていることはよくあります。

声が裏返るような興奮した口調で残酷な言葉を吐いていた子が、

次第に冗談半分に甘えた様子で残酷な言葉を口にするようになったなら、

子どもの心は変化しはじめています。

先の記事にこんなコメントをいただきました。

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先日遅ればせながら、こどもを連れてアナと雪の女王を見に行きました。(はやっているのは知っていたのですが、上の子が映画の刺激にどう反応するのか、ストーリーの内容がこどもに見せるのに適しているのか迷っていて遅くなりました。)

内容がどう、というよりLet it go(ありのままで~)の歌が、うちの子も含めてみんな好きなのだなーという感想でした。

この歌のどこがこどもたちの心を捉えるのだろう?とつらつら考えている中で、この歌のちょっとロックな、というか少し痛みを伴う感覚はなんだろうって探っていたのですが、もしかしてこれが自分を開いて、閉じられた快適な世界から飛び出す時の痛みかな、なんてふとおもいました。

ひとりごと的なコメントで失礼しました。また気が向いた時に続きお待ちしています。

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『アナと雪の女王』の姉のエルサの姿は、どこかで緊張の強い子たちに通じるものがありますよね。

 

映画を見た方はたくさんおられると思いますが、簡単にストーリーをわたし流(書き方が偏っていたらゴメンナサイ)

に整理しておこうと思います。

 

ありとあらゆるものを凍らせてしまう危険でパワフルな力を持つエルサは、

生まれ持った特性と才能ゆえに孤独を生きています。

自分の世界に閉じこもって暮らしていたエルサが、

外の世界と接触する戴冠式の日、エルサの力は暴走し、周囲を冬へと変えてしまいます。

それを機に、自分を抑えつけるのをやめてありのままに生きていく決心をしたエルサも

エルサが創造する世界も

本当に美しくて高貴な魅力にあふれていますが、同時にどうしようもない孤独も体現しています。

 

妹のアナの命の危険を顧みず自分を助けようとする姿を目にして、

エルサは、魔法の力をコントロールする術とは、

「恐れ」ではなく、相手を思いやる「真実の愛」なのだと悟ります。

 

最後に、雪と氷を空へ蒸発させた夏に戻った世界で、

エルサは自分の特性や才能を親しい雪だるまのオラフを助けることや

国民たちと真夏のスケートを楽しむために利用するようになります。

 

緊張の強い子たちというのは、活動にも参加せずにじっとしている時も、

無力なわけでも怠惰なわけでもないものです。

自分の内面に周囲を圧倒するような力や思いを秘めている子がほとんどですから。

 その子たちが一歩外の世界に踏みだそうとする時には、

エルサ同様、それまで内に抑え込んでいたまだ社会化されていない感情が

暴発してしまうことが多々あるのです。

それによって、お友だちや親や先生や自分自身を深く傷つけて、

夏だった世界を冬へと変えてしまうかもしれません。

 

緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 1 で、

わたしが第三者だからできることは、外の世界とその子の世界の境界面に立って

外と内との橋渡しをすること、

境界面に風穴を開けて、内と外の風通しをよくすることで、

その瞬間は、たいてい、無意味で無駄に見えるし、

ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることが多いとも書きました。

 

そんな時、緊張が強い子とわたしの心と心がそれまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感するというのは

どういうことなのか、できるだけ具体的に書いてみたいと思います。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 <2>

2018-08-20 19:29:04 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

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この橋渡しの瞬間、風穴が開く瞬間というのは、たいてい、

無意味で無駄で停滞しているように見えたり感じられたりする時間に

起こります。ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることも多々あります。

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緊張の強い子には、大きく分けて、

内向的だけれど芯が強くて、頑固で攻撃的な一面を持った子と

慎重でおとなしく穏やかな性質で、人が集まる場に行くと無口になって

身動きできなくなる子の2タイプあるように思います。

今回は、前者の「芯が強い子」について書かせていただきますね。

 

子どもの世界はすごいな、と思うのは、どんなに周囲との関わりを遮断するように

して遊んでいる子にもちゃんと揉め事が降ってくるところです。

もしこれが大人の世界なら、

「誰ともいっさい関わりたくない」という雰囲気をかもしている人が

後生大事に抱え込んでいるものを借りに行こうとは思わないですよね。

万が一、貸してもらおう思ったとしても、

「それを手放すなんてこの世の終わり」とでも言わんばかりの深刻な拒絶にあえば、

あきらめてほかをあたるでしょう。

 

でも子どもの世界では、「何が何でもどんなことがあっても貸したくない」という子に、

その子の持っているものが本当に魅力的なのか、自分はそれが欲しいのかなんて

そっちのけで、「何が何でもそれじゃなくちゃ嫌で貸してほしい」という子が

引き寄せられていく瞬間があるのです。

 

 片や手にしているおもちゃを手放すことが、そのまま自分の世界を奪われることや

自分の場を壊されることとイコールでつながっているような緊張の強い子。

 

片や部屋を見渡せば、ほかにいくらでも面白そうなおもちゃがあっても、

緊張が強い子と同じくらいエネルギーを注いで、それを得ることに固執する子。

 

そんな二人は、どこか似ているところがあって、

最終的に大の仲良しへと発展することがよくあります。

教室では、子どもたちの心と心がゆっくりと近づいていく過程を大切に見守っています。

 

誰かが作っていた積み木の駐車場を足で引っかけて壊しちゃった、

どんどんブロックの線路をつないでいた子が自分のスペースに侵入していった……など、

ひとりで静かに遊びたがっているんだから、ずっとそのまま遊ばせてあげる……という

わけにいかないのが子どもの世界です。

 

周囲から距離を置いている子自身も、

おもちゃについては、ほかの子の遊んでいるものがどうしても欲しくなって奪い取りに

いくこともあります。

 

そうして揉め事が起こるときには、

それまでほかの子や大人と交わらないで過ごしていた子も

いきなり感情をむき出しにした状態で接近することになります。

 

緊張が強い子は、もともと人との関わり方に不器用さを持っていることもあるし、

関わりそのものが経験不足でもありますから、

「おもちゃを貸して」「貸さない」「それはわたしがやりたい」「ぼくが一番先」

「ぼくが」といったちょっとしたやりとりが、パニック状態を引き起こしたり、

乱暴に反撃してしまったり、 強い態度で拒絶するため相手の子の手がつい出て

しまった……という事態につながりやすいです。

 

人との関わり方に不器用さや経験不足がある子たちが

ちょっとしたことをきっかけに周囲との激しい衝突を引き起こすときは、

どのような対応をすればいいのでしょう?

 

たいていの親御さんは、予期せぬ事態が起こると、

「こんなときはどうすればいいの?」

「どう言い聞かせてやめさせればいいの?」と目にしている一点への解決法を求めます。

 

わたしが、こういう事態に遭遇した場合、やりすぎたり、引っ込みすぎたり、

激しく感情を爆発させたり、引きこもったりする揺れ幅が大きい期間……

つまり古いものから新しいものへと移り変わって行く途中である『過渡期』として、

扱っています。

子ども同士の揉め事のクッション材となったり、傷ついた子をなぐさめたり、

おしゃべりしたり、物語の世界にあるような解決法を提案したり、

揉め事をテーマにした人形劇を見せたり、一緒になって悪を演じる遊びを表現したり、

粘土や水のような気持ちを落ち着ける素材で遊びを準備したり、

こちらに向けられる攻撃性を受け止めたりかわしたりしながら、

感情の爆発の背後にある新しい心の変化の兆しの一つひとつを、

心に留めていくようにしています。

 

緊張が強い子は、触角の過敏さや鈍感さを持っている子が多いな、と感じています。

触角が過敏だったり、鈍感だったりする子たちは、

粘土や砂に触れるのを極端に嫌がる一方で、手を洗う時の水の温度を気にしたり、

服の素材に文句をつけたりしています(それが一転して、気に入ると粘土遊びばかり

したがったり、ひんやりしてつるんとした手触りのスライムを、しつこく触りたがっ

たりすることもあります)。

 

誰かに軽く触れられただけで、ピリピリした攻撃的な目でにらみつけたり、

身体を硬直させて歯をくいしばってみたり、

人と触れる可能性がある場に近づくだけで足がすくんで動けなくなったり……。

嫌いな刺激を避けるために、ちょっとしたことで感情を爆発させて、大騒ぎしたり、

「こうしたい」とか「これはいやだ」と言い張って、意固地になったり、

訳もなくイライラしだしたと思ったら、いつまでも機嫌をなおさなかったりします。

 

自分に対しては、ちょっとぶつかられただけでも大騒ぎして怒るのに、

親に八つ当たりするときは、子どもとは思えないほどの力で叩いていたり、

おとなしくて自分から揉めるような子ではないのに、お友だちと物の取り合いになった

ときなどに突如、強い力で相手を突き飛ばしたり、物を投げつけたりするので

びっくりすることもあります。

 

緊張が強い子が、自立心の芽生えや友だちを求める気持ちや周囲の期待に応えなくてはと

いう思いや、好奇心といった自分の内からの要請に突き動かされて、

閉じこもっていた自分の世界から外に出てこようとするとき、

目で見ることができたり耳で聞くことができる形で

恐ろしいものや残酷なものがたくさん必要なんだな、と感じることが多々あります。

 

鬼や地獄絵や、ピラニアやサメのように鋭い歯を持った水の中の生き物たちや、

指名手配犯などが遊びの主役になったり、

自動車事故、殺人事件、自殺、暴力、肉食動物が他の動物を食べるシーンなどが遊びの

テーマになったり、子どものおふざけの中で、「ぼっこぼこにする」「死ね、死ね」

「じゃ、死ねば?それ、殺したら?」「くそばばあ、くそじじい」「毒薬」

といった言葉が繰り返し使われたりします。

 

たいていそうした残酷すぎることをいう子に限って、お母さんがちょっと見えなくなるだ

けで涙目になったり、怖がらなくていいようなものに極端に怯えたり、繊細で優しすぎる

一面を持っていたりするものです。

過敏な子たちにとって、安全な自分の空間から一歩外に出てくることや

他者に近づくことは、生死の際に立っているような不安を伴うもので、自分自身の存在を揺るがすような一大事なのでしょう。

最初のうち、とげとげしい攻撃的な態度やハイテンションの冗談や吐き捨てるような

物言いの中で使われていた、残酷な主人公たちや残酷なテーマや残酷な言葉が、

ユーモアを含んだ茶目っ気のある世界で扱われるうちに、次第に必要がなくなって、

等身大の子どもの世界の主人公たちやテーマに取って変わられるようになると、

子どもは周囲の友だちともわたしともとても親しくなっています。

 

過渡期といえば、これまでこんなことがありました。

ほかの子と関わらずに自分の遊びに固執していて、

気持ちが高ぶるとお母さんを蹴ったり叩いたりする子がいました。

その子が、ほかの子らに心を許して遊びだし、新しいより成長した自分を

表現しはじめたのは、激しいかんしゃくを爆発させて、

わたしをポカポカと叩いてきた出来事がきっかけでした。

 

友だちと関わろうとせずに内に閉じこもっていた子が

次第に上手に友だちと遊ぶようになっていった過程では、

ふざけて大人を叩いてくる遊びに興じたり、わざとおもちゃやビーズなどを床にぶちまけたり、乱暴な言葉や残酷な言葉を連発したりする時期を通りました。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 <1>

2018-08-20 18:59:28 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

人や場に対する警戒心が強いために、さほど発達上の問題は感じられなくても

集団生活でうまくいかないことが多い子がいます。

うまくいかないから自己肯定感が下がって、

自己肯定感が下がるから自分の気持ちを素直に表現できなくなって、

さらに集団での活動がストレスになっていく……という悪循環に陥りがち。

 

そうした子が虹色教室に来ると、最初のうちはやっぱり緊張していて、

周囲に対してバリアを張った状態で、閉鎖的な遊び方をします。

狭い同じ部屋にいながら、きょうだい間でだけ打ち解けて、友だちやわたしと

一定の距離を保ち続ける子らもいます。

最初のうち……だけでなく、そうした緊張状態がずいぶん長く続く子もいます。

 

「そうした子にどう接したらいいですか?」

「どうしたら緊張しないようになりますか?」と問われると答えに困るけれど、

わたしが「お母さん」ではない第三者だからこそ、役に立てることはあります。

 

外の世界とその子の世界の境界面に立って、外と内との橋渡しをすることです。

境界面に風穴を開けて、内と外の風通しをよくすることともいえます。

 

この橋渡しの瞬間、風穴が開く瞬間というのは、たいてい、

無意味で無駄で停滞しているように見えたり感じられたりする時間に

起こります。ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることも多々あります。

 

なぜって、緊張している子が閉鎖的な自分の世界で遊んでいるのは、

その状態が安心で心地よくて自由だからでしょうから。

もし、外からほかの子と一緒にする活動を求められたり、

内から「他と関わりたい」という衝動に突き動かされたりしたら、

ゆったりリラックスして過ごすことはできないでしょう。

 

たとえ自分自身の好奇心から外の世界へ踏み出したい場合でも、

安全が脅かされて、不快な気分になったり、

イライラしたり、キレやすくなったり、陰鬱で頑固になったりするはずです。

 

そんなときに、外からは、雰囲気が悪くなっていく中で

これといったことをするでなく、後味が悪いまま時間が過ぎていったように見えても、

緊張が強いその子とわたしの心と心は、それまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感することがあります。

「互いに共有する物語を持った」と言った方がいいかもしれません。

経験的にわたしは、子どもの変容のプロセスの始まりを垣間見たのだろう

と捉えています。

といって、あまりに取るに足らないような主観的なものなので、

言葉にするとなると気が引けるのですが、

緊張の強い子たちが外の世界で自分らしくいきいきと振舞うようになっていく

プロセスはとても似通っていて、

始まりはいつも、誰も目にとめないようなつまらない出来事です。

 

緊張が強い子が、ほかの大人や子どもがいる場で、過度に不安がったり、

新しいことへの参加を拒んだり、ちょっとしたことでピリピリしたり、

不必要なほど頑固になったりするのは、さまざまな原因が考えられます。

 

神経の細かさや高ぶりやすさのせいで内向的な態度が強くなっているのかもしれないし、

触角の過敏さなど感覚統合の問題を持っているため

人に近づくことに防衛的になっているのかもしれないし、

想像力の弱さがあるため未知のことに不安を覚えるのかもしれません。

育ってきた環境や経験の量や親子関係の問題で、本来なら「ちょっと内気かな」と

感じるくらいの性質が融通のきかないものになっていることもあるでしょう。

 

子どもをほかの子らがいる場に連れて行っても、一緒に楽しそうに遊ぶどころか、

怯えたり、イライラしたり、親の背後で固まったままだったりすると、

「何もしないのに、わざわざ連れていくべきなのかな?」

「育て方に問題があるのかな?」「子どもの発達に問題があるのかな?」と

親自身も葛藤や迷いで身動きできなくなるかもしれませんね。

 

 

『プレイセラピー 関係性の営み』の著者、ゲリー・L・ランドレスによると、

子どもには生まれながらに自己実現傾向というものが備わっていて、

そこから学びと変化へ向かう動機づけが生じるそうです。

環境への不適応を起こしていた子どもが変化していくプロセスについて、

ゲリーは次のように語っています。

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それまでとは違った自己に向かうこうした動きは、セラピストの暖かさや関心、

注意、理解、純粋性、共感を子どもが感じ取ると、それに促されて始まります。

心理的な態度が動きを促すというこの傾向によって、子どもは自己志向的に

行動するために、そして自分の自己概念や基本的な姿勢を変化させるために、

自分自身のものすごい量の資質をあてにすることができるようになるのです。

このように、変化するための能力は子どもの中にあり、セラピストが方向づけや忠告、

情報を提供した結果として生じるものではありません。ロジャースが表現したように、

「もし私がある種の関わりができたなら、個人的な発展が生じるだろう」

ということになります。

  『プレイセラピー 関係性の営み』P58(ゲリー・L・ランドレス著/日本評論社)

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いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 3

2018-08-18 21:46:22 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回、記事中で書いたCちゃんのようなタイプでなくても

アウトプットに時間差があるという子はけっこういます。

 

わたしはそうしたインプットとアウトプットの個性的なずれをよく理解することが、

子どもの意欲や能力を高めるコツかな、と感じています。

 

子どもによったら、学習の場面でそういうところが強く出やすい子というのがいます。

勉強でつまずくと、もうどう教えても、何を言っても、

頑として受け入れられなくなる子がいるのです。

その姿は、ひどく物わかりが悪いように見えます。

でも、半日経ったり、1週間過ぎたりしたころ、

再び同じ問題をすると、すんなりできてみたり、教えたことを

難なく理解したりするのです。

そうした子は、「今、みんなといっしょにやっている場でできなきゃいけない」とか

「最初に習った時に理解しないとダメ」といったその場に漂っている空気

で傷つけて、自信ややる気をそがないことが

重要かなと思っています。

 

インプットからアウトプットまでにこれくらいの時間差がある子として

尊重してあげて、できないで焦っている時に、

「今すぐわからなくても大丈夫。

いつも、わからないと思ってから、これくらい

時間が経つと、なんだ簡単だ、とすんなりできるようになっているでしょ。

あなたは賢い子よ。自分でちゃんと答えにたどりつくよ。

自分の頭の使い方を大事にしなくちゃならないよ」

と励ますようにしています。

 

大人は自分のものさしを使って子どもの活動を

比べる目、評価する目で眺めがちですが、

すごくレベルが低いことをしているように見えても、

何もしていないように見えても、

それはインプットとアウトプットが同時進行で起こると

思っているから、そう見えるだけ、という場合がほとんどです。

 

 

上の写真は3年生のDちゃんが作っていたカフェのドリンクです。

このDちゃんは、インプットとアウトプットが大きくずれるような子ではないけれど、

アウトプットするものの質が、外からの目ですぐわかるような価値でないため、

<いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう子>として

見られる面があります。

実際にはかなり能力が高いはずの子なのに、「長い時間、かけて、これを作ってただけ?」

「かなり安易にやりたいことを決めてるんじゃないかな?」という印象を周囲に与えやすいのです。

 

でも、このDちゃんという子とていねいにつきあっていると、

それは大きな間違いであることがわかります。

話の途中ですが、次回に続きます。

 

 


いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 2

2018-08-16 16:36:36 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回の記事で、

内向型の子に多いのですが、アウトプットの出方にかなり時間差があり、

アウトプットされたものは、

その子というフィルターを通って収束されているという特徴がある子たち

けっこういるのです、と書きました。

 

みなといっしょに体験している時、これはいいけどあれはいや、と自分で取捨選択するのではなく、

何でもウェルカムという姿勢のせいで、何に対しても強い関心を抱いていないかのように見えたり、

その場で楽しく過ごしているだけのようにも見えたりする子がいるんです。

そうして、興味が拡散していく間、拡散思考をどんどん広げいく一方で、

ずいぶん時間が経って、ひとりになった時、「〇〇したい!」と急に思いついて

何か始めるというタイプです。

その「〇〇したい!」は、明らかに、何となくすごしていた時に見聞きしたものの

影響を受けているだけれど、そこで見聞きしたものをそのまま模倣するようなものでなく、

「その子」というフィルターを通って、体験がまるで結晶したような印象を受けます。

 

晩の算数のレッスンの後で、Cちゃんが急に思いついたように

「ストローを使っていろいろな形を作る本ありますか?」とたずねに来ました。

日中、わたしがお母さん方と見ていた本をそっと気にかけていたようです。

そして、ひとりでせっせとモールとストローをつないで、

正八面体の骨組みを作っていました。

 

 

そういえば、この日の工作タイムに、3年生のAちゃんは、紙に三角柱の展開図を描いて、ケーキを作っていましたし、

そして、2年生のBちゃんは

すいかをかじった時の実の部分の形、つまり球の表面にあたる形を作ろうと苦戦していましたし、

夕食前にはせっせとフェルトの綿に楊枝で刺して、球を作ってましたから、

Cちゃんとしても形の面白さに心が動いていたようなのです。

でも、Cちゃんが、目にするものに興味を抱き、自分の中に取り込んで、

「こんなことがしたい!」と感じるまで、

こんな風にかなりの時間のずれがあるのです。

 

それと、Cちゃんはいざアウトプットするという段になると、

いつも体験をちょっとメタな視点から眺めたようなものになりがちだな、と感じ

ました。

たとえば、Cちゃんは、さまざまな頭脳パズルが好きなんですが、

Cちゃんが一番うれしそうにしている時というのは、

「解けた!」という瞬間より、

自分なりにその頭脳パズルの背後にある規則に気づいて、それを

言葉にしている時なんです。

正解したとか、たくさん問題が解けたとか、1番になった、勝った、ということは、

Cちゃんにとっては二の次であるようです。

 

 


ユースホステルでのレッスンの追加募集の結果について

2018-08-16 07:47:14 | 生徒募集 イベント参加募集

ユースホステルでのレッスンにお申込みただきありがとうございます。

来ていただく方を発表します。

コメント欄にメールアドレスを書いて再度お申込みください。

非公開で見させていただいて、くわしい詳細を送らせていただきます。

 

 

             まつこさん

             しまいちえさん

             すずママさん

             るまさん(弟くんもいっしょにどうぞ)

 


2分で作れる潜水艦の作り方 (費用200円くらい)

2018-08-15 10:38:58 | 工作 ワークショップ

工作本などで潜水艦の作り方を見ると、

作業工程は難しいし、材料の調達も大変、おまけに作ってもうまく作動しない……という

ものがほとんどなのです。

何とか簡単に、安価で、失敗せずに作れて、潜水艦のしくみの基本がしっかり学べる

という作り方はないものか……と考えていて、

思いつきました。

いつもの適当工作です。

でも、子どもたちがお風呂で大喜びすることは間違いありません。

 

材料は、100円ショップの水風船を膨らませる下の写真のピンクの道具です。

ペットボトルと水槽用のチューブ50センチほど。水槽用のチューブは、

ホームセンターのホース類を切り売りしているコーナーで1m60円~90円くらいで

売っています。

 

<作り方>

ペットボトルにカッターで10㎝ほどの切り込みを入れます。

水風船のポンプを水槽用チューブにセロテープで接続します。

できあがり。

 

<遊び方>

ペットボトルの切り込みからプラスチックのフィギュアを入れます。

ペットボトルの隙間に水風船を取り付けたチューブの端をはさみます。

ペットボトルに水をたっぷり入れて水の中に沈めます。

水風船のポンプを押すとペットボトルの潜水艦が浮き上がってきます。

作りは、「えっ?」といういい加減さですが、なかなか高性能の潜水艦です。

数回ポンプを押すだけで、スーッとかっこよく浮上します。

ビニールテープや油性マジックで潜水艦らしく色付けすると、

もっとかっこいい仕上がりになります。


いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 1

2018-08-14 20:59:39 | 子どもの個性と学習タイプ

ユースの追加募集は参加人数に達したので、終了しました。

コメント欄にご応募いただいた方は、メールアドレスを書いて

再びコメント欄に書き込みをお願いします。非公開で見て

連絡させていただきます。

 

今年は猛暑の影響もあって

ユースホステルでのレッスンの募集を教室内の子だけに絞っていたのですが、

人数に少しだけ余裕がある日の募集を行います。

 

8月21日~22日 年中~小1の男の子 母子2組まで

8月28日~29日  3歳~5歳の女の子 母子2組まで

 参加ご希望の方は、コメント欄にハンドルネームとお子さんの性別と年齢、お住まいの地域を書いて

応募して下さい。数日以内に、来ていただく方を公表させていただきます。

 

ユースホステルの2~3年生の女の子たちのレッスンに行ってきました。

部屋でカフェを開くそうで、ケーキやドリンクをせっせと作っていました。

このところの3年生のAちゃんのケーキ作りのブームは、三角柱を展開図から作ることです。

平面が立体に変化するのは、何度体験しても不思議で面白いです。

2年生のBちゃんのすいか作り。

がぶっと食べたら、変化するところを作っていました。

光る風船を持ってきてくれた子がいるので、カフェは夜間営業をしていました。

 

 親御さんたちの勉強会で、子どもたちの姿について

こんなご相談をいただきました。

「工場見学に行ってみる?」「科学館に行ってみる?」などと誘うと、「行きたい!行きたい!」と

何にでも興味を示し、お出かけを楽しむ小学2年生のCちゃん。

でも、どこに出かけても、「ああ、楽しかった」で終わり、そこから何か得たようでもなく、

興味が広がったり深まったりするようにも見えない、というお話でした。

Cちゃんは利発で穏やかな気質の子です。

何でもそつなく器用にこなし、強い自己主張やこだわりはいっさいありません。

聞き分けが良く柔軟なので、周囲の声に合わせているだけに見えることもあり、

集団の場ではニコニコ笑顔を振りまく様子が目にとまるだけで、これといって目立たないこともあります。

Cちゃんのお母さんは、どこかに連れていくからといって、

そこで何か覚えてほしい、能力をアップさせてほしい、見たものに強い関心を寄せてほしいと思っているわけでなく、

ただ、「これでいいのかしら?」と何となくもやもやするのだと思います。

確かに、ユースに着いてすぐの工作の時間にしても、算数の学習時間しても、夕食までの

子どもたち主体の活動時間にしても、Cちゃんはみんなの輪に溶け込んでいて、終始明るく控えめにしていて、

これという目の引くものを作る姿もなかったし、「わかった、こうでしょ!」と意気揚々と

発言する姿もありませんでした。それは教室でのグループレッスンでもよく見るCちゃんの姿です。

でも、だからといってCちゃんの活動への関心が薄いわけでもないし、

その時間から取り立てて得るものがなかったとか、アウトプットがなかったというわけではないのです。

 

内向型の子に多いのですが、アウトプットの出方にかなり時間差があり、

アウトプットされたものは、

その子というフィルターを通って収束されているという特徴がある子たち

けっこういるのです。

 

話が途中ですが、続きは明日にでも書きますね。(お盆でのんびりしているので、更新がんばりますね♪)